趣旨説明
どうしてウォッチが必要なのか
TOSS(教育技術法則化運動)は、主に義務教育を行う教員の間で、教育のためのノウハウを出し合い共有する活動で、向山洋一氏が主催している。ウェブサイトを見ると、実に細かく学年別単元別にノウハウの蓄積がなされていることがわかる。孫引きになるが、向山氏はこの活動を「教育の場でのQCサークル」と述べているとのことだ(「カルト資本主義」斉藤貴男)。
QCサークルの活動を教育の場に持ち込むこと自体については、私は何も批判するつもりはない。教員の技術力の差を埋める一つの方法として評価できると考えるからである。どんな方法であっても、教員の教育に関する力が向上するのであれば、歓迎するべきことである。私自身、大学院生の頃に家庭教師センターに登録した時に「家庭教師という人材を管理するにあたって、QCを行ってサービスの質を上げるシステムが必要である」という趣旨の作文を出したことがある。
本来なら、大学の教員であり、教育学部でなく理学部所属の私が、TOSSの活動に注目することなどなかったはずである。
実のところ、問題は、共有されるべきノウハウとして公開されている内容それ自体にある。
私の専門は溶液・液体の化学物理であり、何年か前から「水商売ウォッチング」というコンテンツを発信してきた。これは、巷にあふれる浄水器や活水器の非科学宣伝に対して実名でツッコミを入れるということを通じて、正しい科学知識を普及させることを主な目的としたものである。怪しい「水商売」の説明は様々だが、その中に「波動系水商売」とでも呼ぶべきものが登場し始めた。これは、江本勝氏の「水からの伝言」を初めとする一連の書籍と報道によって広まったもので、水に「ありがとう」という言葉を見せるときれいな結晶ができるが「ばかやろう」と書いて見せると汚い結晶になるという話が含まれている。言葉を見せる以外の方法(つまり他の水処理)でも結晶が変わるという話が出てきて、浄水器や活水器の宣伝に使われることになった。ここまでであれば、他のありふれた非科学宣伝と大差なかったのだが、「言葉を見せる」という部分のつながりで、このネタが教育現場に持ち込まれて道徳の授業で使われることになってしまった。最初に誰が持ち込んだのかは不明だが、普及したのはおそらくTOSSのサイトに取り上げられたからだと思われる。このため、TOSSの活動を取り上げて、科学的にも(道徳的にも)おかしい、という批判をすることになった(「TOSSランド」(教育技術法則化運動)へのコメント(2003/02/03)」「「波動」系水商売を斬るー量子力学の正しい理解のために(2004/11/11)」)。
2005年8月現在、TOSSの方では水結晶で道徳を指導するというネタの登録をやめているという情報がある。が、他のページを見ていたら、それ以外にもおかしな内容が出てきているので、継続的にウオッチしておくことにした。
私は、大学の一般教養で、「科学リテラシー」というタイトルで講義を行っている。分類は化学なので、物質に関する基礎的な知識の説明もしているが、同時に、世の中に溢れる科学っぽい情報の読み方も教えている。多少下火になったが「マイナスイオン」が未科学であるということや、健康情報の取り扱い方、特許に権威が伴わないといった内容も含んでいる。水結晶と言葉の話は、大学の講義であるので、氷の結晶多型と相図を示し、中谷ダイヤグラムを見せ、量子の世界のお話もした上で取り上げている(大学には指導要領がないから、学生さんがついてきてくれれば、深く突っ込んだ話ができる)。講義の後、学生から出されたコメントには「水結晶の話で実際に指導された経験がある。信じていたが今回の講義で間違いとわかった」という内容のものがいくつか出てきた。少し前の話になるが「この話を授業で使おう考えているのだがどうでしょうか」という相談が現役の教師から届いたこともあった。もちろん、批判文に書いた内容をきちんと説明して、まずいということをわかってもらった。
高等教育の目的の一つは「王様は裸だ」と言える人材を養成することにあると思う。ということで、私は、大学では可能な限り懐疑的(スケプティック)な考え方を教えているつもりである。もちろん、義務教育の段階でスケプティックであれというのは無理というものだろう。だからといって、非合理や非科学やオカルトを教えられたのでは、大学だって困ってしまう。初等教育の現場にそういったものが忍び込むのが、すべてTOSSの責任だというつもりはないが、教育のポータルサイトとして力を持っている団体であるので、ウォッチしていればトレンドがわかるに違いない。