弁護士を選ぶということ
司法制度改革が進み、弁護士の卵の数が増え過ぎて就職難まで起きているが、一般人にとってはちっとも司法が身近になっていく気がしない。
今回、自分の問題を解決するために弁護士に仕事を頼んでみて、その理由がわかった。値段に比して情報が少なすぎるのである。
今回の案件の受任にかかった費用は、値段の目安としてはそこそこの国産中古車が買える程度、国立大学法人の1年間の授業料よりもちょいと高い程度である。ちょっとややこしい病気で入院した時の値段も(保健の範囲内で)こんなもんだろう。では、庶民がこの程度の買い物をするとき、普通どんな態度で臨むかを考えてみよう。
車の場合はどうか。中古車の雑誌は出ているし、ネットもあるから、「どんな車をいくらで買おうか」「買った車をこんなふうに使って便利に、楽しく」などと想像しながら、あれこれ見比べるだろう。相場の見当を付け、店頭に出向き、個別の車を前にしてこれまでにどんな乗られ方をしてきたか、大きな事故や修理はないか、同型の車で何かトラブルは無かったかなどを詳しく聞き出し、比較検討して選ぶに違いない。
大学はどうか。まずは受からないと仕方がないから、自分の偏差値や予備校のデータと大学の難易度、出題傾向を見極め、そこに入ったらどんな教育が受けられたり資格がとれたりするのか、卒業後の就職先はどうか、といったことを詳しく調べて、どこを受けるか決めることになる。先輩の就職実績は大事である。いずれは自分も似たような道を歩むことになるかもしれないからだ。
医者はどうか。弁護士と異なり受任義務がある。それでも、あの先生は腕がいいとか親切だとか安心できるといった情報が井戸端会議レベルで流れているし、暫く入院ということで大きめの病院を紹介されたとしても、何曜日の誰それ先生は上手いとか治りが早かったという情報が飛び交っている。最近では、ややこしい治療になりそうな時はセカンドオピニオンをもらって患者も治療方法の決定に関われるようになってきている。
ところが、弁護士はどうか。庶民の感覚からすると、情報をあつめて詳しく比較検討しないと払わないような額の費用がかかるというのに、誰がどんな仕事をしているかという情報がほとんどない。訴訟することになった場合、弁護士を選ぶポイントは「どんな弁論をしてくれそうか」ということに尽きる。しかし、守秘義務があったりするので、弁護士がどんな場面でどんな準備書面を書いてくれるかといった情報が全く得られないまま、仕事を頼まなければならない。消費者としては「商品の実際」つまり「準備書面の中身」を見て比較検討したいと思うのが当然だが、今の制度はそうなっていない。これでは、高価な「福袋を買わされている」のと変わらない。
せめて町医者なみに「あそこの事務所は……」という情報が交換されるか、中古車市場並に見やすい情報提供がなされない限り、この先弁護士が増えたとしても、一般人にとっては、弁護士までの距離は相変わらず遠いままではないか。