教養の授業で波動と水結晶をとりあげた
きくちさんのところのブログでも取り上げられているが、「水からの伝言」を使って道徳の授業をする話。私がやっている教養教育でも、先週とりあげた。ただ、単に批判するだけでは講義として科学の部分が少なくなってしまうので、氷の結晶多型の話や相図の話をし、中谷宇吉郎の仕事も紹介した上で、何がヘンかを議論した。同時に、「心のノート(3,4年生)」の自然との関わりについて記述した部分が、ほとんどネタと化していることの指摘も行った。
今学期の学生さんは、去年とくらべてたくさんのコメントや質問をしてくれる。この水結晶の話についてもいろんなコメントがついた。
○わたしは、その「言葉によって氷が形をかえる」という本をみたことがあり、すごく感動したのを覚えている。まさかそれがインチキだったなんてショック。
○水の結晶と道徳で、科学の現象を道徳(情緒的)な目で見るのは本質的におかしいと思いました。この講義を受けて、科学で一番大切なのは冷静な目で現象を見て、それが正しいのかどうかを調査なり実権なりで調べることだと思います。道徳の教材のみが悪いとは思いませんが、今のように様々なインチキグッズが堂々と並べられているのにいは、そういった背景もあるのではないかと思いました。
○道徳の教材に使われているものを、ちゃんと科学的に見ていくと、インチキがいっぱいで、おもしろいと言っていてはならないのかもしれないけど、興味深かったです。
○私は、学校の先生への道も考えているので、今日は特に余談の道徳について考えさせられました。氷の話からこんな話に発展するとは!!
○余談がおもしろかった。教育学部の友達に読ませてあげたい!
と言った具合であった。実際に、そういう授業を受けた学生さんもいた。学生に配っているプリントのウェブでの公開も考えたのだが、市販のテキストの図を使っていたりするので、権利関係の処理がはっきりしないとそのままでは載せられない。ただ、どんな内容をやったかという項目の箇条書きと、学生さんからのコメントや質問を載せるということを計画中である。
さて、きくちさんのブログには、なかなか深刻な問題が含まれている。
上の文章のうち「江本氏の研究の科学的信ぴょう性などは、これからなのだと思いますが」というくだり。ここが我々の認識と大きく食い違っています。「水からの伝言」の主張に科学的信ぴょう性などこれっぽっちもありません。結晶は本物ですが、それが言葉に反応するというのはまったくのでたらめ。
という部分で、それは全くその通りなのだが、この判断基準を教えるには、科学・非科学・未科学の区別をしっかり教えるしかないのだろう。雪結晶の成長の話は既に科学でカタがついているから、科学以外の枠組みで説明する余地はいまのところないし、再現性の精度においても科学側が圧倒的に勝っている。未科学に分類されることがらであれば、「科学の信憑性はこれから」「立証されていなくてもいい」と言えなくもないのだが。
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