ジャパンスケプティクス総会
学会事務センターの破綻のあおりを喰ってなかなか開催されなかったが、本日総会が開かれた。歯医者に行ってて、ちょっと遅れて滑り込んだので、後半だけしか参加できず。記念講演に遅れたのが痛い。記念講演は「進化論を拒む人々」鵜浦裕氏(文教学院大学外国語学部教授)、シンポジウムは「宗教と科学教育」。
日本やギリシャの創世神話でも国を神様が作った話になってるが、キリスト教の創造論では材料から何から全部神が作ったことになっていて、かなり厳しいという指摘があって、なるほどと思った。
会長の安斎先生は、京都在住で、寺から科学と宗教について講演を頼まれることが多いそうだ。で、科学と宗教は対立するものではなく、客観的なものを扱うか主観的(価値的)なものを扱うかという違いがあるので、それぞれの分野で役割を果たすべきだという話をしていとのこと。まったく同感である。
実は、教養の授業でも、この手のことに少しだけ触れている。自然科学では客観的に検証し再現性をとるのが基本だが、宗教では、たとえば「汝の神を試すなかれ」と、検証することを禁じている。自然科学では、起きている現象に矛盾しない理論を作ることを目指すが、例えば、殺人事件が増えたとして「人を殺しても良い」という法律を作ろうとはしないだろう。自然科学の考え方や取り扱う範囲は、宗教とは異なるし、ルールの作り方は法規範とも異なる。それぞれ、取り扱う範囲や方法論が違うのだから、どれが正しいとか悪いといった優劣を付けることはできない。ただ、科学を理由に宗教を否定するのは見当外れだし、科学で解決すべき問題や解決済みの問題に宗教が出しゃばっても却って宗教の価値をおとしめるだけだろう。元々対立する概念ではないということに気付けば、一人の人間の中で、信仰と科学が共存するのは容易ではないかと思う。
- » Continue reading or コメント (0)