Feed

「教育的配慮」の思考停止馬鹿

Posted on 8月 31st, 2005 in 倉庫 by apj

読売新聞オンライン版から。

「毎日かあさん」論争、表現の自由か教育的配慮か

 文化庁メディア芸術祭賞を受賞した漫画「毎日かあさん」を巡り、作者の漫画家西原(さいばら)理恵子さん(40)と東京・武蔵野市の間で論争が起きている。

 西原さんの長男(8)が通う同市立小学校が、西原さんに「学校を作品の舞台にしないでほしい」と申し入れたためだ。

 「表現の自由への圧力」と抗議する西原さんに対し、市側も「正当な教育的配慮」と譲らない。双方が文書で主張を繰り返す事態となっており、9月2日の同市議会でも取り上げられる予定だ。

 西原さんは、「ぼくんち」「恨ミシュラン」などの作品や、放映中のNHK連続テレビ小説「ファイト」のタイトル画で知られる。

 「毎日かあさん」は、武蔵野市やその周辺を連想させる街を舞台に、西原さんの長男や同年代の子ども、母親を思わせる登場人物の日常をコミカルに描いており、2002年10月から毎日新聞で週1回連載中。連載をまとめた単行本も既に2巻が毎日新聞社から発行されている。昨年、文化庁メディア芸術祭賞、今年は手塚治虫文化賞を受けた。

 問題となったのは、授業参観の場面。主人公の母親が、落ち着きのないわが子を含む児童5人を「クラスの五大バカ」と表現し、ユーモアを交えつつ、子どもの成長を見守る内容だ。

 この場面が紙面に載った直後の昨年11月、長男の担任の女性教諭(40)が西原さんを学校に呼び出し、「迷惑している」「学校を描かないでほしい」と注文をつけた。

 西原さんは翌12月、毎日新聞社の担当者と同小学校に出向き、校長らに「保護者だからといって、編集者を通さず作者を直接呼びつけるのは非常識だ」と抗議。校長らは「学校に落ち度はない」と主張したという。

 西原さんは、父母の一部から「学校とトラブルを起こすならPTA活動に参加しないでほしい」と告げられたのを機に、今年6、7月、弁護士を通じて市側に「作品はあくまでフィクション」「公権力による表現の自由の侵害ではないか」などの文書を送った。これに対し、市側は、「他の児童や保護者への配慮をお願いした」「作品中に『武蔵野市』の固有名詞もあり、児童の人権に教育的配慮を求めることは当然」などと、8月までに2回、文書で回答した。

 西原さんは「フィクション作品の内容に介入するのは納得できない。子どもを学校に預けている立場上、作品を描くこと自体をやめろと言われたに等しい」と憤る。また、毎日新聞東京本社編集局は「毎日かあさんは西原さんの経験に基づいたフィクションで、内容については人権やプライバシーに十分配慮して掲載している。学校側には納得してもらったと認識している」としている。

 一方、同市教育委員会の南條和行・教育部長は「保護者を学校に呼ぶことは珍しくない。表現の自由を侵害してはいない。学校には不特定多数の児童がおり、配慮するのは当然だと思う」と話している。
(2005年8月31日14時32分 読売新聞)

 武蔵野市の教育委員会もその学校の校長も、そろいもそろってアホですか?
 通学する子供を持つ母親が、学校のことを話題にしてフィクションを書くことを止めさせようとする「教育的配慮」って何?他の児童や保護者への「配慮」って何?
 何かというと教育機関の人間は他人に「配慮」を求めたがるが、それはただの思考停止じゃないのか。「配慮」の中身も満足に説明できないくせに他人に配慮を求めるのは、教育者として正しい態度ではないと思う。というか、そういうのが表現をむやみに規制して物を言えない世の中を作ってるということにさっさと気付け。無神経に他人に「配慮」を求めて「教育者の責任」を果たした気分に浸るんじゃない。「無神経」に「配慮」を求めたがる人間を教育の現場から一掃しないと、いつまでたっても学校が風通し良くならないんじゃないか。
 それにな、担任が主張する「迷惑」って何?誰かから例によって匿名でクレームでも届いたわけ?だったら「状況は似てるけどフィクションだ」って説明すれば済むだけのことじゃないのか。「迷惑です」って言えば何でも通ると勘違いするんじゃない。何を迷惑と思うかは主観によってもぶれるし、文句を言わなければいけない本当の相手は「フィクションを事実と思いこんでクレームをつけてきた勘違いしてる人」の方だったりしてね。
 漫画を読んで、特定個人のことだとはっきりわからないように書かれているのなら、それ以上内容に文句を言うなと。どこにでもありそうな光景を描いてるなら、個人のプライバシーとも結びつきようがないだろう。

停電対応を忘れていた……

Posted on 8月 29th, 2005 in 倉庫 by apj

 日曜日が停電だということを忘れて、サーバを落とし忘れていた。日曜日になってつながらなくて、初めて停電だったことを思い出したという……。で、別様日に出てきて電源を入れたら、ファイルシステムのチェックの途中で止まってしまい、上がるはずのデーモンがほtんど上がらない(泣)。仕方がないので手動でfsckして、質問にすべて(y)と答えるという荒っぽい方法をとったら、何とか動いてはくれた。一応バックアップ用のマシンも用意してるのだが、なかなか整備まで手が回っていなかったりする。

科学の誤解はここまでひどい

Posted on 8月 28th, 2005 in 倉庫 by apj

掲示板の方に投稿があって見に行ったのだが、「食卓の向こう側」という連載を持っている記者の重岡美穂氏の2005-08-26のブログについて、あまりにもとんでもない誤解をしているようなので、コメントを書いておく。
 まず、重岡氏は、アスベストや水俣病の問題を取り上げた後、いずれも規制が遅れて被害を出したことを指摘した。その上で次のように述べている。

科学は起きている事の一部を検証するものだと思う。科学で分からないことなんて山ほどある。科学的に証明されていないから規制できない、という言葉が大きな顔をしてまかり通る時代、そんなことを胸を張って言う人たちが幅を利かせている間は、同じ問題が繰り返されるに違いない。
科学は私たち人間の感覚や体験、体感を補助する道具として使うべきだ。危険性が証明されていないから安全だという言葉の異様さに気づこう。なんだか危ないという状況がある「グレーゾーン」なら、生きている人間として当たり前に避けよう。
歴史に学ばなければ、人間は本当は賢くないんだという結論が待っている気がして、怖い。

 まず、重岡氏は、科学と人間の両方について誤解している。科学は、人間が自然をどう理解するかという方法論、及びその方法論を用いて行った努力の結果得られた知識である。起きていることの一部を検証するために使われる場合もあるかもしれないが、それだけではない。
 また、人間はもともとそんなに賢くはない。人間の脳は、見かけの因果関係があれば簡単に騙されるというのが、歴史の教えるところである。歴史を振り返れば、いかに人間社会で迷信が幅をきかせてきたかがわかるだろう。ただ、騙されっぱなしでいない程度の知恵は持ち合わせているわけで、脳が認識した因果関係と、自然観察の積み重ねで得られた因果関係を一致させるのが科学の役割である。
 重岡氏の言うように、感覚に基づいてグレーゾーンを避けるという方針を採ったりしたら、迷信を信じていた時代に逆戻りするだけではないか。「グレーゾーン」を避けるのが望ましいとしても、その「グレーの程度」には科学的裏付けが必要だろう。
 「危険性が証明されていないから安全だという言葉の異様さに気づこう」と重岡氏は書いている。しかし、これは「異様」なのではなく、単に論理的思考力が欠けているだけの話だ。「証明されていない」から導かれるのは「調べた範囲では今のところ安全らしい」という程度のことでしかない。
 危険であることを科学的に立証するのは可能だし、比較的容易である。ある条件で被害がでるという再現性の良い現象を1つでも見つければば、それで証明終わりである。ところが、安全であることを証明するのはほとんど不可能だ。ある条件で、これこれを調べたら、今の技術では被害も異常も検出できませんでした、ということがいくつ積み重なったとしても、安全を立証したことにはならない。別の条件で別のことがらを調べたら、危険だという証拠が見つかるいかもしれないからだ。科学というものは、「ある」ということを立証することはできても「ない」ということを立証するのは大抵の場合できないものなのだ。だからといって、いつかは危険性が見つかるかも知れないから規制しようというのは無理がありすぎる。さらに、体感や感覚を理由に物質の使用を規制したら、別の被害を引き起こす可能性の方が高いだろう。実は害が無いものでもあると信じて使わないことにする一方で、実は危険な物質を体感を根拠に無害だとして使うことになるのではないか。
 また、重岡氏の書かれたことは、全体として矛盾している。もし、人間の感覚や体験・体感がそんなにあてになるものであったなら、水俣病もアスベストの被害も発生しなかった筈である。この魚は食べたらどうも具合が悪くなりそうだ、この空気には何かが含まれてて吸ってると病気になりそうだ、ということが体感できていれば、そしてそれが誰にでも感じられるものであったならば、どちらも早めに対策することができただろう。現実には、全く危険を体感できなかったからこそ、そういう魚を食べたり空気を吸ったりしてしまい、その結果被害が発生した。その後、何が原因かを突き止めるには、やっぱり体感でも感覚でもだめで、科学を使って手間暇かけて調べる以外になかった。
 ある化学物質について「危険性が立証されていないから安全」と主張することも、「体感や感覚を優先して避けるべきだ」という主張も、同程度に論理性と合理性を欠いていように私には見える。

文章になるようにしゃべる技術

Posted on 8月 26th, 2005 in 倉庫 by apj

 2年ほど前にジャパンスケプティクスで水の講演をやって、それからいろいろあったり手違いが生じたりで、講演をテープに起こしたものを今頃見直している。テープ起こしは学会の担当の方がやってくださったのだが、読んでみて、こりゃこのまま活字になったら誤解されるよなあ、という表現のオンパレードなので頭をかかえている。
 話をしたときは、スライドを見せながら、箇条書きの項目について説明していたし、話すときの調子や、その後の質疑応答などで、多少曖昧な部分があっても訂正ができるから問題ないのだが、そういう部分無しで活字になると、かなり様子が違う。講演っぽいが読める形になおさないといけない。
 しゃべった内容をそのまま文章になおして、それなりの作文になってるようにするには、やはり練習が必要なのだろう。発表原稿をあらかじめ作っておいてそれを読む形式だと、もとが作文だからそう外れたことにはならないのだろうが、「棒読み」になるとアピール度が著しく落ちるので、別の練習が必要になりそうだ。まあ、ものを説明する講演と、演説とかスピーチととは違うといえば違うのだけど。
 もともと学会発表事始めの時から、メモは作っても原稿は作らない主義なので、話す内容と作文を一致させるということを全くしてこなかったわけで、今回そのツケが出たといえなくもない。
 それに……コレを言うとテープ起こしをしてくださった方に叱られるかもしれないが、私、結構早口で60分ノンストップでしゃべくり倒したから、ワープロ打ちの分量も跳ね上がってた罠……orz。

書類は文末をちゃんと読め

Posted on 8月 25th, 2005 in 倉庫 by apj

 今週、大学院入試で、合格者を確定させる大学院の会議が本日ごごからだったのだが、出る人と出ない人がいるわけで……。私はこれに出なければいけないのかどうかが分からず、先任の先生に聞いてみたら、「事務からの通知で、文末がご出席ください、となってると出なければいけないが、通知いたします・お知らせしますのものは出なくてもいい」ということだった。確かに、文面通りに理解すればその通りだわな。これまであんまり意識してなかったが、最後をちゃんと読んで判別しろということか。気をつけよう。

999円

Posted on 8月 24th, 2005 in 倉庫 by apj

 ウチの学科には、懇親会の担当というのがあって、今年は私が当番になっている。何をするかというと、メンバーからちょっとずつ懇親会費を集めて銀行に預けたり、学科のイベントの時にはそこから費用の援助をしたりという、要するに通帳と帳簿の管理である。預け先は地元密着ということで、当然山形銀行である。で、会議が長引くときのお茶代もそこから払うことになっていて、立て替え払いしてくれた人に総額999円を払うことになった。
 問題は、市内の山形銀行本店まで出かけて行っても、ATMでは1000円単位でしか下ろせないということだ。仕方がないので、まずATMで1000円下ろした。で、ATMに並んでいる両替機のところに行って1000円を500円*1+100円*4+50円*1+10円*4+5円*1+1円*5、という組み合わせに両替しようにも、1円や10円は1本という、確か硬貨20枚だか50枚だかの単位でしか変えられない。そこで、窓口に行って、500円硬貨を両替してもらうために書類を書いて、硬貨を受け取った後、おつりの1円をまたATMで預ける、ということになった。通帳は何代か前の担当者が作ったもので、印鑑がないから、窓口でちょうどの金額をおろすことができないので、こういうことになる。
 ATMで1円単位で下ろせるようにしてくれれば、こんな面倒なことをしなくてもよい。全ての作業を終えた後、「お客様からのご意見」用葉書を一枚抜いて、この件についてクレームを書いたことは言うまでもない。

すでに話題になっているが……

Posted on 8月 23rd, 2005 in 倉庫 by apj

 コミケの会場で営業したホットドッグチェーン店のアルバイトスタッフが、個人で開設していたブログに

2005.08.14 Sunday 18:38:36 ヲタ
大量オタ。これほんの一部ですからね。これがぶぁぁぁぁあっているの。恐い!きもい!
2005.08.14 Sunday 18:39:51 お仕事
みんな頑張ってバイトしています!まぁお客はみんなオタ。
2005.08.13 Saturday 02:47:49 コミケバイト
東京ビックサイトでバイト!コミケのやつらを相手に…。でもみんなでやるから楽しいです!ただ朝4時から朝9時までという過酷さがきついです。
2005.08.13 Saturday 02:45:31 もえぇ!
コミケバイト中です☆コンビニ行ったらるるぶのもえ版が!!もえるるぶってどないやねん!きんもーっ☆中にはコスプレがあるとこなどが案内されてます。きもすぎです。

と書いて2chで祭りになっている。
ITメディアニュースにも関連記事がある。この程度の表現をやったところで、特定個人の名誉を傷つけたわけでもないし、スルーしておけばいいんじゃないかと思うわけだが。
 で、まあ2chの祭りはいつものことだからいいとしても、企業が謝罪してるのがなんだかバランスが悪いと思った。もともと、問題のブログ自体は個人で開設できる日記サイトにあったわけで、バイトスタッフ個人の責任でやってることである。また、短期のバイトなら、何も会社に忠誠を要求されるいわれなどないし、バイトの感想を書くことを制限されるいわれもないだろう。ITメディアの記事は「企業が謝罪に追い込まれた」などと書いているが、こんなことにならないようにするには、社員教育をきちんとやる必要があるわけで、ということは、それなりの人を採用して費用をかけて教育して仕事をさせれなければならない。安易にバイトスタッフに頼るという行動をとっておいて、気軽に何か書かれたからといって、企業は被害者面できた義理じゃないだろう。今回のようなリスクは、安易に短期のバイトを雇ってコストダウンを図ったことについてまわる当然のリスクに見えて仕方がない。
 第一、「みんなでワイワイ楽しくやれる仕事です」みたいなノリでバイト募集広告を出してる会社が山ほどあるわけで、そりゃ都合の悪い感想だって気軽に公開されるという罠。

ところで「もえるるぶ」って一体……?読んでみたいぞ。

やおい小説論

Posted on 8月 22nd, 2005 in 倉庫 by apj

 「やおい小説論 女性のためのエロス的表現」永久保洋子著、専修大学出版局を入手した。これは、永久保氏の学位論文で、やおい小説……といっても商業ベースにのっている、いわゆるボーイズラブ小説を調査し、分析したものである。調査をおこなったのは1996年で、今よりは出版点数が少ないとはいえ、381冊の小説を読み込んでいるあたり、文系の人の研究というのもなかなかすさまじいものがあると思った。基礎データとして上がっているのは、タイトル、書写名、出版名、小説が何人称で攻受いずれの視点で書かれているか、攻・受それぞれの名前、年代、職業、年齢差、体格差、性役割が固定かどうか、時代、ジャンル、ハッピーエンドかどうか、という表が出ていた。登場人物の描写をもとに、ジェンダーを考えていく部分は、言葉に対するセンスを試されているようで面白い。身長差の法則として、ほとんどの場合攻>受だということがデータで示されるあたりは、まあそうだろうなと漠然と思ってはいても、あらためて認識することになった。
 何でこんな本を買ったかだが……某アニメのファンを長く細々とやっていたのだが、他のみんながどう鑑賞しているか知りたいと思い、同人誌に手を出してみたら、女性向けの方は男性キャラ同志で恋愛&性行為におよぶヤオイばっかり、男性向けは登場する女性キャラが妙にグラマーな身体に変換されたエロばっかり、結局作品自体にこだわったものは探すのが難しいという事態になって、一体何が起きているのか気になったからである。まあ、やおいとは何かということはそれなりにこの本を読んでわかったのだが、なぜやおいが快適かを理解するには、まだまだ道のりが遠い……というか私自身が腐女子の心を持ってないということなのか。それでも、まだアニメキャラのやおいならわかるが、無生物系のヤオイ、つまり日本列島と台風とか、郵便ポストと葉書といった組み合わせがあるという話をネットで見かけて、どうもよくわからんが奥の深い知らない世界が拡がっているのだなあと思った次第。人間の思考能力に限界は無いということなのか……(大汗)。

演示実験の問題点と自由研究

Posted on 8月 20th, 2005 in 倉庫 by apj

 昨日、冨永教授と話をしていたら、中学だか高校だかの先生の研修で理科教育の話をしたという話題になった。「騙されないために理科教育が必要」というのはすんなり受け入れられたらしい。元々理科に興味があったり、それがこうじて職業にしようとするような人はむしろ少数で、世の中の大部分は「英会話と理科と、どっちをがんばった方が得か?」という部分を説得しないと、理科が必要だとは思ってくれないだろう。
 で、その何日か後、受講した教員から相談があったとのこと。内容は「生徒が自由研究でカビの生え方をテーマにした。ご飯を用意して、片方には毎日『ありがとう』もう一方には『ばかやろう』と言い続けたところ、わずかに『ありがとう』と言った方がカビの生え方が少なかったという結果を出してきた。非常に真面目な生徒だが、どう取り扱ったものか苦慮している」。誤差の範囲で変わらんという話をしてはどうかと言ったらしいが……。

 で、ちょっと自分を振り返ると、理科は好きだったが自由研究は嫌いだった。なのに、今は研究を生業の一部としている。自由研究で校内で表彰されたりした友人で、その後科学の道を進んだ人はどういうわけか見あたらない。何だか不思議である。
 その時は意識しなかったのだが、普通に理科の授業を受けていただけでは調べるための方法論を身につけるのが難しいということにあるのではないか。理科の授業でやる実験は、科学としてはすでに十分確立したことをわかりやすく見せるための演示実験(demonstration)である。典型的なのは、何かと何かを混ぜたらこうなったとか、こんな条件で植物を育てて観察したらこうなった、という、定性的な範囲ではっきり差が出るものが用意される。初学者向け教育だから、データがばらついて統計処理してもシロかクロかはっきりしないような材料は最初からとりあげられない。しかし、何か新しいことを確認しようとするときは、少なからず研究用の実験(experiment)を伴うことになる。普段、先生に教わっている演示実験のような実験をするのが自由研究だと思ってしまうと、どうやってわからないことを確定させればいいかということや、実験の精度といった部分が完全に抜けてしまうだろう。中学までの教員の多くは教育学部出身であり、自然科学の研究の方法論に熟達しているかというと、必ずしもそうではない。また、限られた授業時間(最近は特に減らされて大変)で指導要領の中身を習得させなければならないとなると、方法論の話をじっくりするのが難しいのかもしれない。問題の生徒は、真面目に先生の話を受け止めていたが故に、「ありがとう実験」をやることになったようにも見える。

所用があって……

Posted on 8月 19th, 2005 in 倉庫 by apj

 夕方から東京に出てきたが、暑い。まあ、今年の山形が雨ばっかりでどうしようもないというのがあるのだけれど。たまたま、昔の後輩に推薦状を頼まれたので何をどう書くか打ち合わせしたり。

 他の場所で情報が出ているので、そろそろここでも。例の中西氏の訴訟の件(原告:松井教授@京大、被告:中西準子氏@産総研)。ばたばたしてウェブサイト作りが遅れているが、サーバとドメインの確保は終わり、現在、コンテンツの整備をしている。それで、出てきたのが、原告が横浜地裁に提出した上申書。既に中西氏の雑感にも記載があるが、環境ホルモン学会(内分泌撹乱物質学会)が発行している、「日本内分泌攪乱化学物質学会が発行するニュースレター「Endocrine Disrupter NEWS LETTER」に別紙(1)記載の謝罪広告を掲載せよ」という内容の上申書が原告代理人から出された。
 ウェブでやった名誉毀損であれば、ウェブに謝罪文を掲載しろ、となるのが普通のところ、業界誌だか専門誌だかわからないものに謝罪文を掲載させようとすること自体、かなり異様なことである。原告の社会的名誉が低下したのはウェブ閲覧者の間で起きたことであって、ニュースレターの読者の間で起きたことではないし、当然両者の読者層は異なっている。本当に名誉の回復を求めるのであれば、名誉の低下が起きたところで回復の措置を執らないと無意味である。このことからも、本件訴訟が目的外のものであることが伺える。
 謝罪広告の内容の入手はこれからだが、仮に、「松井教授が、環境ホルモンは終わったこれからはナノだと言った」という意味のことを書いた事に対する、(環境ホルモン煽りすぎと批判している)中西氏の謝罪を取りつけることができたとすると、松井教授が環境ホルモンは終わったとは言ってないことを中西氏が認めた→環境ホルモンはまだ終わってない→もっともっと研究(費)が必要、というプロパガンダに使われかねない。それを狙っての訴訟である可能性も出てきた。