UFO本読んでます
科学リテラシーの講義なんかしてる関係で、「世界はこうしてだまされた」「世界はこうしてだまされたII」高倉克祐著(悠飛社)を読んでいる。扱ってるネタはUFOで、空飛ぶ円盤に誘拐されたとか宇宙人に会ったとか、NASAがアポロプロジェクトの時にUFO(異星人の乗り物)に遭遇したが隠しているとか、まあこの手の伝説や神話の信実がどうであったかを議論している。もちろん、情報不足のため何だか結局分からない飛行物体があることは事実だが、それが宇宙人の乗り物だという話を支持する証拠はこれまでのところ一つもない。
実は、UFOブームの頃、私は小学生だったので、矢追さんの番組などを見る機会があったはずなんだけど、どういう訳か記憶にない。記憶に残っているのはピンクレディーの歌と、カップ焼きそばのUFOの発売があのころだったかなあ、という程度である。事故で地球帰還ドラマの大スペクタクルを演じてしまった13号のときも、リアルタイムで見た記憶がない。
ただ、UFO話とあまり触れた記憶がないのは、私の場合に限って言えば、空飛ぶ円盤云々以前に、そもそも星空を見上げる習慣自体が無かったことの方が大きいのかもしれない。
読んでいて面白いなと思ったのが、初巻の27ページからの記述。
空飛ぶ円盤やそれに乗った宇宙人の存在がいくら否定されても、UFOを信じる人は一向に減らない。それはなぜかというと、現代社会には「非合理性の増幅回路」とでも呼ぶべき構造ができあがっているからだと、私は考えている。つまり、合理的に考えれば存在しえないものが、いくら否定されても再び登場してくる仕組み、非合理的なものが常に再生産される仕組みが存在しているのである。
(中略)
視聴率の問題から、テレビではUFOの存在を科学的に否定するような番組はつくりづらい。そのため、社会にはUFOの存在を肯定するような情報ばかりが流通するようになる。このような背景がある場合、ある一つのケースについてUFOの存在が否定されても、その人は「この場合にはUFOではなかったかもしれないが、次には本物のUFOを見ることができるかもしれない」と考えてしまう。つまり、一度はUFOが存在しないことを納得しても、すぐにUFOを信ずる立場に戻ってしまうのである。
このような作用を果たしているのは、テレビをはじめとするマス・メディアだけではない。というよりも、マス・メディアよりも強い影響力をもっているものがある。それはUFOに関する単行本、雑誌、コンタクティーの集会、会誌、各種のセミナーなどである。このような中規模あるいはマイナーなメディアは、規模が小さくなればなるほど、情報が過激になる傾向がある。そして、UFOを信じている人の多くは、何らかの形でこうしたメディアと接触している。その結果、UFOの存在が一度は否定されても、こうしたメディアからの情報に再接触することによって、ふたたびUFO信者に戻っていくわけである。
UFOを「健康法」や「マイナスイオン」、その他の疑似科学宣伝におきかえても、同じことがいえるのではないだろうか。
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