演示実験の問題点と自由研究
昨日、冨永教授と話をしていたら、中学だか高校だかの先生の研修で理科教育の話をしたという話題になった。「騙されないために理科教育が必要」というのはすんなり受け入れられたらしい。元々理科に興味があったり、それがこうじて職業にしようとするような人はむしろ少数で、世の中の大部分は「英会話と理科と、どっちをがんばった方が得か?」という部分を説得しないと、理科が必要だとは思ってくれないだろう。
で、その何日か後、受講した教員から相談があったとのこと。内容は「生徒が自由研究でカビの生え方をテーマにした。ご飯を用意して、片方には毎日『ありがとう』もう一方には『ばかやろう』と言い続けたところ、わずかに『ありがとう』と言った方がカビの生え方が少なかったという結果を出してきた。非常に真面目な生徒だが、どう取り扱ったものか苦慮している」。誤差の範囲で変わらんという話をしてはどうかと言ったらしいが……。
で、ちょっと自分を振り返ると、理科は好きだったが自由研究は嫌いだった。なのに、今は研究を生業の一部としている。自由研究で校内で表彰されたりした友人で、その後科学の道を進んだ人はどういうわけか見あたらない。何だか不思議である。
その時は意識しなかったのだが、普通に理科の授業を受けていただけでは調べるための方法論を身につけるのが難しいということにあるのではないか。理科の授業でやる実験は、科学としてはすでに十分確立したことをわかりやすく見せるための演示実験(demonstration)である。典型的なのは、何かと何かを混ぜたらこうなったとか、こんな条件で植物を育てて観察したらこうなった、という、定性的な範囲ではっきり差が出るものが用意される。初学者向け教育だから、データがばらついて統計処理してもシロかクロかはっきりしないような材料は最初からとりあげられない。しかし、何か新しいことを確認しようとするときは、少なからず研究用の実験(experiment)を伴うことになる。普段、先生に教わっている演示実験のような実験をするのが自由研究だと思ってしまうと、どうやってわからないことを確定させればいいかということや、実験の精度といった部分が完全に抜けてしまうだろう。中学までの教員の多くは教育学部出身であり、自然科学の研究の方法論に熟達しているかというと、必ずしもそうではない。また、限られた授業時間(最近は特に減らされて大変)で指導要領の中身を習得させなければならないとなると、方法論の話をじっくりするのが難しいのかもしれない。問題の生徒は、真面目に先生の話を受け止めていたが故に、「ありがとう実験」をやることになったようにも見える。
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