「大学の話をしましょうか」
「大学の話をしましょうか」森博嗣著、中公新書ラクレ ISBN4-12-150195-0を、理科教育ML ver.2で薦められたので買ってきた。一通り読んでみたが、私の実感にも合っていると思った。
それで、ふと思い出したことを一つ。
高校までに習った先生方の世代は、ちょうど全共闘やら全学連やら学生運動を経験した人たち、あるいはその雰囲気が残っている時代に学生時代を過ごした人たちだった。大学に入っても、学生運動を経験して知ってる人たちが沢山いた。学生側でも、まだそれなりに自治会が機能していた(つか、当時の千葉大は中核革マル解放のトリオに、民青に共産党青年部に原理研=統一教会、と見本市状態だった)。それで、私は「大学の自治」というのが、ある程度確固たるものとしてあるのだと思っていた。
それがくずれ去ったのが、ウェブ移転騒ぎでお茶の水大を訴えた時だ。当時は法人化前で、まだ国立大学だった。訴状を出したとき、てっきり、学長の代理人が応訴してくると思っていたら、国立大学を訴えると行政訴訟になるから話は文部科学省→法務省に行って、法務省の訟務検事が応訴してくることがわかった。つまり、大学は訴訟の当事者になれなない仕組みになっていた。このことに大いにショックをうけて、冨永教授をつかまえて「訴訟の当事者にもなれない集団が、一体どうして大学の自治などと主張できるのか?大学の自治は実は幻ではなかったのか。(最終的に訴訟になった時に)当事者能力もないのに自治なんかそもそも無理ではないのか」とさんざん問いつめてみた。そうしたら「実は大学に当事者能力は最初から無かった、学園紛争の時から無かった」という話になって、目からウロコが10枚ばかり落ちた気分になった。道理で、法人化反対の動きがあって「大学の自治」云々を主張していた人たちもいたけど、説得力を持たなかったわけだと自分なりに納得した。
だから、私にとっての大学法人化とは「民法上の意味で法人格が付与され、普通に訴訟の当事者になる資格を得た」ということに尽きている。大学も、やっと社会の一員になったか、と思っている。
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