「日本の科学者」って一体……?
一般名詞じゃなくて日本科学者会議編集発行の、「日本の科学者」という雑誌の10月号の件。中西裁判の掲示板の方でネタ提供があった。この話を掲示板の方でやるのは、裁判の話と外れるし、むしろネット上の表現の問題も含むのでこちらでまとめることにする。
ここに書いたということを、掲示板の方にも投稿した。もし、以下の内容に大幅変更がかかった場合は、私宛に何らかの「圧力」か「恫喝(笑)」があったと判断してかまわない>皆様。
問題の論文は「最近の環境問題の「まきかえし」を検討する」(畑 明郎)である。知り合いの人にコピーを送ってもらって全文を読んだ。中身は中西氏や安井至氏の考え方に対する批判で、そっちは私の専門外だから突っ込んだ議論をするつもりはない。突っ込みたいのは、畑氏が、国立環境研究所環境健康研究領域長(現東京大学大学院医学系研究科教授〉の遠山千春氏を擁護している部分である。該当部分を引用する(但し遠山氏のメールアドレスは削除)。
2004年12月12日に安井至は,主宰する「市民のための環境学ガイド」というホームページの「ダイオキシンで暗殺」の中で,「13日月曜日の7時のNHKニュースに,国立環境研の遠山氏が出てきて,このニュースの解説をしていた.ダイオキシンの毒性について,例の言葉『サリンの数倍』を繰り返していた.もともとは,『サリンの2倍』だったはず,これがなんと強化されている.
……いずれにしても,ダイオキシンの専門家は,なかなか『ダイオキシンは怖くない』とは言わない.なぜなら,これまで嘘をついていたのか,と非難されるからである.特に,財務省からの非難は大変怖いぞ!!!」と記載した(http://www.Yasuienv.net/).
これに対して,国立環境研究所環境健康研究領域長(現東京大学大学院医学系研究科教授〉の遠山千春は,「正当な根拠なく他人を嘘つきと呼んだり,脅したりしないという人間として最低限のルールは守るべきであり,自らに過ちがあるときは,深く過ちを認め,是正する位の誠実さと品位を持っていただかないと困ると思っているだけです.」などと,安井氏とメールや私信で論争した.しかし,安井氏が論争内容をホームページに公開しなかったため,遠山氏は論争内容をメールで公開した.
このように,かれらの矛先は,私など市民サイドの研究者だけでなく,中立的立場の研究者の松井三郎や遠山千春などにも向けられており,環境問題を科学的に研究し,解決策を見出そうとする研究者に桐喝を加える卑劣極まりない行為と言える.真摯に環境問題を研究する私たちは,これらの桐喝に屈することなく,研究に適進していきたい.
これの何が変かというと、書かれている遠山氏の行動がどう見ても変だと思うわけで。どういうネタで専門家同士がメールで議論を戦わせようが自由なのは当然だが、「安井氏とメールや私信で論争した.しかし,安井氏が論争内容をホームページに公開しなかったため,遠山氏は論争内容をメールで公開した」というのが何なのかわけがわからない。遠山氏の論争相手はやりとりの内容をウェブで公開するのが当然だとでも?誰でも気軽にウェブサイトを作れる時代なんだから、ウェブで公開したけりゃ(あるいはその必要があると考えたのなら)他人を頼らず、遠山氏が自分でやればいいのに、そこは他人に頼って当然という考え方をしているのか?で、相手が公開しなかったからメールで公開って、何でそういうデタラメな行動になるのか。メールのやりとりの公開の是非はひとまずおくとして、普通は相手がウェブで公開しなかったことが気に入らないなら自分トコでウェブで公開、となるものではないのか。
一方、安井氏の方はこの件について、「予測と実証、「まきかえし」」の中で、
そこに書かれていることは、遠山千春氏側の主張に過ぎない。論争内容をホームページに公開しなかったのは、「私信」とは何かということで遠山氏と合意に到達できなかったためで、遠山氏自身も、最終的に、「公開することも公開しないことも、当方の判断で良い」、ということに同意したのだ。当方は、遠山氏の名誉にはならないことだと判断して、あえて公開をしなかった。
一方、遠山氏はすべてを公開すべきだ、と主張しながら、すべてではなく、自分の都合の良いところだけをメールで公開した。このことは、当方の承認なしに行われた。メールでの公開なら良いとでも思ったのだろうか。
と書いている。実はこの件については、別ルートで、遠山氏がメールをお仲間に送った際遠山氏の手によって内容の編集がなされたという証言ももらっているので、「自分に都合の良いところだけ」という表現には当事者である安井氏の主観が入っているかもしれないが、そのままの形でやりとりの全てが流れなかったことだけは確かである。
公開討論を挑むつもりがあるなら、電話番号など公開するとセキュリティ上問題のある部分は伏せ字にするとしても、それ以外の全てをまずは編集無しで公開するべきではないのか。自分が情報を出すときは編集済みのものをメールが届く範囲にだけ送る、などという遠山氏がやっている行動は、議論の内容の妥当性とは無関係に、外から見ている限り、単なる「卑怯」ではないかと思う。それを堂々と擁護して、畑氏は恥ずかしくないのだろうか。
「日本の科学者」という雑誌は、今回この件で教えてもらって存在を初めて知ったのだが、こんな記事が堂々と載るのであれば「日本の科学者」とやらの仲間には絶対に入りたくないものだ。それ以前に雑誌のネーミングは何とかならないのか。発行部数にもよるが、科学者がこんなのばっかりだと思われたんじゃたまらないわなぁ。ついでに言うと、どうもこの手の人々は「日本の」とか「国民……」といったネーミングが好きなようである。名前の付け方を見るたびに、そのセンスはどうにかならんのか、ちょっとは身の程をわきまえてくれと思う。勝手に国民やら日本やらを名乗って、何かの代表のような気分で居られても、「そんな仲間には入りたくない一緒にすんな」と思うのは私だけではないはずだ。
遠山氏のようなパターンを示す人というのは、実は結構他にもいる。私が、ちょっと前に遭遇したのは、シンポジウムで発表したら、私が会場に着く前に発表を済ませていた人からクレームをもらったというものである。「聞いてもいないのに発表内容を批判した」というメールを送りつけてきた上、「私が管理しているウェブサイトでやりとりが公開されていない」と言ってクレームをつけてきた。勿論「聞いてない発表を批判するのはそもそも不可能」「公開したけりゃオマエガヤレ、但し編集すんな」という返事を送ったのだけど。
表現の内容以前に表現の形式、つまり意図的な編集をしないとか、公開したけりゃ自分でやるといった、基本的な姿勢が抜けている人は、内容の議論とは別のもめ事を引き起こしているように見える。昔なら少しくらいズルしてもバレなかったかもしれないが、これだけネットが普及してきて人の目が行き届いてくると、下手な編集をやって情報をゆがめようとしても即座にバレる。平気でこういうことをやる人は、バレるリスクやバレた時のダメージを全く考えていないのだろうかと不思議に思う。実際、私は畑氏とも遠山氏とも面識が無いが、遠山氏がメールを編集したって話がしっかり私のところまで届いていたりする。
この手の形式上の問題というのは、どうまとめたらいいのだろう(内容の問題になれば、名誉毀損の判断基準など、一応のチェック項目があるのだけど)。
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