ジャパンスケプティクス
4月23日に開催されるジャパンスケプティクスの総会案内と招待講演の情報が届いた。それによると、東京海洋大学・小松美彦教授による「臓器移植法案と科学者の倫理」だということだ。送られてきたメールには「小松教授によると、脳死から臓器移植に至る枠組み自体に擬似科学的要素がある、ということで、人の死に係わる科学者の倫理について討論しよう、ということです。」とあるので、どんな議論になるか今から楽しみである。
ただ、脳死=人の死、とする考え方は、疑似科学というよりも、むしろSFの発想じゃないかと思ってしまう。今は、脳が先に死ぬことを前提にして移植のために臓器を取り出そうという話ばっかりが強調されているけど、裏を返せば、体が死んでも脳が生きていればその人は生きているということになる。これって、SFじゃすっかり定番となった「サイボーグ」が作られる状況そのものではないの?体が無くなったけど脳だけ取り出して生きてますって設定、古くはキャプテンフューチャーのサイモン・ライトがあるし、それ以後もいろんな作品で登場した。サイボーグ(サイバネティック・オーガ二ズム)という概念はそもそも科学の側から出てきたものである(実現はしていないが)。
脳からの信号で、脊髄損傷で動かなくなった腕を動かすとか、義手を動かすといった研究は進んでいるわけだから、脳からの信号で機械となった首から下を動かすのは原理的に不可能ではないだろう。正常な状態を保って脳だけ生かすにはどうするかとか、五感をどう入力するかといった問題はあるけれど、脳死=人の死ということを受け入れるのであれば、行き着く先は臓器移植ではなくて、サイボーグを人として受け入れることにつながっているように思う。
まあ、SFといっても、時代が変われば科学に取り入れられちゃったりもするわけで……。
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