ジャパンスケプティクス
4月23日に開催されるジャパンスケプティクスの総会案内と招待講演の情報が届いた。それによると、東京海洋大学・小松美彦教授による「臓器移植法案と科学者の倫理」だということだ。送られてきたメールには「小松教授によると、脳死から臓器移植に至る枠組み自体に擬似科学的要素がある、ということで、人の死に係わる科学者の倫理について討論しよう、ということです。」とあるので、どんな議論になるか今から楽しみである。
ただ、脳死=人の死、とする考え方は、疑似科学というよりも、むしろSFの発想じゃないかと思ってしまう。今は、脳が先に死ぬことを前提にして移植のために臓器を取り出そうという話ばっかりが強調されているけど、裏を返せば、体が死んでも脳が生きていればその人は生きているということになる。これって、SFじゃすっかり定番となった「サイボーグ」が作られる状況そのものではないの?体が無くなったけど脳だけ取り出して生きてますって設定、古くはキャプテンフューチャーのサイモン・ライトがあるし、それ以後もいろんな作品で登場した。サイボーグ(サイバネティック・オーガ二ズム)という概念はそもそも科学の側から出てきたものである(実現はしていないが)。
脳からの信号で、脊髄損傷で動かなくなった腕を動かすとか、義手を動かすといった研究は進んでいるわけだから、脳からの信号で機械となった首から下を動かすのは原理的に不可能ではないだろう。正常な状態を保って脳だけ生かすにはどうするかとか、五感をどう入力するかといった問題はあるけれど、脳死=人の死ということを受け入れるのであれば、行き着く先は臓器移植ではなくて、サイボーグを人として受け入れることにつながっているように思う。
まあ、SFといっても、時代が変われば科学に取り入れられちゃったりもするわけで……。
ここからは旧ブログのコメントです。
by nomad at 2006-03-47 07:36:47
Re:ジャパンスケプティクス
生きてたって死んでたってだいたい一緒ですよ!
という思想主義者です。
by apj at 2006-03-31 08:46:31
Re:ジャパンスケプティクス
死体になっても人は人だ、って言ったのは養老さんでしたっけ。
ところで、慈恵医科大のサンプル室は一見の価値ありです。以前、医療画像の仕事をしていたとき、学会があって、ついでに見てきました。
骨格標本に「医学士 ○○君」と生前の名前がついていたり、内臓の左右が逆になってる実物見本が標本瓶に入っていたり。面白いと思ったのが、蛇や害虫の標本があったことで、「これに刺されました・咬まれました」と駆け込んでくる患者に対応するには、医者にも知識が必要なんだな、と改めて納得したり。
専門的に価値はあるんだろうけど素人にはどう判断していいかよくわからなかったのが、壁の全面を埋め尽くす「○○教授卵巣腫瘍コレクション」という標本瓶でした。
by sasashin at 2006-03-43 19:19:43
Re:ジャパンスケプティクス
> 脳死=人の死ということを受け入れるのであれば、
> 行き着く先は臓器移植ではなくて、
何かの本の受け売りなんですけど、脳死=人の死ということを受け入れた先に臓器移植があるんじゃなくて、臓器移植に必要だから脳死という基準が導入された、という面もあるそうですよ。
脳死なんていう、測定器がなければ判らないものが死の基準としてコンセンサスを得られているのか疑問に思ってたりします。心臓止まった、瞳孔開いた、というわかりやすさが必要なんじゃないかと。残される人のために必要、てことですが。
by しげみ at 2006-03-20 20:47:20
Re:ジャパンスケプティクス
脳死を認めない立場は以前からあることは承知していますが、なんだか20年前も同じようなことを言ってたのになあ、と、医学生物学関係者としてはかなり寂しいですね。
小松美彦氏は脳死反対の立場では結構知られた人だと思いますが、私の感覚では著書の内容の少なくとも一部はトンデモといってもよいものです。apjさんが「いまから楽しみ」とおっしゃる場合どういう期待を抱いておられるのか文章からははっきりしませんが、私の興味としてはゲーム脳の森教授の講演会に行くので「今から楽しみ」といった意味あいしか感じられません。
「脳死は臓器移植のために導入された」とか、「脳死=人の死、とする考え方は、疑似科学というよりも、むしろSFの発想じゃないか」とかいうのは、実際にこの問題を扱っている医療の世界からはかけ離れすぎているようにおもいます。
by apj at 2006-03-26 23:35:26
Re:ジャパンスケプティクス
かけ離れている(医療からも、今の科学技術からも?)かもしれないことを承知で書いてみます。
せっかく脳死=人の死、を認めようという話になったんだから、そこから出てくる話が臓器移植にだけってのは何だか物足りない、サイボーグを作って脳だけ生かす方向の研究がもっと出てくれば面白いのになあ、というのが私の立場です。つまり、SFが現実になるかもしれないということなので……。楽しみと書いたのは、脳だけ生かす方向に話が進まない理由について、どう考えているのかきいてみたいなあ、なんて思ったからです。
by ながぴい at 2006-03-06 08:20:06
Re:ジャパンスケプティクス
ところで、
ジャパンスケプティクス
って何やってる学会ですか?
疑似科学批判という観点から見ると、
ほとんどなんの役にも立ってないようなのですが?
by しげみ at 2006-03-54 19:38:54
Re:ジャパンスケプティクス
脳と脳以外の部分があって、両方生きている、両方死んでいる、片方死んでいる、という組み合わせはリクツ上は可能です。しかし、さまざまな理由から脳血流傷害を引き起こした身体を人工呼吸装置に載せて血液循環を回復させると、虚血に比較的強い脳以外の臓器組織はそのままで、脳だけ死ぬ、という風にして一般に脳死は作られるので、脳以外が死んで脳だけが生き残る、という状況は現実には想定しがたく、脳だけを生かすサイボーグ技術の有効性はないと想像されます。
ちなみに、各臓器ごとの寿命、というのがあるのかどうかははっきりしませんが、実験動物レベルでは神経系の寿命を延長させると個体としての寿命も延長する、という可能性が示されている例もあることを考えると、脳の寿命は他の臓器の寿命よりも短いとも考えられ、やはり脳だけが生き残るという状況を考える必要性はないものとおもわれます。
by apj at 2006-03-43 21:08:43
Re:ジャパンスケプティクス
体の方が別の病気で死にそうな時、脳が生きてるうちに体の方をすげ変えることができれば便利かな、と思ったわけで。
脳血流障害を引き起こす前に外から循環させて酸素と栄養を補給→体が死んだあたりですげ替え、とという手順は……無理ですかね。なお、寿命が来てる云々じゃなくて、このままだと体の方は確実に先に死にそう、という状況での話です。
by こばんざめ at 2006-03-10 21:48:10
Re:ジャパンスケプティクス
はじめまして。話の流れとは関係ないかもしれませんが。。。
SFの世界が現実になりそう、というのは面白そうですが、仮にサイボーグ技術が現実になったとして、そこまでして生きたいかなあ、と考えてみましたが、どうなんでしょうね。
脳だけになっても、それを人間と呼べるのだろうか。そんな存在は、私には何となく薄気味悪く感じました。
by tamtam at 2006-03-07 00:48:07
Re:ジャパンスケプティクス
これまでの人工知能の研究が行き詰まりを見せる中で、知能の実現には身体が必要なのではないかと言う認識が出てきています。
これが本当ならば、脳だけの存在と言うのは意味がないことになります。
by kei-2 at 2006-03-23 06:35:23
Re:ジャパンスケプティクス
脳だけじゃないけど、こっちのほうがグロくて素敵です。
サイボーグの概念が提出されたのが 1960 年頃、キャプテンフューチャーが 1940 年代ですから、もっと古いですね。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/448863401X/250-6077887-0505819
http://forest.kinokuniya.co.jp/ItemIntro/26338
小学生の頃、子供向けの訳を読んだ記憶があります。
これかなぁ?
http://sfclub.web.infoseek.co.jp/kodomomeisaku18.htm
できれば、脳だけじゃなくて周辺組織ごと生かした方がいいじゃないですかね?
特に神経系と電子回路との直接結合技術が未発達なうちは…
by apj at 2006-03-13 08:21:13
Re:ジャパンスケプティクス
kei-2さん、
何この文庫本のプレミア価格……orz。
読みたいけど手出ししたら確実に貧乏になるT_T。
映画DVDの解説に吹いた。
>助手の手によって首だけを蘇生させられたドウエル教授の悲劇を描く。
普通は偉い博士や教授が助手を実験材料にするものでは。それが正しいマッドサイエンティストというものでは。
by A-WING at 2006-03-47 20:31:47
Re:ジャパンスケプティクス
人工知能の実現に身体が必要だというのは,正しいでしょう。
しかし,なぜ必要か?と考えれば,脳だけの存在でも(その脳自身にとっては)十分意味があると言えることに気づきます。
脳から見た身体の役割は,栄養工場と,外部刺激を受け取るためのインターフェースに過ぎないわけです。
というか,そもそも脳自体が,インターフェースを備えたコンピューターみたいなものです。
ですから,栄養の供給と擬似信号さえあれば,脳自身は十分「やっていける」わけです。
一番わかりやすいのは,夢を見ているときです。
夢はまさに,脳だけの存在になった自分を,疑似体験しているようなものです。
「グロテスクだ」とか「気味が悪い」というのは,脳だけになった人を,他者が見た時の,その他者の心の問題です。
その見られている「彼」自身は,完璧な擬似身体刺激を受けているため,むしろ「気味が悪い」といわれて気分を悪くするでしょう。
「彼」にしてみれば,それで十分他の人と同じように「自分は生きている」と実感しているわけですから。
SF的でとっぴな例ではありますが,自己と他者とか,身体差別について考えるには,いい例だと思います。
by zorori at 2006-03-02 02:24:02
Re:ジャパンスケプティクス
告白しますと、子供のころは義肢をつけた障害者が薄気味かったです。
今でも外科病棟にはあまり生きたくないのです。
この差別的感情は慣れていないことが源のようです。生身は脳だけのサイボーグへの感情も同じような。
ホラー仕立てだと、薄気味が悪いけど、サイボーグ009はそうでもありません。
私も恐怖や差別を考えるよい例だと思います。
知能の発達に体が必要なのは当たり前ですね。
それだけでなく環境も。
そして、その中間的なものも、義肢、車いす、メガネ、衣服、家等々。
メガネを知らない文化からみれば、多くの日本人は薄きみ悪いのでは。
by しげみ at 2006-03-11 23:48:11
Re:ジャパンスケプティクス
マッドサイエンティストだけじゃなくて、正統派と想像される研究会にもサイボーグという言葉が出てきたので、大変びっくり。
http://www.cns.atr.jp/nou-ikasu/event.html
しかし、講演者のリストを見ると、立花隆とか天外伺朗とか、ほんとにまじめな研究の話をしたいんですかね、この研究会は。
近頃は、脳科学、という言葉を聞くだけで、なんだか胡散臭いような気がしたりします。
by apj at 2006-03-50 00:19:50
Re:ジャパンスケプティクス
>しかし、ここ5,6年の間に大きな異変が起こった。生命科学関連の競争的資金が倍増、3倍増する中で、脳科学の予算が大幅に減少したのである。その理由として、脳科学に対する手当ては8年前に行いもう済んだから、次は他の目標に重点投資するという話が伝わっている。
まじめな研究の話もしたいかもしれませんが、まじめな予算取りの話をもっともっとしたい、が本音でしょう。いい意味でも悪い意味でも有名どころを集めているのは、お役所に対するパフォーマンスで、「役人も名前を知ってるあの有名人」を入れることで宣伝効果を期待しているように見えます。
個人的には、ブレインマシンインターフェース(最近はこう言うのね^^;)の研究は面白そうなのでもっとやってほしいです。ただ、脳科学でもそれ以外でも、他分野を廃れさせるような偏った予算配分はよくない。1つの分野だけが突出して進歩することなんかないですから。
>政策の不合理なぶれは、この分野で育ち始めた若手研究者の希望と行き先をなくし、容易には立ち上がれない打撃を脳科学に与える。
脳研究に予算を大量に出す→ポスドクを任期付きで大量に雇う→もともと研究を続けていけるようなポジション自体が少ないから、予算がカットされた途端にポスドクが大失業する、ということでしょう。
いくら人材流動化といっても、専門の壁を越えて同程度のパフォーマンスを出しながら流動化できるわけがない。
by しげみ at 2006-03-17 03:57:17
Re:ジャパンスケプティクス
>予算取りの話をもっともっとしたい、が本音でしょう
というところには深く同意します。だからこその、「役人も名前を知ってるあの有名人」なのでしょうが、天外伺朗といえば「波動医学」関係の団体でも名前の出てくるトンデモ系ですから、こういう人を呼ぶということは、例えばapjさんがシンポジウムを主催して、人寄せに江本勝を呼ぶようなレベルの話だというのがなんとも、、、。
ところで、予算獲得の為のこうした「研究会」作りは今に始まったことではなく、これは研究分野を問わず似たような状況ではないかと想像しますが、私が奇妙に思うのは、もしこういういわばロビー活動が実ってある分野にお金が落ちることになったとき、例えば科研費の特定領域に採用されたりすると、こういう研究会をやっていた連中が計画研究として参画し、いわば「創業者利益」をえることです。
こういう形で、たとえば代表的な「競争的研究費」である文部科学省科研費においても、競争なしで大金を獲得できる人々は沢山いて、お金を分配するという形でしか威力を誇示できない役人的発想とうまくかみ合っていたりするわけですが、こういうのは邪道だと思いませんか? 例えば政策的にある分野(生命科学系では、今なら、鳥インフルエンザとか、自殺防止とか)に対する研究に予算配分を厚くしたい、というのはいいですが、それぞれの分野の中で具体的には誰の研究をサポートすべきかというのはPeer reviewによる審査によって判断されるべきだと思うのです。でも実際は、少なくとも生命科学分野では全くそうではないのは、残念だと思います。
by yebisu500 at 2006-03-48 11:09:48
Re:ジャパンスケプティクス
>天外伺朗といえば「波動医学」関係の団体でも名前の出てくるトンデモ系ですから、
CD や AIBO とかの開発を指揮していたんですよね? でも、トンデモなお話をするのかな?
by しげみ at 2006-04-18 00:04:18
Re:ジャパンスケプティクス
そうなんですよ。たとえば
http://www.broadfilm.net/hadou2/
ソニーの技術者としてはちゃんとしてるのかもしれませんが、「天外伺朗」としての活動はニセ科学推進以外のなにものでもない、という感じです。朝日新聞で書評も書いたりしていますが、やはりその変な路線上です。
こういう人を「研究会」に呼ぶというのはどういう神経なんでしょうか。