何とか準備終了
物理学会の発表準備がどうにか終わった。シンポジウムと一般講演の両方を準備しなければいけないから、普段の倍以上の作業になる。
シンポジウムについてだが、kikulogにも田崎さんのページにもあるように、ニセ科学バッシングの会ではないということに注意してほしい。「ニセ科学vs.物理学会」の構図を期待して来られても、がっかりすること請け合いである。私の話は、「水商売ウォッチング」というコンテンツを作ることで、どんな影響があったのか(社会に対してと私自身に対しての両方)、どうやってニセ科学が広まるのか、対応するときの注意点には何があるか、といったものになる予定である。具体的な話は、なぜ水のネタをやり出したのか、ということを説明するときにちらっと出すことになる。また、間違った情報が訂正されないということを説明するための例として「NMRによる水クラスター評価」の歴史的経緯を出す予定である。
二、三日前から、きくちさんのblogで、ニセ科学の話に対するコメントに「政治的な問題」が混じってきている。政治的な方に話を持って行こうという流れと、政治的な話になるに違いないと思いこんで批判する流れの両方が出てきているように見える。政治的問題になるような科学技術というのは、曖昧な部分があって白黒がつかない物であることが多く、だからこそ政治に利用可能となっているのではないだろうか。予測不可能な曖昧さが、単に情報の蓄積の不足によるものであるなら、「ニセ科学」ではなく「不十分科学」「未完成科学」とでも呼ぶべきだろう。
発表する分科の「物理と社会」は、何も特別なものではないことを付記しておく。一般講演と同じに考えていただきたい。ここで発表したからといって学界の「お墨付き」が特別にもらえるわけではない。他の領域・分科での発表と同じで、研究者が普段やっていることの活動報告に過ぎない。
「物理と社会」で以前から活動している人たちのテーマは、環境問題や原子力政策に関する問題など、そもそも政治色が強い問題が多かったように思う。だから、物理学者と社会が関わるというと、イコール政治的問題、と思ってしまう人もいるようで、研究者(院生、PD含む)の本分は研究だとか、むしろ積極的にやるべきだとか、政治活動の是非を暗に含んで賛否両論が出てくる。どうやらこれまでの「物理と社会」の活動は、正確にいうなら「物理と行政」だったのではないかと思う。分科で「ロビー活動して立法にこぎ着けた」という報告が出ていたのは見たことがない(これは私が見落としてる可能性大、ご存じの方はお教えください)が、もしあれば、「物理と立法」というのも少しは含まれていることになるのだろう。
これまで「物理と社会」でやってきた人たちと私の決定的な違いは、私の立ち位置が「物理と司法」だということに尽きる。科学的に正しいことを社会に向かって主張しても、誰かの利害に反することはあり得る。社会の中で主張が効力を発揮するには、利害を全面に出して争ったときに最終的に訴訟で勝てるということが必要になってくる。もっとも、司法が科学の是非を正面から判断することは必ずしも必要でなく、司法の枠組みの中で、科学的に正しいことを言った場合に最終的に勝訴できる、という法律論ができていればそれで足りる。
以前、沖縄で分科会が行われた時、冨永教授(お茶大)と一緒に、教育のセッションを見に行ったことがある。そのときの議論があまりにも内向きだったので二人ともフラストレーションを感じた。その結果が、学会誌3月号に掲載された「騙されないために(by 冨永)」という巻頭言になった。「そのうち、騙されないために理科教育が必要だという話をまとめて教育の分科に出そう」と言っていたのだが、シンポジウムの方が先に盛り上がってしまったので、少し落ち着いてからになりそうである。
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