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基準が現状に追いついただけ

Posted on 4月 30th, 2006 in 倉庫 by apj

 YOMIURI ONLINEより

“徒弟制”一掃、文科省が大学院を抜本改革へ

大学院教育の充実に向け、文部科学省は今年度から、大学院生や若手研究者が教授の労働力とみなされる“徒弟制度”の一掃を目指すなど、抜本的な改革に乗り出すことを決めた。

 近年、大学院に進む学生が増える一方、海外や財界からは「教育水準が低い」との批判が出ており、日本の国際競争力を高めるためにも、大学院教育の質向上が不可欠と判断した。文科省は今後5年間かけて、大学院による教育課程や教員組織の見直しを支援するなど、教育基盤の整備を進める。

 文科省は3月末、専攻分野ごとに講座を設け、教授を頂点に助教授、助手らを配置して教育研究を進める「講座制」の規定を大学設置基準から削除。この枠が外れることにより、今年度から各大学・大学院が自らの裁量で柔軟な教育研究体制作りを進めることが可能になる。

 07年度からは、教授の職務を助ける役割だった助教授が廃止され、新たに学生の教育や研究を主な職務とする「准教授」が新設される予定で、こうしたことを契機に教授と院生らの硬直的な徒弟関係の改善が図られることになる。

 日本の大学院はこれまで教育より研究を重視する傾向が強く、研究室では大学院生や若手研究者が教授の手伝いを通じ、自然に知識を身につけるという「徒弟修業」の考え方が根強く残っていた。

 また、講座制は大学院内の教育研究の責任体制を明確にすることなどを目的に導入されていたが、教授が研究室の人事を独占的に行うことなどへの批判も強かった。このため、院生らからは「教育内容が教授の能力に左右されすぎる」「教授の労働力として使われ、雑務に忙殺されている」などの不満の声が上がっていた。

 一方、産業界からは「応用が利かない」などと改善を求められており、今年度からは、教育の質を保証するため第三者による外部評価が導入される。若手研究者向けの研究費補助も拡充され、財政支援策でも、優れた研究を行う大学・大学院に国が補助金を出す「21世紀COEプログラム」に代わる新たな策を実施する見通しだ。文科省は3月、これら施策を盛り込んだ2010年度までの5か年計画「大学院教育振興施策要綱」をまとめており、要綱に沿って総合的な改革を進める。

 文科省によると、1988年に約8万7000人だった日本の大学院生数は、昨年は約25万4000人に増加している。

(2006年4月30日4時19分 読売新聞)

 今時、講座制のピラミッドを維持できているのは、旧帝大と一部マンモス私大だけではないか。規模の小さい大学では、1学科の教員定員が少ないため、講座制をまじめにやったら、カバーできる専門分野が少なくなりすぎて機能しない。だから、とっくに半講座制、つまり書類の上では講座制だが、実際には教授と助教授が独立に研究室を持って全く別のテーマで研究するという方法でやりくりしてきている。教員採用にもそれが反映されているから、教授が自分の講座維持のために人事を云々ということはない。制度を変えたところで、現状が半講座の大学はほとんど影響を受けないだろう。旧帝が変わるかというと、でかい大学の強みがまさに講座制にあったりするわけで、変わらないんじゃないか。

 「教育内容が教授の能力に左右されすぎる」という文句を真に受けるのはどうかしている。どこの大学院でも院生の方が指導教員指定で進学するわけで、選ぶ権利は院生にある。教員側は拒否できない……というかヘタに拒否したらアカデミックハラスメントじゃないかと言われるおそれがある。だから、その先生の指導が嫌なら別の大学の別の先生を選んで受験すればいいだけではないか。それに、院生が居なくなれば、手当や研究費が減るという形で教員にもフィードバックされる。

 教育のうち、基礎的な力を付けるという部分に限って言えば、内容を左右している原因は「教授の能力」ではなく、その専攻のカリキュラムに対する取り組みや、専攻に所属している教員の研究テーマになるのではないか。
 学部の教育では、例えば、理学部の「化学科」であれば、日本全国どこの学部であっても、カリキュラム内容にそう大きな違いはない。ウチの学科では、生物系を強くしてみました、という特徴を出しているが、それでも普通の理学部化学科でやる内容はカリキュラムに組み込まれている。また、学部ではこんな教科書を使う、という相場も大体決まっている。大学に指導要領はないが、ある学科のスタンダードな教育内容については、教員の共通認識となるものがあると言ってよい(文学部はよく知らないが、文系でも法学部では決まってそうだし、理工系は決まってない所の方が少ないだろう)。教え方の上手下手はあるとしても、スタンダードが決まっている場合は、その差が出にくい。
 これが、修士以上になると、スタンダードなカリキュラムや教科書が今のところはほとんど無い。すると、各教員の専門に特化した内容が講義の内容になりがちである。また、修士課程で、講義によってとらなければならない単位は少ない。院の講義を隔年開講にして、見かけよりも教員の講義負担を減らしている場合もある。まあ、こういった要因で、相対的に講義内容の一般的な部分の比率が下がるので、「教授の能力」に左右されるように見えることになる。
 海外で出版されている教科書を見ると、大学院向けというものがいくつかあるし、国内でもそういう教科書が出始めている。ただ、ある分野の院のスタンダードなカリキュラムがどうあるべきかということについては、確かにあまり整備されていないと思う。

 ところで、私が修士向けの講義で何をやっているかというと、複素積分の簡単な使い方、フーリエ変換を使って時間領域と周波数領域の変換、空間座標と波数空間の変換、ブラウン運動の扱い、といったあたりである。これを、分光測定の基礎を説明するという形で説明している。物理の話題のうち、化学でもよく使いそうなものに絞ったつもりである。学部でやるにはちょっと物理っぽ過ぎるのだけど、機器分析から一歩踏み込んで何かしようとすると、もはや物理と化学の差が無くなっているもので……。

 博士課程在学中は、講義による単位はとることになっていたが、時間割が存在しなかった。受講届けだけ出しておけば、単位が出るとのことだった。それでは面白くないし、野次馬根性もおさまらないから、講義があるというタテマエの方をうまく利用して「普段やってる講義かゼミのどれかに入れてください」と先生と交渉して、学部の人類学でやってる講義とか、研究室で毎週やってるゼミとかを見せてもらった。キャンパスが離れているから、本郷に出向くのも気分が変わって良かったし、知り合いを増やしたり情報をもらったりするきっかけにもなった(外部から他分野に潜り込むと、本当に隣は何をする人ぞ状態になるもので)。

 雑用については、軽部研の頃は多かった。が、60人前後居る研究室の切り盛りで発生する雑用だから、みんな仕方がないと思っていた。一番割を食ったのは助手で、雑用のみで一日が終わる状態だった。ただ、それも、潤沢な研究費を維持するためには必要だというのが了解事項だった。
 今は……どうしても人手が要るとき以外は雑用は回していない。人手が要る、というのは、例えば、棚を廃棄処分にする時や、でかい実験用機材が届いた時に、運ぶの手伝ってという場合である。
#教員だけでやると腰を痛める人が続出するのが関の山^^;)。
 お茶大も半講座だったが、教授が助手に雑用を回したら、助手が学生を使ってやろうとしたので、「給料もらってる人がやらんかいゴルァ!」と、教授が助手を叱ったって話ならあったりする。これも、研究室のカラーによるのかもしれない。