Feed

雪が降った……

Posted on 4月 20th, 2006 in 倉庫 by apj

 医学部のキャンパスの桜が満開だったのだが、昼頃から土砂降りの雨で、昼過ぎには雪に変わった。これまでに無かったわけではないが、桜が開花してからの雪というのは、山形では珍しいらしい。弘前からやってきた先生は、弘前では雪と桜と梅が同時なんてこともそうそう珍しくはないと言っていた。

なかなか理想のワープロは無いものだ……

Posted on 4月 19th, 2006 in 倉庫 by apj

 生協で、Mac用の玉小箱というソフトウェアを見かけたので、ウェブでもうちょっと詳しい情報を調べた。ほしいものにかなり近いが、それでもちょっと不足である。
 アウトラインモードを持っている玉手帖 は、なかなかいいんだけど、項目クリックでそのページごとの表示というのがひっかかる。アウトラインを出した状態で文章全体をスクロールして見たい、かつアウトラインクリックで該当箇所にジャンプ、というのが私にとっては絶体外せない機能である。
 編集画面が2つ並んで出て、対訳を作るのに役立つという玉双紙は魅力的なんだけど、保存形式に不安がある。できれば、対訳形式のままでhtmlのテーブルレイアウトか何かで書き出してほしいんだけどなぁ。調べた限り書き出しはtxtとrtfで、一つのファイルになるらしい。rtfで、対訳=2段組左右対照モードで保存できるなら、別のワープロで読み込んでhtmlで保存という手も使えるのだが、rtfでどう保存されるかまでは情報がない。

 結局今のところ、一般教育の講義資料は(内容を見ながら絵を張り込んだりするので)Kacisマイノート2、長い原稿はMellel(Kacisでやってもいいが、最近Kacisのバージョンアップが無いので、乗り換え候補も少しは使わないと……)、数式書きまくりの演習講義ノートはTeX(=テキストファイル、miエディタで編集)となっている。

 MSWord?私にとっては問題外です……。

高校数学の教科書を買ってきた

Posted on 4月 18th, 2006 in 倉庫 by apj

 前回、高校数学とのつなぎの講義を始めて見たら「数IIIも数Cもやってない」と言い出す学生がいた。それで、彼らが一体何を知っていて何を知らないのか調べるために、新課程(=ゆとり教育)の数学の教科書を1セット(7冊)買ってきた。で、いろいろ見ているのだが、数III、Cというと、極限、微積分、行列が入っている。これをまったく知らない学生がいるとすると、そのままでは物理化学の講義が成り立たない。ということで、やってない人でも最低ラインには到達してもらわないといけないので、数IIIの教科書を見ながら講義ノートを作る羽目になっている。微積分の計算だけなら、高校の内容でも結構使えるし、物理化学の教科書を読むのにε-δは不要だし(このあたり、数学の先生に講義してもらうと妙にこだわりがあるみたい)。
 やってないのは数学だけではない。生物を全くやっていませんとか、物理を全くやっていませんという学生が何割か居る模様である。これでは、専門の教科書を使った講義が始まったら即死するのが目に見えている。学生の方もそのことに気づいて不安を感じてはいるようである。物理については最低限のことを前期の後半にやる予定だが、それでも不安な人のために、ブルーバックスの「新しい高校**の教科書」を薦めている(**は物理・化学・生物・地学)。

 高校で科目の内容の選択の幅が広がったために、そのしわ寄せが大学に来ている。普通科については、理系文系の2分割で理系は数学全部と理科の大部分、文系はそこまでやらなくていい代わりに社会やら古典やらを増やす、という程度の区分けに戻せないものか。

環境ホルモン濫訴事件:原告の支離滅裂

Posted on 4月 17th, 2006 in 倉庫 by apj

 先週、第六回口頭弁論が行われた環境ホルモン濫訴事件について。
原告(松井三郎京都大教授)の主張は、原告がシンポジウムで行った発言について、「原告が、環境ホルモンは終わった。次はナノだ」と被告に書かれたことが名誉毀損にあたるというものらしい。原告代理人は裁判官の前で口頭で「環境ホルモンは今でも重要な問題で、原告は環境ホルモンをずっと研究してきた。原告が次はナノだと言うはずもないし言う立場でもない」と力説した。
 しかし……松井教授は、2005年度に、ナノ粒子の有害性をテーマとする科研費を得ていたことが判明した。雑感343によれば、日本学術振興会の科学研究費補助金採択課題・成果概要データベース http://seika.nii.ac.jp/ にアクセスし、「松井三郎」で検索すれば出る。

研究課題名 ナノ素材の毒性・代謝機構とその環境影響評価
研究代表者 松井 三郎  (マツイ サブロウ) 京大・教授

 (;゚Д゚)ハア!?
 次はナノだと思ってるだろ!って指摘されたって、本人がやってることがまさにその通りなんだから、怒る理由が全く無いぢゃないか!つか、次がナノだと思ってないなら、何でこんな科研費申請してるわけ?代理人弁護士はこのことを知ってて「次はナノなんて言うはずないっっっ!」て叫んでたのか?
 毎回毎回予想の斜め上いく裁判で、第六回は比較的穏やかだったと思ったんだが、考えが甘かった。やっぱり今回も予想のかなり斜め上。まさか、ナノ粒子の有害性で研究費をもらっておいて、「次はナノだと言った」と指摘されたことで逆ギレして相手を訴えるなんて……何がしたいのかさっぱりわからん。これで、訴える内容としては、どうひいき目に見ても「環境ホルモンは終わったと言ったと誤解された状態で文章が書かれた」しか残らない。一体この先どうするつもりなのだ?

裁判サイトを作る

Posted on 4月 15th, 2006 in 倉庫 by apj

 環境ホルモン濫訴事件の口頭弁論が昨日行われたので、休暇をとって傍聴してきた。傍聴レポートは既に掲示板の方に簡単にまとめた。書証の公開は現在作業中である。
 応援団のページを作り始めた時は、どう見てもおかしな訴訟であるから、裁判を丸ごと見せてしまえば被告の応援になるだろうという考えの方が大きかった。ネット上で裁判についての議論をしているのを時々見かけたが、訴状が読めなかったり、弁論の内容がはっきりしなかったり、一方当事者の応援フィルターがかかった形で編集されたりしている場合がほとんどであった。すると、議論は、どちらかを応援するという感情的なものになったり、拠って立つものがはっきりしないため水掛け論になったりしてしまう。それは避けたいし、そのためには見に来た人が十分に裁判の内容を検討できなければならないから、一次資料つまり書証の全公開ということを考えた。
 もうちょっと邪な目的を正直に言うと、私個人としては名誉毀損訴訟の参考教材がほしかったということである。訴状や書証を載せた法律の参考書もあるが、教材として編集されたもので、手が加えられているし、名誉毀損をあつかったものは知る限りない。
 ネット上で表現をする限り、名誉毀損で訴えられるというのは、いつでも起こりうることである。そうであるなら、本職の弁護士がどういう議論の仕方で訴訟を進めるのか、あらかじめ詳しく知っておくと対処がしやすいだろう。このためには、現実の訴訟でやりとりされている証拠書類一式が読めると一番良い。法学者からみて訴訟の内容が興味をひかないものであったとしても、現実の社会で起きている紛争である以上、そこから得るものはあるはずである。書証を全部蒐集すれば、名誉毀損訴訟を学ぶための教材が1セット手に入ることになる。もっと言うと、カミソリ弘中謹製の書面が読めるというのが実においしいわけで……。
 今回、傍聴が終わった後、サイトそのものについて少し話をした。被告代理人の弁護士からは、「公開されるとなると緊張感がある」という感想をもらった。酔うぞさんの意見は、「ネット上に傍聴席を作った」というものだった。さらに、裁判の証拠書類を全公開してバーチャル傍聴席にしてしまうようなサイトはこれまでに無かったということである。それなら、応援団サイトの活動は、裁判サイトをどう作るかということに対する一つの回答という意味も出てくるのかもしれない。
 酔うぞさんが既に指摘しているが、原告代理人は、ネット上で裁判について批判されることを嫌がっているようである。
 憲法では対審は公開することになっているのだから、裁判すればみんなに知れ渡るのは仕方がない(特に今回は原告がプレスリリースを出しているので、普通より広まる状態である)。これまでは、書証は裁判所に行かないと見れないし、書証を読んだ人が突っ込んだ議論をする場所もそんなに無かった。ネットのおかげで、書証を見やすくすることができて、意見交換もやりやすくなった。もともと、対審を公開するのは、司法が国民の期待と乖離しないようにみんなの目でチェックしようという趣旨である。だから、ネットを使って裁判の正確な情報を見やすくするのは、対審の公開の趣旨に添っていると考えている。みんなが訴訟の状況を知れば、いろんな意見が出てくるのは当たり前だし、意見交換があるのも当たり前である。これまでは、単に技術的理由で、一部の行政訴訟や集団訴訟的な紛争以外で意見交換ができなかっただけではないだろうか。原告がネットで議論されることを嫌がるのであれば、対審の公開の趣旨をどう考えているのか、一度伺ってみたい。

江戸民具街道

Posted on 4月 14th, 2006 in 倉庫 by apj

 本日、裁判所で解散した後、酔うぞさんとcomさんと一緒に個人運営の博物館に立ち寄った。
おもしろ体験博物館 江戸民具街道
259-0142 神奈川県足柄上郡中井町418
Tel/Fax 0465-81-5339

 江戸時代の燭台、行灯や駕籠、水瓶、消防ポンプ、干菓子の型といったものが多数展示されていた。私は今回初めて見たので、まだどう理解していいかわからない。燭台が、「地球ごま」みたいに二軸で回転する金具に固定されていて、手が震えてもろうそくが一定の位置を保つ仕組みになっているのをさわってみることができた。行灯に菜種油を補給する壺は、補給の時に漏れて伝った油を容器外側のせり出した部分で受け止めて、穴から自然に容器内に戻す工夫がなされていた。当時の普通の人にとって油がどれほど貴重だったかは、こういう工夫を見ないと実感できない。モノが豊富になると、この一手間かける精神はどこかに失われてしまうらしい。
 菜種油の行灯の明るさを体験させてくれた。個人運営の博物館で、部屋を暗くして火を付けてくれた。がんばっても出力は1Wだそうで、思ったより暗い。時代劇でも、夜の薄暗い部屋が演出されているが、あんなに明るくない。和紙を通して明かりを見たら、とても文字など判別できない。直接火に近いところに持って行くとかろうじて文字や形が判別できるという明るさだった。ろうそくは高級品だから、一般家庭ではそうそう使えなかったが、客を取る花街ではたくさん使われていた。当時の人たちにとっては、大量のろうそくが使われている花街は、今でいうならネオンサインぴかぴかでエレクトリックパレードをしている光景のように映ったに違いない。 それでも、ガス灯や電灯に比べれば暗かったわけで、ただ単に街が明るくなったというだけでも、あの時代の人たちは文明開化を肌で感じたのではないだろうか。
 酔うぞさんが興味を持っていたのはお菓子の型で、型を抜くための工夫が、機械の金型と同じ仕組みだだと言っていた。金型工作の経験は全くないので、そういうものなのかと興味深く見てきた。
 天文時計の動態保存がすばらしい。こりゃ国宝級だろうという話をしていた。オールメカニック、おもりを下げておいて、一定速度で降りてくるのを、板に描かれた線の目盛りで読むのだが、GPSでチェックしたら一日の誤差が1秒だったそうで……。

 車で行かないと到達困難な場所にあるが、見学が可能な人はぜひ一度といわず、訪れてみてほしい。電化されて失われた生活の知恵と、今も場所を変えて使われている知恵の両方を知ることができる。

講義ノート製作

Posted on 4月 12th, 2006 in 倉庫 by apj

 1年生向けの、化学で使う数学と物理の講義ノートの初回分を作って、同じグループの教授に回した。LaTeXで作ってpdfに直して情報共有を試みている。それなりに時間がかかるので、先の分も今からやってるけど、学生実験が本格的に始まったらちょっと大変そうである。がんばるしかないのだけど。
 科目名は「基礎化学演習I」。以前にも書いたが、高校の数学の知識だけでは、専門の物理化学の教科書に出まくる偏微分などでとまどうことになるし、物理を選択してない学生も居るから、クーロン力の説明でつっかえて分子間や原子に働く引力などという話に行くまでが大変である。だから、そのあたりを先に解決し、高校と大学の橋渡しをしようという内容である。それでもかなり駆け足で進まざるを得ない。
 いずれ内容は公開するつもりだが、すぐは無理である。前半の数学部分をまだ編集中なのと、例題や演習問題の全てを製作するだけの余裕が無くて、既存の本のものを使っている部分があるためである。また、学生にどう説明するかといった内容を注釈として付けているので、公開すると思いっきりネタバレしそうな気がしないでもない。ただ、希望者にはこっそりメールで送って見てもらうことは考えている。

 まあ、私のやった後、それを使って熱力学や量子力学を教えるのがウチのグループの教授二人なので、何をやったか伝えて、必用な事が抜けないようにしないといけない。自分だけでやってる時は手書きのきったねぇメモ書きノートでも良かったのだが、今回はノートの整理に手間をかけることになってしまった。

別の意味で期待

Posted on 4月 11th, 2006 in 倉庫 by apj

 掲示板より。TOSSの出している機関誌「教室ツーウェイ5月号」の目次より。

斉藤一人さんのいう「指導霊」はきっといる/野々村 由美

 買い物に出たついでに本屋を確認したがまだ出ていなかった。今月は「買い」だと思うw。しかし、宗教団体の雑誌ならともかく、教育雑誌で「指導霊」という単語が登場するとは……別の意味で期待が高まってくる。

ガイダンス

Posted on 4月 10th, 2006 in 倉庫 by apj

 新年度恒例のガイダンスなので、朝からお茶の準備をしていた(といっても、ティーバッグを買ってきてポット一杯に湯を沸かしておくだけ)。
 ウチの学科では、以前から、学生2,3人を一人の教員がアドバイザーとして担当するという制度を作ってやっている。相談一般の窓口になるのがアドバイザーの役割である。2,3年に関しては、半期ごとに成績表を手渡しして様子を見るということをしている。たまに、途中で来なくなって留年したりする学生が出ると、本人に連絡をして状況を訊いたり、場合によっては家族に連絡しなければならないことがある。
 新入生については、4月の全体ガイダンス修了後に少し時間をとって、時間割編成の相談にのったりチェックをしたりする。大学の講義は、自由に選べるようにみえて実は不自由である。教養部が無くなってから、1年次に学部の必修科目が入っている。英語と外国語は履修する組み合わせが決まっていたりするし、情報処理は教室の都合で学科指定がある。絶対にとらなければならないものを先に埋めてから、空いている時間に一般教育を埋めることになる。しかし、選択できる一般教育科目といっても、各分野から最低2単位以上とか、ある分野に偏りすぎてはいけないといったルールがあって、慣れないと結構ややこしい(毎年細かいところが変わるので、説明役の教員は事前に集まって勉強会をしているので、教員だって慣れなくてややこしい思いをしている)。講義によっては受講人数上限が決められているので、その場で抽選になることもあり、はずれると別のを探さなければならない。このあたりを最初によく説明し、「必修をまず先に埋めろ、遅れると抽選に参加できなくなることがあるから最初は特に遅刻するな」と言っておくことにしている。特に今年は、ガイダンスの翌日から授業開始で、選択科目についてゆっくり考える余裕がない。
 ともかく、高校からやってくる学生は「単位をとる」ということが既に「専門用語」でよくわかってなかったりするので、全体のガイダンスでは大学のシステムの説明からやっている。個別のガイダンスでは、ちゃんとわかってるか確認しながら、時間割編成となる。
 学生に対する確認の重要なものの1つは「友達つくったか?」である。講義を休んだりしたときに、気軽にノートを見せてもらったり講義の様子を訊いたりできる友達が何人か居れば、多少成績が悪かったり単位を落としたりしてもリカバリーできる。最初に友達を作り損なって一人だけになってしまうと、大学に出てこなくなってそのまま、ということになりやすい。

 ともかく、時間差で学生が研究室にやってくるので、朝からお茶の準備をして待っていた。全員顔を見せてくれて、それなりに元気にやっているようなのでちょっとほっとした。

ビブロス倒産、何かが違う

Posted on 4月 9th, 2006 in 倉庫 by apj

 出版社のビブロスが倒産したことに関する東京新聞の記事。以下に貼り付けておく。

自費出版 ある専門会社の倒産

 多少なりとも表現欲がある人ならば、自分の著書が世に出ることは究極の夢かもしれない。「自分史」ブーム、ブログの流行も影響してか、お金を出してでも自分の本を作りたいという自費出版の世界は今、急速に拡大している。しかし、出版社側は著者のその熱い思いをどれほど受け止めているのだろうか。ある自費出版専門会社の倒産劇から、実態を探った。 (大村歩)

 「もう貯金もないが、足りなければ退職金もつぎ込むし、どうしても困ったら自殺して保険金で出版費用を出す。とにかく、今ここで本を出さなければ自分の生きてきた意味がない」

 関東地方の公務員(58)はこう熱弁を振るう。

■“共創出版”

 昨年末、二百万円を支払って初の自著を出版した。出版元は碧天舎(東京都千代田区)。同社は以前、別の業態の出版社だったが、約四年前、“共創出版”という自費出版の一種が主な事業の会社として再スタートしていた。二〇〇五年九月決算期には約六億円を売り上げていたが先月末、負債総額約八億五千万円を抱え、破産宣告を受けた。

 公務員は今月、三百万円かけ別の同業他社からも本を出した。さらに、六月には仏教関連の上下巻本を碧天舎から出版する予定で、同社に四百万円を振り込み済み。実に九百万円以上を費やした。

 「一冊目も二冊目も妻にえらくしかられた。だから上下巻の分は妻には秘密」

 この公務員のケースはかなり極端だが、碧天舎倒産により多くの著者が「多額の出版費用を払ったのに本が出ない」と被害を訴えている。

 こうした中で六日、同社の債権者説明会が都内で開かれた。複数の参加者によれば、約三百五十人の著者が集まり、怒りがぶつけられたという。

■『詐欺だ!』

 山本裕昭同社社長は「私自身の経営能力がなかった。みなさんには本当に申し訳ない」と頭を下げたが、会場からは「逃げるな!」「詐欺だ!」「ふざけるんじゃない!」と怒号が飛び、山本社長につかみかかる人もいた。

 「作品を出すのに二十五年間かけた」(八十歳代の男性)「まだ費用をローンで支払っている。本が出ないと知り不眠症になっている」(女性)「躁(そう)うつ病にかかりそのことを書いた。ここに立っているのもいっぱいいっぱい」(若い男性)-と悲痛な声が相次いだ。

 倒産が近いのに、出版契約を急がせて費用を支払わせたのではないか、という疑念も会場に渦巻いた。

 実は、同社は昨年末から今年一、二月にかけ、「出版費用の三分割支払いのうち、二、三回目をまとめて払うと5%を割り引く」というキャンペーンを行っていた。関係者によれば、社内で「早く回収を、という指示があった」といい、上層部に倒産危機の認識があったともとれる。

 「費用があまりに高額で一度は断念した。しかし、知人が原稿を見て出すべきだと百万円を出資してくれ、一月下旬に契約した。そのころには危ないと分かっていたはず」(高齢男性)「最近まで公募雑誌で原稿を公募していたし、破産後もホームページ(HP)が更新されていた。ギリギリまでだまそうとしていたのか」(男性)

 山本社長はこうした声に対し説明会で「碧天舎は創業以来基本的に赤字基調だったが、私が経営する別の優良企業から五億円をつぎ込んでいて何とかやれると思っていた」と疑惑を否定。費用を払い込んだのに未出版の人は約百人で、返金はできないと説明した。

 確かに山本社長が別に経営していた出版社「ビブロス」は男性同士の恋愛を描く「ボーイズラブ」漫画の大手。だが同社も五日、東京地裁に自己破産を申請し“オタク”女性たちに大きな衝撃を与えている。

 碧天舎の破産管財人は本紙の取材に「碧天舎の破産申立書によれば、最近、急速に資金繰りが悪くなったと言っている。実際の業務に当たっていた元従業員と連絡が取れず、著者や著者の作品取り扱いをどうするかは今後の問題だ」と見通す。この点について山本社長の見解を碧天舎側に問い合わせようとしたが、電話すらつながらない状態だ。

 ところで、そもそも“共創出版”とは何か。同社HPによれば「流通するだけの質を有しているが、実際に出版しないと読者の反響が分からない作品を、著者費用負担で、出版社の広報力、書店流通機能などの付加価値を利用していただき、書店流通本として出版させます」という。

 通常の本は出版社から取次会社を経て書店に並ぶ。自費出版では取次会社を経由できず、書店売りできないのがネックだが、“共創出版”の場合、取次会社を通り、書店売りできるのが最大の売り。事実、この点にひかれた著者は多い。

 「共同で出版するイメージ。碧天舎側も応分の費用負担をしているのだろうと思った」(関西地方のある著者)。ただ、多くの著者は自分の本に対して同社がどれだけ費用負担をしたか明確に聞いてない。また、書店売りで実際にどれだけ売れたのかも、問い合わせなければ知らされない。

 一方で、碧天舎は定期的に自社主催の作品コンテストを開催し、広く作品を募集していた。その範囲は文芸作品から写真まで細分化され、十数種類ある。“共創出版”を決意した人の多くが、このコンテストの応募者だ。「二次審査で落選したが、あなたの作品はすごい、世に出さないのはもったいない」などと“激賞”され、その気になった著者は少なくない。

 「出版プロデューサーという肩書のすごい美人が、目のやり場に困る服を着て説得してきた。私は七十四歳でもう何とも思わないが、若い男性には効果があったのでは」(関東地方の男性)という声もある。

 さらに、百万円から二十万円程度の値引きがある「特別価格」が特に理由もなく適用され「定価の意味は?」と疑問を抱く著者もいる。手元資金がない著者のための提携ローンまで用意されていた。

 もっとも、こうした出版形態は、実は碧天舎が元祖ではない。他の出版社が生み出したものだ。

 ある出版社社長は「この形態は、会社の利益も広告費用も含めてすべて著者が負担していると考えた方がいい。取次会社を通る以外、実態は自費出版と何も変わらないと思う」と断じる。

■入れ食い 

 社長によれば、例えば百万円で五百冊作るという場合、本の質を保ったままで五十万円で作ることができるという。「出版の世界はブラックボックスが多く、適正価格がない。コンテストも集客システムで応募者はつまり顧客候補。入れ食いの釣り堀みたいなもので逃す手はない」と話す。

 碧天舎の著者の多くは、原稿を取り戻して別の自費出版社から出版することを希望する。説明会で、同社代理人弁護士は、同業他社に原稿データを引き継ぐ交渉をしていることを明かした。ただ、関係者によれば、編集作業の進み方は千差万別で、引き継いでも出版するのは困難だという。

 今後、来年には団塊の世代が大量退職するため、半生を振り返ったり、仕事の集大成として自費出版を考える人は増えるとみられる。

 月刊「創」編集長の篠田博之氏は「通常の出版とはプロの編集者がいい書き手を見つけて本を一般に売って商売とする。しかし自費出版は著者イコール客というビジネス。根本的に仕組みが違うが、著者の方に『もしかしたら売れるかも』という幻想があるし、出版社側はその幻想を利用している」と指摘。その上でこう警鐘を鳴らす。

 「文章をブログなどで公表する人が増えてきた。今や一億総表現者という時代。そこに目を付けて拡大した分野だが、過当競争になって利益が落ちたり、社会的信用がなくなれば急速にしぼむだろう。著者も自著を出したいという情熱は分かるが、本来、出版という事業にはリスクがあることをよく考えた方がいい」

 ビブロスのBL本は買った記憶が無いが、「超人ロック」シリーズは何冊か持っている。
 それはともかくとして、自費出版にどうしてそこまでの金額を突っ込んでいるのか?というあたりが謎である。ちょっとぐぐれば、A5版同人誌の印刷価格は、たとえば「栄光」だとこんな値段でやってくれる。250ページのものをオフセット印刷で100部作っても10万円以下である。まあ、ソフトカバーのコミケで売ってるようなものを作る場合の料金だから、紙の質を変えたりカラーを入れたりしたら値段が跳ね上がるだろう。しかし、売れるかどうかわからない本であれば、常識的に考えて最初は100部くらいから始めるものだろうし、10万円ならそんなに売れなかったとしても、痛手も少ないと思われる。記念にハードカバーの上製本にしようなどと考えるのは趣味の問題だが、本は読まれてナンボだし、おかしなこだわりを捨ててニッチなところで勝負するつもりで低価格路線を狙えば、そうそう大損もしないと思うのだが……。
 もう一つの疑問は、売れるかどうかわからない本を書店売りするためにコストがかかる、という設定になっている部分である。少部数発行なら書店に配るよりもネット通販した方が効率はいいし、本当に読みたい人に売れるのではないか。書店売りするとなると、膨大な新刊書に埋もれるリスク、書店に配置するために必用な初期発行部数が多い(空振りすると大量在庫を抱える)というリスクを背負うことになる。自費出版の本を売りたければ、一般の書店に出すことを考えるよりも、amazonの検索リストに入れてもらうことを考えた方がよさそうである。あるいは、自費出版本を宣伝する専用のサイトを作るとか、個人のウェブサイトで宣伝してぐぐった時に通販があることがわかるようにしておく、という方法でもよい。なぜ、書店売りにこだわったのだろう?
 ともかく、この記事を読んで感じたのは、今コミケで売る側に居る人々との落差であった。今同人誌を売ってる人々は、一つの作品に二十五年もかけない(それどころか春夏秋冬と即売会に出すため趣味なのに締め切りに追われまくっていたりする)し、コンテストに応募することなど考えず書きたい読んでもらいたいという欲求に忠実に本を作っている。つまり、一方には自費出版を気軽にやっちゃう人々が大量に居るのに、もう一方に「本を出すのは特別なこと」と思ってる人々がいて、後者の幻想あるいは夢に乗っかった商売をしていたのではないか?と思えて仕方がない。