ちょっと前に書いた「昼過ぎに電話があって……」とか、向こうの掲示板でのやりとりとかのまとめ。今期はパンキョーの科学リテラシー1回休みなので、時間に余裕があるから次のための仕込みをしておく。他にも書き物を抱えているのでそのためのメモも兼ねて。ニセ科学にありがちな主張を○印で示した。なお、以下に列挙したものを「公理」と呼ぶと数学屋さんが顔をしかめそうだが、まあ思考のお遊びということで大目にみてほしい。
仮称「幽霊見たってええじゃないか、の公理」(幽霊否定派でも肯定派でもないことに注意)
公理1)人間にとって「自分だけが認識できること」は、ごく普通にある
公理2)「自分だけが認識できること」の内容・パターンは、人間同士なら似通ったものになる場合がある
公理3)「自分だけが認識できること」は客観的真実と一致しないことも多く、その場合、任意の他人と共有することはできない
公理4)公理1-3の「認識できること」を客観的事実と一致させて生まれたもの、及びそうするためのルールが科学である
公理5)客観的事実を決める過程では、公理1-3の事実は、誰でも確認できる検証にかけられる。このとき、多数の人々の歴史的な活動に基づく経験が利用され、それは大抵の場合、個人やある団体の主張する経験よりも圧倒的多数である。
○理論よりも体験、経験を重視する
→公理1-3の体験や経験は、そもそも他人にはあてはまる保証はない。
○科学は理論より事実が大事
→「事実」が上記の公理1-3に当てはまっている場合はだめ。科学にとっての事実は、どんな他人とでも共有できる事実でなければならない
○個人的な知識や経験でミラクルな主張・効果を否定しているのでは?
→公理4、5より、科学を使う場合は、個人的な知識や経験ではなく、長い歴史・大勢の人々の知識・経験を使って判断することと同じである。(科学を「学習」するのは個人の活動なので、誤解が生じることがある)
○今の科学では説明できない現象が生じる
→公理1-3の現象は、最初から科学による説明の対象外である
○論文があることを要求するのは学者の論理、象牙の塔の論理である
→公理4-5の科学に、客観的経験の1つとして追加するための単なる手続きに過ぎない(実際、学術論文は誰でも書いて投稿してよいし、内容のみで審査される)。
○意外なところからブレイクスルーがあるものだ
→単なる言ってみただけの主張で認められたブレイクスルーなどない。最初は認められなくても、きちんと観測事実を記載し、誰でも経験できるようにしたものの一部が生き残ると、歴史的なブレイクスルーとして認められることになる。
○「人に言われたことを鵜呑みにするのではなく、自分で確かめてみる。」のが科学者だ
→科学=大勢の客観的経験と異なった主張は、受け容れるにはそれなりの根拠が必要だ。闇雲に実験しても得るものはない。
○自分の感覚だけではない実験(動植物などを使う)をしている
→対照実験が抜けているというオチ
○主張の全てが常に起きるわけではないが、ゼロではない
→どの程度の確率でものごとが起きるかという話は科学で扱えるが、その場合、ある特定の事象が起きた理由を説明することはできない。放っておいても起きることは、一定割合で必ず起きる。珍しくも何ともない。
○科学よりも技術が重要だ
→科学の裏付けのない技術は無力。何か一つ条件が変わったらそれだけで通用しなくなる可能性が高い。科学的知識になっていれば、実現すべき目標がはっきりしているので、そのための技術的工夫を手を換え品を換えすることになる。
○科学的知識に反していても、魅力的で大事なことが起きるのだから受け容れるべき
→ガセネタに慌てて飛びついて被害を受ける可能性が高い
○実験してみろ
→主張する側が先にやって条件と結果を明確に示せ。こちらが先にやって結果が出なかった場合、実験条件が良くないなどと言われる余地があると、いつまでも決定打になる実験ができない。
○今の科学でわからないものがあるはずだ
→公理1-3のカテゴリのものについては、未来の科学でだってわかるはずがない。
○今の科学ではわからないが、「波動測定器」だと評価できる云々
→公理1-3を素直に認めてしまえば、客観的経験にならない経験を他人と共有するために、別のフィクションを持ち込む必要などなくなる。
「経験は絶対だ」という強固な信念の方を、まずは突き崩さないといけないのかな。「真理の探究が大事」「人間の好奇心に基づく」とか、科学が大切な理由の言い方はいろいろありそうだが、ぶっちゃけ「テメェの経験なんざアテにならねェからだ」が本当のところかもしれん。