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今月号のパリティは2度おいしい

Posted on 10月 31st, 2006 in 未分類 by apj

 物理の雑誌の「パリティ」。おいしい話題の1つ目は、「舌触りのよいチョコレートのつくり方」で、レオロジーの話題を紹介している。具体的にどうすべきというところまでは踏み込んでいない。ただ、食感をどうやって物理的に評価するか、ということなら、食品工学の話題だが、これは昔からの「家政学部」が手がけていて、普通の大学の理学部や工学部が関わることの少ないネタである。レオロジー+食品工学で内容を作れれば、「おいしい物理学」ってな、タイトル通りの内容の一般向け講義ができそうな……。

 もう一つの話題は、男女共同参画企画で、元お茶の水大教授の伊藤厚子先生が、どうして物理を選んだのかをまとめておられる。高等学校での学力到達度に男女差があったが女子ががんばって挽回した話や、会社に就職しようとしたら当たり前のように男女別賃金が提示されていた話は、今では想像がつかない。大先輩たちのがんばりがあって、一応はあからさまな差をつけられなくて済むようになったのだろう。
 このあたりは意識の差もあって、私の数年上の先輩あたりまでは職場で苦労している。給料や待遇で差別はなかったものの「女性の教員が来たからもう秘書は雇わなくていいよね」などと言われて「どうしてそうなるんですか」とやんわり反論して意識を変えてもらう努力をしたり、ということはあって、ストレスになっていたらしい。
 女子学生を理系へ、というのは国をあげてやっていて、 「女子中高生理系進路選択支援事業」採択機関の決定についてなんてのもある。楽しそうな企画がたくさんあるし、理系の内容に親しんでもらって敷居を引き下げる効果もありそうだ。ただ、女性が理系を選んだ時のロールモデルに、修士課程くらいまでの女子院生ならともかく、女性の大学教員を持ってくるのはどうかと思う。
 大学や独立行政法人の研究機関のポストが圧倒的に少ないし、今後増える見込みもないので、博士号取得者が最終的にどうなるかさっぱりわからない状態である。これは男女差がもはや問題にならないほど厳しい。ポスドクで数年食いつなぐことができても、その先の保証は何もない。ポストの数が少なすぎる上に増える見込みもない(だからなれる可能性自体が非常に少ない)ものや、身分が不安定すぎるものをロールモデルにしても、見抜く力のある人は逆に見切りをつけるだろうし、見抜けず乗せられた人には悲惨な未来が待っている。どちらにしてもあまりいいことがない。
 修士くらいまでで企業に就職し、技術者としてそこそこ安定した生活をして、仕事の面でも充実しているような人達をどんどん紹介した方が、女性が理系を選んだときのロールモデルとして望ましいのではないか。博士号をとったひとを紹介するなら、きちんと企業から派遣されて、生活の心配なく取得できたケースを見せる。そういう人達なら(大学教員を探すよりは)数も増えてきてるし、「普通に頑張れば私にもなれる」と思える対象じゃないかなぁ。

 いやね、もし「私のキャリアをマネする」と言い出す女子学生がいたら、まず間違いなく「止めとけ」って言うよ、実際。途中で脱落する可能性の方が圧倒的に高い道を、未来のある若者に薦めることなんかできないし。どうしても学位を取りたい人には、「絶対新人として会社の正社員に就職しろ、できれば一部上場あたりの会社」って薦める。ポスドクは増やしてはいるけれど、3年で契約期間が切れて、次はどこで仕事をするか分からず、途中でボスに何かあったらそれだけでいろいろ危うくなるし、何か病気にでもなって療養が必要になったら即アウトだから、「科学技術立国」「人材流動化」の実態は「とんでもない底辺ブルーカラー、不安定雇用の巣窟」なのね。ただ、世の中では少数派の高学歴に属するから、ブルーカラーだとは思われないし思いたくないだけなんだろうけど。だから、「フリーターと紙一重でも人生棒に振ってもいいからやる」というならご自由にどうぞということになる。

学内の場合はクレームが直接こない

Posted on 10月 31st, 2006 in 未分類 by apj

 このblogをやり始めて1年以上経つ。で、その間に、「これはまずいんじゃないの」という指摘が学内から何回かあった。私にも至らないところもまだまだあるから意見をきいて修正したりもした、ただ、納得いかないのは、「手を回す」やり方でクレームが来るというところで、これは常に共通している。
 管理者のメールアドレスを書いてあるのだから、直接メールしてくればいいのに、「学科長経由」でくる。内容にもよるが、誰が言ってきたかを訊こうとしても、隠されてしまう。クレームを出してる側が名前を特定されたくないためにわざとやってるんじゃないかと思ったりするわけで、かなり気持ちが悪い。大学でやってる以上、しょうがないのかもしれない。
 今では、レンタルサーバも安くなってるし、いっそblogだけ外のプロバイダに出してしまえば、直接連絡する以外に方法は無くなって、すっきりするかもしれない。
 はてなのアカウントもちゃんと持ってるけど、使ってない理由は、何かあったときに過去ログの移転が面倒だからということに尽きる。自前サーバでスクリプトを動かしておけば、ログファイルは何かあってもftpでサルベージできるし、機械的な変換も可能である。PHP4なら普通に使えるレンタルサーバ屋さんもあるし、思い切って移転させるかな。

 容量調べたらスクリプト込みで111MB。1GBもあれば当分大丈夫だろうし、さくらインターネットだとスタンダードで年間5000円で運用できる。gTLDドメインが年間1800円、汎用jpドメインなら3800円。今、環境ホルモンの方で使ってるサーバが若干高めなので、裁判が終わったら、ドメインは維持しつつサーバを安いのにするつもり。だから、マルチドメインで運用できる1GB-1.5GB程度のものがあれば、まとめて安くあげられそうである。
 あとはドメイン名だが、このblogだけ出すのに使ってぴったりの名前、何かいい案ないですかねぇ。

想定問答集(1)

Posted on 10月 31st, 2006 in 未分類 by apj

 ちょっと前に書いた「昼過ぎに電話があって……」とか、向こうの掲示板でのやりとりとかのまとめ。今期はパンキョーの科学リテラシー1回休みなので、時間に余裕があるから次のための仕込みをしておく。他にも書き物を抱えているのでそのためのメモも兼ねて。ニセ科学にありがちな主張を○印で示した。なお、以下に列挙したものを「公理」と呼ぶと数学屋さんが顔をしかめそうだが、まあ思考のお遊びということで大目にみてほしい。

仮称「幽霊見たってええじゃないか、の公理」(幽霊否定派でも肯定派でもないことに注意)
公理1)人間にとって「自分だけが認識できること」は、ごく普通にある
公理2)「自分だけが認識できること」の内容・パターンは、人間同士なら似通ったものになる場合がある
公理3)「自分だけが認識できること」は客観的真実と一致しないことも多く、その場合、任意の他人と共有することはできない
公理4)公理1-3の「認識できること」を客観的事実と一致させて生まれたもの、及びそうするためのルールが科学である
公理5)客観的事実を決める過程では、公理1-3の事実は、誰でも確認できる検証にかけられる。このとき、多数の人々の歴史的な活動に基づく経験が利用され、それは大抵の場合、個人やある団体の主張する経験よりも圧倒的多数である。

○理論よりも体験、経験を重視する
→公理1-3の体験や経験は、そもそも他人にはあてはまる保証はない。
○科学は理論より事実が大事
→「事実」が上記の公理1-3に当てはまっている場合はだめ。科学にとっての事実は、どんな他人とでも共有できる事実でなければならない
○個人的な知識や経験でミラクルな主張・効果を否定しているのでは?
→公理4、5より、科学を使う場合は、個人的な知識や経験ではなく、長い歴史・大勢の人々の知識・経験を使って判断することと同じである。(科学を「学習」するのは個人の活動なので、誤解が生じることがある)
○今の科学では説明できない現象が生じる
→公理1-3の現象は、最初から科学による説明の対象外である
○論文があることを要求するのは学者の論理、象牙の塔の論理である
→公理4-5の科学に、客観的経験の1つとして追加するための単なる手続きに過ぎない(実際、学術論文は誰でも書いて投稿してよいし、内容のみで審査される)。
○意外なところからブレイクスルーがあるものだ
→単なる言ってみただけの主張で認められたブレイクスルーなどない。最初は認められなくても、きちんと観測事実を記載し、誰でも経験できるようにしたものの一部が生き残ると、歴史的なブレイクスルーとして認められることになる。
○「人に言われたことを鵜呑みにするのではなく、自分で確かめてみる。」のが科学者だ
→科学=大勢の客観的経験と異なった主張は、受け容れるにはそれなりの根拠が必要だ。闇雲に実験しても得るものはない。
○自分の感覚だけではない実験(動植物などを使う)をしている
→対照実験が抜けているというオチ
○主張の全てが常に起きるわけではないが、ゼロではない
→どの程度の確率でものごとが起きるかという話は科学で扱えるが、その場合、ある特定の事象が起きた理由を説明することはできない。放っておいても起きることは、一定割合で必ず起きる。珍しくも何ともない。
○科学よりも技術が重要だ
→科学の裏付けのない技術は無力。何か一つ条件が変わったらそれだけで通用しなくなる可能性が高い。科学的知識になっていれば、実現すべき目標がはっきりしているので、そのための技術的工夫を手を換え品を換えすることになる。
○科学的知識に反していても、魅力的で大事なことが起きるのだから受け容れるべき
→ガセネタに慌てて飛びついて被害を受ける可能性が高い
○実験してみろ
→主張する側が先にやって条件と結果を明確に示せ。こちらが先にやって結果が出なかった場合、実験条件が良くないなどと言われる余地があると、いつまでも決定打になる実験ができない。
○今の科学でわからないものがあるはずだ
→公理1-3のカテゴリのものについては、未来の科学でだってわかるはずがない。
○今の科学ではわからないが、「波動測定器」だと評価できる云々
→公理1-3を素直に認めてしまえば、客観的経験にならない経験を他人と共有するために、別のフィクションを持ち込む必要などなくなる。

 「経験は絶対だ」という強固な信念の方を、まずは突き崩さないといけないのかな。「真理の探究が大事」「人間の好奇心に基づく」とか、科学が大切な理由の言い方はいろいろありそうだが、ぶっちゃけ「テメェの経験なんざアテにならねェからだ」が本当のところかもしれん。