需要と供給を無視するからいけない
就職難の博士たちへ、国立8大学が企業との交流サイト
国立8大学が、インターネットの“社交場”と言われる「ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)」のウェブ・サイトを独自に運営することになった。
就職難の博士たちを支援するためで、近く本格サービスを開始する。
大学院博士課程修了者(ポスドク)は、「視野が狭い」「柔軟性に欠ける」などの理由で企業から敬遠されがち。東工大の調査では毎年、国内の約1万4000人の修了者のうち、5割程度しか就職できない。
北大、東北大、東大、名大、京大、阪大、九大と東工大の工学部が開設する「大学SNS」は、交流によって“浪人博士”たちの関心の幅を広げ、企業との接点を増やすことを狙う。
(読売新聞) – 11月5日12時49分更新
「5割程度しか就職できない」といっても、その5割のうち、任期なしの職を得ているのは一体何割なのか。任期付きのポストだったら、任期が切れればまた無職に逆戻りだから、数年後には就職できない方にカウントされることになる。まず、数字として「5割」は多すぎではないのか。
こんなことになったのは、大学院重点化を政策的にやって、需要もないのに供給だけ増やしたからだろう。重点化の前頃には、OD問題は大体解消していた。それを政策的に復活させたのが大学院重点化である。
企業は必要な人材なら採用するだろうから、博士課程の定員増が、もし「博士取得者の企業採用増→大学や研究機関のスタッフの確保が難しくなる→博士課程の定員増」の順番で起きていて、定員の増加が適切であったなら、こんな問題は生じなかったはずである。実際には、企業側は景気の変動もあってそうそう採用はないし、大学は少子化で定員削減がかかり続けているし、独立行政法人の研究所も定員削減の方向にある。
どう考えても定員増を決めた時の需給見通しが大甘だったわけで、今困っている人達の救済策は別に行うとしても、当分の間供給側を絞る以外に、解決する道はないのではないか。
博士の就職支援のサイトに「博士の生き方」というのがある。タイムリーに「第40回:学部生の就職と大学院生の就職」「第41回:博士の望む就職先」が掲載されている。40回からいくつか引用してコメントしておく。
博士課程に関しても、それが大学教員・公的機関の研究者の養成課程となっていることについて、そのことが毎年1万人以上の人たちをひき付けている(全員とは言わないまでも大学に残りたいと思って入学してくる人は私の実感としても、次回に示すアンケート調査の結果を鑑みても、多いと感じております)ことを考えると、そのことが博士課程の魅力なのではないかと考えることもできるのではないかと思います。
その「魅力」を判断する際に、「十分な情報が与えられていたか?」は問題にすべきだろう。
博士課程の現在もっている魅力をより高めるために、現在、大学教員になるためのしきいはきわめて高くなっているとは思うのですが、そのしきいが本当に高いということを明確し、それにチャレンジすることは人生を損ねることではないしすばらしいことなんだと示すことが一つの方法なのではないかと感じております。
というのはもっともだが、博士課程に進学を希望する学生に対して、この厳しさをきちんと数値で示している人がどれだけ居るのか。今、研究室を主催して博士課程の院生を指導しているのは、おそらく私より数年上以上の世代だろうが、その世代はちょうどOD問題が解決に向かう頃に大学に職を得た人達で、今の状況に対する認識が甘いのではないかと思う。自分たちが就職できた頃の成果やら業績やらを基準にして、安易に進学を薦めているのではないか?
自分で人生を選んできた方々に対していまさらいろいろな可能性があるんだよと説くことは余計なおせっかいなような気もしますし、可能性として示されている職業がそれほど魅力的に映らない場合が多いという問題もあるように思います。博士課程の学生が多様なキャリアパスを歩まないといけないということは、そのこと自体が博士課程の魅力を減じてしまうことにもつながってしまうのではないかと危惧をいたします。
人生を選ぶにあたっての情報が十分に示されていれば、いろいろな可能性があると後から説くことはお節介かもしれない。しかし、私にはそうは思えない。大学院重点化の時のふれこみは、教員や研究者に特化した人材を養成するというものでは無かったはずだ。むしろ多様なキャリアパスを選ぶこと、それが主に企業への就職だったり起業だったりするということが前提とされていたのではないか。そのことが十分伝わっていなかったから、相変わらず理学系と農学系で研究者・教員指向が続いているということではないのか。つまり、十分な情報が伝わっていないから現状のようなこことになっているという理解も可能である。もし、多様なキャリアパスを歩まなければならないという理由で博士課程の魅力が減るなら、それはそれで最初の重点化の狙いに一致するのだから、問題はないと思う。それで進学者の数が減れば、需要と供給は一致する方向に向かう(勿論、初期の頃に進学して職を得られず不安定なままおかれている人達への救済策は必要だろう、政策的に作り出されたものだから)。
41回で述べられている、アンケートからまとめた望ましい就職先の平均像は
まともな研究開発のできる大企業か中規模の企業で、給料は修士卒同年齢よりも高めかせめて同程度、職種としては研究開発職、仕事内容としては、興味の持てる仕事か専門性の生かせる仕事、そして雇用条件としては終身雇用という形が得られます。
と、まあ尤もなものになっている。
現状では、平均より3年余計に学費を払い、その間の収入は一部(学振など)を除いて無く、修了してからは任期制の職ばかりで3年に一回転職を強いられ続け、アカデミックやら研究機関やらに職を得られるのはそのうちの一部だけ、残りは企業への就職を考える頃には企業の好む年齢をとっくに超えていることになる。途中でケガや病気をしたら、社会保障が弱い状況に置かれているので大ダメージ必至である。それでも「高学歴」「好きでやっているから」「意義があるから」という価値観でもって研究に邁進する……というと聞こえはいいが、雇用という面から見ると、ちょっと前に紹介した、バイク便ライダーの世界とちっとも変わらない。やってることが、体を使ってバイクを転がすか、頭を使って研究をするかの違いだけに見える。イヤなことに、脱落した人間が完全にその世界から消え去るというところまでそっくりである。「人材流動化」「研究の活性化」を謳うときに「雇用問題である」ということが表だって出ないように誘導されたのは、やはり意図的にやられたことなんだろうか。
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