「理論的に解明」
数日前から、ある方とメールでやりとりをしている。水関係の質問を書いてこられたので、私にわかる範囲でいろいろお答えしている。その中で、ちょっと気になるフレーズが登場した。触媒がからんだ化学反応の話をしていたら、触媒の効果やら反応やらについて「理論的に解明されていますか?」と書いてこられたのだ。
これには、何と答えていいかわからなかった。それで、化学反応は、平衡論・速度論・反応論といった視点から理解がすすんでいて、平衡論は大体わかっているが速度論になると速度定数の測定はできてもある特定の値になる理由の説明は困難で、反応論になるともっとわかっていないことが多い、といったことを書いて説明した。
ただ、こういう質問が出てくるとういことは、科学に対する、別の意味でのイメージの混乱があるように見える。
ある自然現象があったときに、
・それを観測事実として確定させる作業(勘違いやミスではなく、確かに誰でも追試できるだけの条件出しがをする)
・その現象を説明する作業
→既存の理論(というよりもむしろ法則、枠組み)を適用して説明する
ということができると、科学としての取り扱いではまあまあ理解ができたかな、ということになる。ただし、理論は、もっといいものが出てくればそちらが使われることになるかもしれない。
理論がないと見つけた自然現象が使えないか、というとそんなことはない。観測事実として確定すれば、それを応用した技術は作れる。自然現象の発見が先で、理論がずっと後ということだってある。逆に、先に理論があって後から実験で確認、という逆のパターンもある。ところが、いずれの場合も「理論的に解明」というのとはちょっと違う気がしてしかたがない。実験が先にあって説明が後になった場合、最終的に理論で説明できたとしても、実験事実と説明の両方で理解を進めたわけだから「理論的に解明」ではないし、理論が先にあって実験待ちの場合は、「実験的に証明」は有り得ても「理論的に解明」とはならない。「理論的に解明」とはどんな状態をイメージすればいいのか?というところでちょっと困ってしまった。科学は理論の固まりであるというイメージが強いのだろうか。
- » Continue reading or コメント (0)