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本日は大学に泊まり

Posted on 2月 15th, 2007 in 倉庫 by apj

 明日が博士前期課程論文公聴会。9:00スタートだが、発表の準備などの係に当たっている。山形は昼過ぎから雪で、順調につもりつつある。つまり明日のバスはダイヤが乱れて遅れる可能性大。でも絶対遅れちゃいけないので、今晩は大学に泊まり。
 終夜実験当たり前の生活してたから、泊まるための準備(マットとかシュラフとか)はしっかり部屋に確保している。例年、入試業務で早朝に招集がかかったときは前日は泊まり込むことにしている。

鳥が大集合している件

Posted on 2月 13th, 2007 in 倉庫 by apj

 アパート敷地と道路の境界に沿って木が植えてあるのだが、日曜日あたりからそこに鳥が集まってきて夜中まで泣いている。日暮れ時になるとお互い点呼してるのか無事を確認しあってるのかめちゃくちゃうるさい。鳥に詳しくないので何が集合しているのかよくわからない。私が帰るのは夜だから見えないし、街頭に照らされている範囲は飛んでくれないし。例年なら今頃は雪が積もって寒いので、そんなところに鳥が集まることは無いのだけど、今年は地面の積雪殆ど無し、木の上や木の枝の積雪も勿論無しなので……。4回目の冬を迎えて初めての経験である。

ちょっと変わった本を教科書指定

Posted on 2月 13th, 2007 in 倉庫 by apj

 今日が、来年度の一般教育科目のシラバス入力締め切り日だった。
 普段は科学リテラシー(化学A)で水の話を中心にやっているのだけど、今年だけ変則的に「(総合)」領域も担当することになった。化学の縛りがないし、一般向けということで、「科学とニセ科学を考える」というタイトルにしてみた。
 どちらの講義もレポートを課す予定にしている。最近は、レポート提出というと、ネットで情報を探してきてまとめる学生さんもいるのだけど、それをやると危ないよ、ということで、来年度から教科書として以下の2冊を指定することにした。
1)「食卓の安全学」松永和紀著、家の光協会
2)「グーグル八分とは何か」吉本敏洋著 九天社
 「食卓の安全学」の方は、話題が食品中心だが、内容の半分以上は「新聞記事や雑誌に書いてあることの真偽をどう判断するか」という、食品以外の分野にも使える議論になっている。「グーグル八分とは何か」は、ネット経由の情報がどうゆがめられるかという実例見本を示している。つまり、従来のマスコミ経由の情報と、ネット経由の情報の両方を上手に疑うための指針という位置付けである。あとは、これと坪野さんの「健康情報の信頼性を評価するためのフローチャート」を実際に適用する練習をいくつかやれば、かなり用心深くなれるんじゃないかと考えている。
 

SpotLightを停止

Posted on 2月 10th, 2007 in 倉庫 by apj

マイミクさんの日記で学習。
/etc/hostconfig で、
SPOTLIGHT=-NO-
と設定する。どうも、プロセスが走ってるからHDDのマウントが外せないだの、バックアップでフォルダごとコピーしようとしたら中の某ファイルが使用中だから失敗だのいわれる。アプリ側でそんなファイル開いてないにも関わらず。これで改善してくれると嬉しい。

エステーエスプロジェクトと私は無関係です

Posted on 2月 10th, 2007 in 倉庫 by apj

 ハーモニーウォーターを売っているエステーエスプロジェクトの半田氏なる人物が、「私に製品宣伝について説明して理解してもらった」と主張した可能性が出てきました。私と半田氏は無関係で、直接話をしたこともメールをやりとりしたこともありません。
 今回、ハーモニーウォーターを信じている人経由で情報がやってきたので、もしかしたら他の信奉者の間でもこのことが出回っているかもしれません。念のため、この件について、水商売ウォッチングの方で情報を公開しました。宣伝内容そのものは、他の宣伝に比べて取り立ててトンデモ度が高いわけではないのですが、このまま、何もコメントせずに放置した場合、「暗に認めたからコメントしていないのだ」と勝手に解釈されて、デマが広まるおそれがあります。

 コメントの最後にも書きましたが、名前を勝手に出して虚偽の情報を伝えるような相手に対しては、抗議したって大して効果は期待できません。また、抗議したあと本当に名前を使うようなことをしていないか、ずっと監視を続けるなど不可能です。そんなことにコストも手間もかけられません。最大の防御は、真実を広く公開しておくことであると考えます。

試験が終わった直後に……

Posted on 2月 8th, 2007 in 倉庫 by apj

 選択科目の試験をしたのだが、終わって部屋に引き上げた直後に学生さんが一人やってきて
「今日が試験だと忘れてました」
 で、試験は受けてないのだという。講義は毎週木曜日のその時間、試験も同じである。試験があることを忘れていて準備しなかったということは有り得ても、日を間違えてそもそも来ないということには、普通はならないだろうと……。まあ、受けなかった人に単位は出せないわな、ということで、残念だけどおあきらめください、ということになった。選択科目だし、他で挽回できるでしょう、多分。

なぜ最終回を必要としたのか?

Posted on 2月 7th, 2007 in 倉庫 by apj

 ドラえもん二次創作ネタで連続になるが、昨日のエントリへのコメントを書いているうちに浮かんだ疑問である。
 なぜ、彼ら(=ドラえもん最終回を求めた人、考えた人、語り継いだ人、同人誌を求めた人)は、最終回を必要としたのか?
というのが私の問いである。もしかしたらこの問いには意味がないかもしれない。私自身も今のところ答えを持っていない。
 比較対象として、私もファンである某アニメの状況を語ろう。私の世代がリアルタイムで見てきたものだから、とっくの昔に最終回を迎え、物語は完結している。主人公の年齢は十代で、見ていた頃はちょうどお兄さん・お姉さんにあたる世代だった。アニメは終わったが、視聴者の方はとっくの昔にその年齢は過ぎ去り、今や、当時のアニメの登場人物の中の高年齢層に近い年齢になっている。ファンの考えは2通りに分かれている。「○○(登場人物)は永遠の××歳(設定年齢)、自分たちと同じように年を重ねたとはどうしても考えられない」「○○は(物語が終わった後で)きっとこんなふうに過ごして、今はこうなっているに違いない」の2通りである。設定のままと考える立場と、物語が終わった後同じように時を過ごしたという考え方である。後の方の変形として、終わった後の数年間くらいのスパンで登場人物達がどう過ごしていたかをあれこれ考えている人もいる。物語が終わった後を考えるのはファンだけではない。モノによっては制作者サイドからリメイクが出たり、続編が出たり、同一世界観だがパラレルワールド的な設定で新作が作られたりすることもある。
 いずれにしても、「終わってしまった物語」に対して、積極的に「物語を続けること」を考えるファンというのが一定数居るということである。
 これらの状況をふまえて、やっぱり出てくる疑問は、
 なぜドラえもんの最終回が必要とされたのか?
ということである。ドラえもんの世界は全員が「永遠の○○歳」である。のび太は歳をとらない。中学生になることもない。物語の世界の日常は繰り返される。既に終わった物語のファン達の方は、登場人物に対して「永遠の××歳」と思っていたりするのに、なぜドラえもんに共感した人達(の一部)はここで最終回を、新たに作ってまで求めなければならなかったのか?物語が続くことに満足できなかったのか?
 作り出したものが成長しないといって腹を立てたのは、鉄腕アトムの天馬博士くらいのものだと思っていたのだが……。

(今回、私にも答えはないが、折に触れて考える問いとして一応ここにメモしておく。まだうまく言葉にならないのだけれど)

水伝よりはマシかもしれないが……

Posted on 2月 6th, 2007 in 倉庫 by apj

 ドラえもん二次創作ネタ。fnn-newsより。

小学館、同人誌「ドラえもん最終話」販売禁止の措置 同人誌の売り上げは1万3,000部以上

単行本の売り上げ総数1億部以上、愛らしいキャラクターと4次元ポケットから飛び出す数々の「ひみつ道具」で人気の「ドラえもん」。
作者の藤子・F・不二雄さんは11年前に他界し、単行本は45巻を最後に止まったままとなっている。
そのドラえもんの「最終話」が、同人誌で販売され、大きな波紋を呼んでいる。
2005年末、同人誌「ドラえもん最終話」が、1冊およそ500円で出版され、その優れたストーリーから瞬く間に話題となり、同人誌としては、異例の1万3,000部以上を販売した。
この本は、「都市伝説」として語られていたさまざまな「ドラえもん最終話」の1つを漫画化し、自費出版したいわゆる「同人誌」と呼ばれるもので、「ドラえもんを作ったのは、実はのび太くんだった」という結末を迎える。
今では、大手ネットオークションサイトで、1万円を超える額で取引されるなどの大ヒットとなったが、そこにある深刻な問題が浮上している。
小学館知的財産管理課の大亀哲郎課長は「もしかして藤子さんの作品かな? というぐらいに仕上がっていますので、今回、いろんな意味で厳しく著作権侵害ですとアピールをさせていただいています」と話した。
この「ドラえもん最終話」は、ドラえもんの版権を持つ小学館に許諾を得ていなかった。
橋本 光一郎弁護士は「これはほとんど同じものですよね。これは著作権侵害になるということの明確なケースじゃないかなと」と話した。
ある小学校の先生から、「感動したので、道徳の教材に使いたい」と打診があるなど、あまりの反響の大きさに黙認できないと判断した小学館は、作者に対し、発売禁止の措置を取り、現在、利益分の返還についての交渉中だという。
こうした「同人誌の著作権侵害」をめぐる問題について、日本マンガ学会会長の呉 智英氏は「(同人誌などは)後継者を育てる場でもある。底辺拡大という意味もあるので、あちら立てればこちらが立たずというところで、対応に苦慮している」と話した。
同人誌の枠を越え、国民的人気ゆえに広がってしまった「ドラえもん最終話問題」に、街の人からは「ずっと何十年も(最終話は)ない方がいい」、「日本の伝統としてドラえもんは残しておいて、子どもたちが楽しんでいければいいじゃないですか」などといった声が聞かれた。
小学館は「(藤子)先生の頭の中には最終話という構想はあったかもしれませんけど、今や先生はこの世に存在していない以上、最終話というのは現実に不可能じゃないかなと」と話した。

 「水からの伝言」で道徳を教えられるよりはナンボかマシだが、しかしなぁ……。

創作と評論を隔てるモノ

Posted on 2月 4th, 2007 in 倉庫 by apj

 SankeiWebより。

【知はうごく】「模倣が生む才能」著作権攻防(6)-3

 トラブルで動かなくなったドラえもんを蘇らせようと、猛勉強してロボット工学者になったのび太くん。未来の世界でドラえもんを製作したのは、実は、大人になったのび太くんだった-

 こんなストーリー展開で「ドラえもん 最終話」と銘打った漫画本が平成17年末、ひっそりと発売された。ある漫画家が、ネット上や電子メールで流布されたうわさ話を描き、同人誌として制作したものだ。

 その感動的な結末は、ネットなどを通じたちまち評判になり、数百部でヒットとされる愛好者向け市場では異例の1万5500部が出荷された。

 マンガ・コラムニストの夏目房之介氏は、最終話を読んで「僕も泣いた。ドラえもんへの愛情にあふれる作品」と高く評価している。

 ただ、この作品はドラえもんの版権を持つ小学館の許諾を得ていなかった。既存の漫画のキャラクターを利用して別のストーリーを作った場合、ドラえもんという絵柄を使っているために著作物の利用となり、許諾が必要だ。同社は「悪質な著作権侵害」と判断して昨年、漫画家側に販売中止と回収、ネット公表の中止を要請。損害賠償についても交渉中で、関係者によると刑事告訴も検討されているという。

 小学館は「ネットで評判になり、部数がケタ違いに増えた。厳しく対応せざるをえない」(知的財産管理課)と明かす。

 漫画愛好者の間では、人気作品の登場人物、舞台設定を借用して独自作品を描く「二次創作」の手法が多用されている。

 東京で毎年2回開かれている同人誌即売会「コミックマーケット(コミケ)」には、全国からアマチュア漫画家ら約40万人が作品を持ち寄り、売買する。その多くが、原作者に許可を得ていない二次創作が占めている。

 そうした現状を、夏目氏は「オタクと呼ばれる人たちには、作品全体よりもキャラクターが関心の対象になりやすい。好きなキャラクターを自分の意のままに描き、動かしたい-という思いが(二次創作の)原動力となり、同人誌のほとんどを占めるようになってしまった」と分析する。

 原作の著作者に無断で二次創作を制作することは、法的には著作権侵害だが、コミケでは長い間黙認されてきた。その理由の一つは、イベントが巨大化し過ぎて、もはや取り締まりが不可能になってしまったことだ。

 一方、「コミケからプロの漫画家が輩出される」(大手出版社)という事情もある。模倣や改竄(かいざん)を重ねたアマチュア漫画家が、人気作家へと成長する例は数多い。コミケを追及すれば、人材供給が絶たれ、将来の漫画界を支える人材が育たないというジレンマに陥る。このため漫画出版社側は「模倣や二次創作を見つけても、数百部程度の流通なら目をつむってきた」のが実情だ。

 近年は、社会全体で法律の認知度や順法精神が高まったことや、漫画からアニメ、キャラクタービジネスへと媒体を超えた作品展開が増えたことから、著作権を厳密に管理する傾向が強まっている。同人誌が新たな著作権紛争を生む可能性も膨らんだ。

 しかし夏目氏は、「ポップカルチャー(大衆文化)に模倣やパロディーは付きもの。それを切り捨てると、文化そのものが細くなってしまう」と指摘し、「同人誌のようなケースには、著作権者から簡単に許諾をとれるようなシステムが必要」と提言している。

 このドラえもんの例はかなりブラックに近いところにあると思うのだが、現状の著作権関連の法律の運用を考えた場合、二次創作の取り扱いについて相当無理が生じているのではないか。
 もし、ドラえもん最終回が、「動かなくなったドラえもんを前にしたのび太は、きっと自分で直そうと思うに違いない。のび太の今の成績では猛勉強しないとそんな知識は身につかないけど、ドラえもんへの思いが強くて、努力して、最終的には修理に成功するに違いない。その理由は……」といったぐあいに「評論」として書かれていたとしたら、小学館としては何の文句も付けようがなかっただろう。公開されたものに対する解釈と評論は自由だからだ。では、「のび太のとりうる行動」の部分だけをプロットとして抜き書きしたらどうか。それでも、その人なりの作品の解釈を書いただけですと言われたら訴えるのは難しいだろう。では、そのプロットに基づいて「小説」を書いたらどうか。その小説の内容を「漫画」で表現したらどうか。
 今の著作権の運用だと、小説・漫画になると二次創作とされて法律にひっかかることになる。ある作品を見て抱いた、「解釈」「感想」を表現しようとした場合、評論文の形で書けばフリーパスだが、小説の形にした途端に二次創作とみなされて軒並みアウトになってしまう。だが、本当に、評論と創作の間に、合法違法の線を引くほどの隔たりが常にあるのだろうか。
 原作が漫画であれば、キャラクターの「絵」の使用の部分で区別はできるかもしれないが、二次が文章だと「絵」の使用では規制できないだろう。
 創作の形をとった評論・批判というものは過去にも行われてきた。プロレタリア文学がその典型で、弾圧された歴史があるが、今では権力を批判する創作をしても表現の自由で保護されている。実名を挙げて権力を批判する文章を書いても同様である。一方、私小説で実在の人物をモデルにしたら訴えられて作者が負けたケースもある。
 では、創作の形をとった別作品の評論・批判はダメだとする合理的理由は一体どこにあるのか。キャラクターや世界設定の固有名詞を使うかどうかを基準にすればわかりやすいかもしれない。すると、評論や感想を表現するために、違う固有名詞を使うが設定世界観登場キャラクターのパターンまで全て同じにして作ることになってしまう。そういう作品は、普通は、パクリとか剽窃とか盗作などと言われてしまって、別の問題を引き起こす。じゃあ、作者後書きで「これは実は○○という作品の感想でして……」と長々とやるのか。何だか野暮な上、そこまでやるなら最初から評論書けよという話になりそうである。
 パチモンや海賊版の取り締まりは必要だというのはわかる。しかし、現状の著作権法は「評論や感想はあくまでも評論や感想であるとはっきりわかる形で表現しなければならず、創作という形をとってはいけない」という規制を事実上してしまっている(そういう運用ができてしまう)。これがどうしてもしっくりこない。ある条件のもとでは、評論と創作の境界線が非常に曖昧になることが起こりうるわけで、一律に線が引けるとは思えないし、線を引くのが妥当だとも思えない。
 だからといって、これは剽窃、これは評論・感想文と同等とみなせる二次創作物、これは同じ二次でもキャラ借りただけのものだから濫用、と毎回毎回法的紛争をやって線を引くというのも、これまた社会全体としては損失になりそうな気がする。必要な紛争ならやるしかないのだろうけれど。

追記:作品への感想・意見・批評を、読者の側が小説やマンガという形態でもって公開するという状況を、著作権法はそもそも想定していなかったんじゃないかなぁ……。松本零士は、「基本は模倣。そこから応用、改良、発展させていく。そして創作という恐ろしい壁がそこの先にある。失敗が累々と折り重なる。模倣は創作のうちには入らない。私は全否定する。」と言ってるが、多分、今起きていることを捉え損なっている。素人がやってる2次創作やら、非公認のファンサイトなんてのは、そもそも模倣ですらなくて、実態は「感想・評論・意見」であることの方が圧倒的に多いのではないか。なお、「生きている間でも目を離すととんでもないことになる。死後になると、奇妙な解釈のものや変質したもの、続編が現れるでしょう」ってのはどうかと思う。作品をどう理解するかとか解釈するかというのは全面的に受け手にゆだねられる問題であって、クリエーターが規定できるものではない。意図と違って伝わったとしてもそれは仕方がない。受け手の側にだって相当な幅がある。受け取り方まで規定したいのなら、「創作物」ではなく「論説文」でやればいい。そうすればブレはかなり押さえられるはずだ。

最終弁論終了

Posted on 2月 2nd, 2007 in 倉庫 by apj

 環境ホルモン濫訴事件は、本日最終弁論終了。結審した。原告被告双方が準備書面を出して終わった。判決は3月30日の予定。
 ところで、応援団のサイトが最近重くなっている。そんなにアクセスがあるとは思えないので、鯖屋に問い合わせたら、「いやけっこうアクセスありますし、PHPの負荷も大きいですよ」と言われてしまった。どうも、原告松井教授が京都でやってる、怪しい雰囲気満載の貸金返還訴訟のネタが出てから見に来る人が増えた。やっぱり、細かく判断基準を検討しないといけない名誉毀損ネタよりも、現ナマがからんだゴシップ的話題の方が一般受けするらしい。ワイドショーになぜ人気があるのかが
わかった気がした。