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就職率による評価

Posted on 3月 5th, 2007 in 未分類 by apj

 新しく配属になる来年度の卒研生が決まったので、午前中に打ち合わせ。実験のスケジュールなどを決めるために進路についてきいてみたら、一人は企業就職、一人は教員採用試験狙い、もう一人は進学はしないし就職活動もしないで実家に帰る、とのこと。
 まあ、どういう進路を選ぼうが学生の自由だが、就職しませんと自ら意志決定する学生が居ることで、就職率が下がったとか、大学評価に影響するといったことになるのは困る。学生が進路をどうするかは自己責任だし、学生が意志決定したことは、あくまでも学生が結果を引き受ける範囲だけで閉じていないとまずい。教員側にできるのは、就職活動の足を引っ張らないようにゼミや実験のスケジュールをするとか、情報を得る手助けをするとか、必要な推薦状などを発行するといったことだけである。大学評価に影響するからといって、就職や進学を強要したら人権問題発生である。つまり、教員側の手出しは不可能ということであり、大学に対する評価基準が、手出し不可能なことの結果責任を問うものになっている、あるいは結果をだすために人権侵害せよということを暗に含んでいるのであれば、それは評価基準の欠陥に他ならない。
 進路決定は年度が替わったら書類に書いて出すことになっているので、就職か進学かの2択じゃなく、「家事手伝い」みたいなのがちゃんと選べるようになっているかどうか、明日確認してみるか。入ってなかったら、就職委員会の委員に頼んで項目を入れるよう決めていただくしかなかなぁ。
 まあ、どうしても学生の就職率でもって大学の評価をするというのなら、その行き着く先は、大学側の対応策としては、入学時に「大学にとって不利益とならないために進学あるいは就職すること」なんてのを学生に対して確認する、といったことになるだろう。それはそれでかなり変だが、これを変だと思うのなら、就職率による大学評価をすることも同様に変なことなんだと、さっさと気付いてもらいたい。

 これを書いていてふと思ったのだが、キャンパスハラスメントの事例の中に「就職や進学を強要する」というのはどのくらいあるのだろう?もし、少なからぬ数存在するのだとしたら、大学の外部評価基準がハラスメントを誘発している可能性についても、真面目に検討した方が良いかもしれない。