物理学会:物理教育のセッション
科教協に参加するようなレベルの先生がやれば、生徒に予測を立てさせて実験とか、体験から観測事実相互のつながりを持たせられる理科の授業が可能になるということだろう。教師が教材を選ぶ自由度を増やす方向で、とあったが、これは本当に人を選ぶ。自由度を増やす時には、インチキに入り込まれないだけの防御というか正しいお手軽実践例を流して物量でインチキを圧倒するといったことを同時にやらないとえらいことになりそうな。
香川大の川勝先生のところががんばっているのがわかったので、次はぜひ、いろいろ検討した演示実験や指導例を、理科苦手教員が教室で使えるマニュアルにまで落とし込んで公開してほしい。本を出すとはおっしゃってたが、それでは足りない。とにかくネットの情報伝達力を舐めないでほしい。でないと、教材の選択の自由を増やした途端にTOSSのインチキ燃費向上グッズ実践例の類に入り込まれて、被害が発生しそうな予感が……。
【追記】
別エントリで指導要領解説が問題じゃないかということを書いたが、解説通りの授業が行われているという話がパネルディスカッションで出た。しかも研究授業とのことだから、やった先生にとっては「自信作」なのだろう。話をきいて、あまりにも指導要領解説通りに展開しているのであきれ果てた。
「ものが燃える」ということについての授業だそうだが、まず、生徒に実験の案を出させたり予想を立てさせたりする。(知識もない)生徒がめいめい勝手に考えるから、一クラス四十数通りのアイデアがばらばらに出てくる。全部は実験できないから、それを、「みんなで討論」して5,6通りに絞って実験した。知識もない状態で討論して絞った実験だから、当然ことごとく失敗し、自然現象への理解が深まるどころではない。生徒への評価は、昔の科学者が一生懸命に考えたのと同じ事を君たちは自分でやってアイデアも出せたかんだからよくやった、ってな感じで終了。
会場でのコメントは、「この方法を選ぶと、理科苦手意識を持った教員が、理科の知識がなくても理科を気軽に指導できる状態を作っていることになる」というものだった。教員側が以前のの指導要領通りにやろうとして「苦手だけどやらなくちゃ」という意識をもつことになれば、研修等の機会にトレーニングしようという意識が自発的に出てくることが期待できるが、苦手のままでも指導できちゃう、じゃあ教員側の向上のきっかけも捨て去っている。
「問題に対して予想や仮説、構想をもち、それらのもとに観察、実験などの方法を工夫し、実際にそれを行うことである。」も「児童が自己の責任において問題を解決していく活動や場を保障」も満たされてるが、「児童は自らの予想や仮説、構想を観察、実験などによって検討し、得られた結果が予想や仮説、構想の通りにならなかった場合、最初の予想などを改め、再び次の問題解決の活動を行うことになる。」は「両者が一致しない場合には、児童は自分が立てた予想や仮説、構想、あるいは考案した観察、実験の方法などを振り返り、それらを見直し、再検討することになる。」についてはどうやらその先生の手に余る状態のようで……。
これって、「車輪の再発明にさえ失敗した」以上の意味があるのか?
大体、先人が手間暇かけて試行錯誤して得てきた知識を、全く同じプロセスで試行錯誤して検証していたのでは、何も積み上げることなどできないだろう。そういう無駄をしないために知識を体系的に整理し、先人の経験を生かしてさらに先に進んで知識を蓄積してきたから今の科学があるわけで……。何かを根本的に間違えているとしか思えない。
科教協あたりにいる先生なら、うまく実験を絞り込んだり生徒を誘導したりしてきっちり指導できるのだろうけど、そうじゃない先生がやろうとすると大コケするだけだということを実証してしまっているような。一部の得意な人だけが活用できるマニュアルを作ってしまったんじゃないか>指導要領解説。
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