今週末から連続で走り回って話をするので、その整理を兼ねて。
【ニセ科学が広まることの弊害】
・ニセ科学が広まることそのものによって、判断を間違える人が出てくる。ニセ科学の方が頻繁に目に付く状態が実現してしまうと、正しい情報にたどり着くのが難しくなる。
・ニセ科学が企業の宣伝にも入り込む。あるニセ科学宣伝が一旦蔓延してしまうと、消費者が信じてニセの方を望んだり、企業のトップがニセの方を信じて製品を作ったりして、さらに広まる。マスコミが取り上げることで一気に蔓延し、企業が内心そんなものは売りたくないと思っていても、ニセ科学宣伝で製品を売らないと競争に負けることになったりする。これは多分健全な経済活動ではない。
・ニセ科学宣伝をする方が、まっとうな製品開発をするよりも楽で利益をあげやすい。まっとうな会社がニセとの競争に負けて、市場から撤退すると、今度は消費者がいい製品を手に入れられなくなる。
・ニセ科学のロジックは、予備知識を要求しない二分法であることが多い。そういう判断の方法が社会に蔓延することによって、社会全体の思考力や合理的判断をする姿勢の低下が起きる。ニセ科学の方が科学っぽいと思われてしまう。
・まっとうな企業が知識不足からニセ科学を信じた場合、自社製品の試験をするのにニセ科学理論の内容を確認すれば十分であると誤解し、本当に必要な試験などがおろそかにされる。また、ニセ科学に従い、意味のない試験にリソースを投じたりする。これは、隠れた損失である。さらに、自社製品の宣伝において、意図せずに消費者を騙す結果が生じる。
・まっとうな企業が最終的にはニセ科学を選ばなかったとしても、ニセ科学宣伝によるあやふやな製品の売り込みは受けるし、窓口あるいは上司の誰かが少しは信じるかも知れない。すると、「この話は本当かどうか検証せよ」といった業務が現場の技術者に発生する。技術者としては、話の内容から明らかにその製品や理屈に何一つ期待できなくても、業務命令であれば時間とコストをかけて試験をしなければならない。企業にとって無駄である。
・企業には、製品開発の技術について、通常より厳しい注意義務が科されている。ニセ科学宣伝をする製品の説明は、大抵の場合、伝聞だったり今の科学の内容と明らかに矛盾したり情報が少なかったりする。もし、利用者が「製品を使った結果被害が発生した」とクレームをつけた場合、「会社の製品のせいではない」ことの立証ができない可能性が高い。結果として、会社が製造者責任を認めて損害賠償を払うことになる。ニセ科学を受け入れることは、訴訟対策という意味で、会社にとって危険である。
・研究費のリソースがニセ科学に与えられるケースがある。幸いにして文部科学省関連の資金で、ニセ科学と争うことになるケースは殆ど起きていない。そのかわり、経済産業省関連の企業向け補助金事業では頻繁に起きている模様。
【広めているのはどんな人か?】
・最初から騙す意図がある(実はそういう人は案外少ないのではないかと感じている)
・単なる無知。判断力不足に起因する。儲けたい人と善意の人の2種類。
・夢がある部分、いい話である部分で信じる。その夢が自分の信じたいことだから信じる。実は科学かどうかはどうでもよい。
・一発逆転狙い。科学では自分の望みがかなえられないから、ニセの方を信じることに救いを求める。(もともと、科学は人に現実を認識させるものだから、現実を直視することに耐えられない人がニセの方に行くことがある)
・発見者になりたい、物知りとして他人に教える立場に立ちたいが、現実の学問はハードルが高いので手っ取り早くニセに走る(このネタは三等兵logを参考にした)。
【批判する理由】
・「正義」ではない。ニセ科学を批判することを裏付ける「正義」は、今のところ思いつかない。利害である。ただし、個人の存在と社会はつながっているから、この場合の個人の利害は自ずと公共性を持つ。個人の利害と社会は対立概念ではない。
・合理的な考え方でお互いが意思疎通できる社会を私は望む。ニセ科学はその障害となる。
–研究費審査で役人がニセの方を信じるようでは困る。
–科学に対する理解が歪められても困る。
–ニセ科学が蔓延する社会は、例えばニセ経済学だって蔓延するに違いない。幸い、科学の一部について、私は批判できる知識を持っているが、他分野のニセナントカが蔓延すると私だって騙されるだろう。これは嬉しくない。全ての分野において、ニセナントカの蔓延が起きないような社会であってほしい。
・ニセ科学の方が多くなり、まともな情報や製品を入手するコストが上昇するのは困る。
【追記ってか修正】
せっかくいただいていたトラックバックを誤操作で消してしまったので、こちらから直リンさせていただく。何せエロサイトからの宣伝が多いもんで、クリックしてるうちに間違えたらしい。clausemitzの日記さんところより、
「ニセものを放置すると本物がつぶされる」でした。