私が困るからお前ら勉強しろ
試験結果を貼り出したので、午後には点数をききにくる学生が多かった。追試はすることにしたし、合格した人でもスコアを上げたい場合は追試を受けても良く、いい方の点数で評価するということにしたので、追試を希望する意味があるかどうかを含めて学生が情報収集にやってきた。
ところで、大抵の学生は、これまでに、教師から「(勉強しないと)お前が将来困るから勉強しろ」と言われた経験があるに違いない。こう言われると「大きなお世話」とでも言い返したくなる(特に若いうちは)。私は同じ事を言うつもりはない。私が学生に一つだけ言うとしたら
「私が困るからお前ら勉強しろ」
である。共通教育では、講義の最初の方で言うことにしている。専門ではあまり言わないのだが、期末になって追試やら追加レポートやらを課すことになって、さてどうして私は熱心に学生を勉強に向かって追い立てているのかということについて、給料や業務以外の部分に何があるかと考えたてみたら、このフレーズしか出てこなかったので書いておく 。
世の中は全部つながっている。私の講義(だけではなく他の先生の講義も)をきいて、知識を得た学生たちいは、いずれ卒業して社会に出て、今度は社会を支える側に回ることになる。その学生が就職し、管理している工場で作った製品を、私が買うことになるかもしれない。その学生が、将来、品質管理部門で働いて、私が使うサービスの安全を支える立場になるかもしれない。私は私の仕事をするが、それ以外の部分では他人の仕事の成果を信頼して生活することになる。今は、彼らに教える立場に居るが、数年後には、社会に出た彼らのうちの誰かに対し、自分の専門分野以外のことについて、助言を求めたりもするかもしれない。その時、彼らが不勉強のままでまともな仕事ができなかったら、私は私の安全を確保できないし、変なことを教えられたら被害を受けるかもしれない。つまり、「お前らが勉強しないまま社会に出たら、巡り巡ってこっちに被害が及ぶかもしれない。個々人には代わりが居るとしても、社会全体のレベルが下がったらやっぱりじわじわ効いてくる。だから今ちゃんと勉強してくれ」ということである。
いや、こういう本音をオブラートに包んで「将来お前が困るから勉強しろ」とお説教するのがオトナなのかもしれないのだけれど……。
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