まだちょっと違う気がする
酔うぞさんのところでも取り上げられているが、YOMIURI ONLINEの記事より。
「言語力」育成、脱「ゆとり」も…中教審が指導要領改定へ
今年度中に改定が予定される小中高校の学習指導要領について、中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)は16日、基本方針を「ゆとり教育」から「確かな学力の向上」に転換した上で、自分の考えを文章や言葉で表現する「言語力」を全教科で育成していく方針を固めた。
国際学力調査で低下していることが明らかになった文章表現力や思考力を向上させる狙いがある。中教審は今後、各教科ごとに言語力の具体的な育成方策をまとめる方針だ。
学習指導要領は、小中高校の授業で行う内容や時間数などを定めた国の基準で、ほぼ10年に1回改定される。現行の指導要領は、学校5日制の完全実施など、学習内容を大幅に削減した「ゆとり教育」が柱で、小中学校は2002年度から、高校は03年度から施行されていた。
しかし、学力低下が指摘されているため、新たな指導要領では、「ゆとり教育」からの脱却を明確に示すことにした。
さらに、「言葉は学力向上のために欠かせない手段」と位置づけ、小学校の低学年から、国語だけでなくすべての教育活動を通じて言語力を育成する必要があると判断した。
例えば、小学校低学年では、体験学習で感じたことを作文にまとめたり、発表したりして、他の人と比べる学習を重視。中学の理科では、予想や仮説を立てた上で実験や観察を行い、結果を論述させる。体育の授業でも、筋道を立てて練習計画や作戦を考え、状況に応じて修正させる訓練を積むことを想定している。
経済協力開発機構(OECD)が2003年に行った国際学習到達度調査(PISA)では、文章表現力や思考力を測る「読解力」の順位が、日本は8位から14位に下落した。
中教審は、こうした力が欠けていることが、人間関係の構築が苦手な子供を増やし、いじめやニートなどの問題の遠因となっていると分析。言語力の習得を通じ、子供のコミュニケーション能力を向上させることも目指したいとしている。
(2007年8月17日3時1分 読売新聞)
酔うぞさんと同意見になるんだが、「体験学習で感じたことを作文にまとめ」るんじゃダメだろう。まずは、「体験学習で何をやったか他人にわかるように説明する作文を書く」でないと。何を感じたかを考えて掘り下げられるようになるのはもうちょっと大きくなってからではないか。予備知識も経験も足りない年齢だと、知らないことを知ること自体が面白いのであって、内容の評価はひとまずどうでもいいような……。
文章で算数の問題を出すと、途端に回答が大混乱になる、といった報告があります。
これ、大学でも状況は変わっていない。いや、トップクラスの大学の方は問題無しかもしれないが、ウチの場合、自然現象とその解釈を簡単に説明させるような設問を試験で出すと、ほとんどの学生がまともに答えられない(そんなわけで今日は必修2科目まとめて午後から追試をすることになっている)。理学部で、科学の概念が言葉として出てこないというのは、意味がわかってないし他人にも説明できないということで、じゃあ一体どうやってその先を考えるのだろう。
大学の試験などで「二つの説があって正解がない」といったことで「問題を出した方が悪い」と非難される論調がずーと続いていますが、
採点側の都合ではなく、予備校の都合の面が強いというのが実感。出題する側が一番恐れているのは「マスコミの前で記者会見」「予備校にクレームをつけられる」の2点なので、解答が複数出ても採点基準さえしっかりしえいれば出してもかまわないと思うが、この意見は通らない。
なお、読解力が根本的に欠けているのではないかと疑わざるを得ない結果が、この間の追試で出てきた。
・教科書に何種類か出ている相変化の概念図のうちの1つを描かせる問題を追試で出したら、本試験の時と違う問題なのに、本試験の解答と同じ図を書いてきた学生が数人。
・定圧熱容量の測定方法を簡単な概念図を描いて説明せよ、とやったら、定圧熱容量と定積熱容量が違う理由について解答した人が数人(2つの違いについては本試験で出題した)。
・必要がない場合に理想気体の状態方程式を勝手に仮定したら減点、と明記してあるのに、ちっとも守られていない。自分が答案に書いている式が理想気体の状態方程式かそうでないかの区別がつかないのか?
必修科目で、落とせば後でそうとう厳しいことになるのがわかりきっているのに、脊髄反射で書いたような答案が出てくるのは一体どうしてなんだろう。解答する前に問題を読んでいるかどうかについて小一時間問い詰めたくなる。試験時間は90分で5問、記述の量は多くならないように調整しているから、あせりまくって勘違いするような状況でもない。ゆとり教育世代の最初の学年だから、ゆとり教育がまともに機能していれば、読解力と文章表現力でひっかかったりはしないはずなんだが。
ここからは旧ブログのコメントです。
by 酔うぞ at 2007-08-46 00:06:46
Re:まだちょっと違う気がする
>脊髄反射で書いたような答案が出てくる
受験勉強が脊椎反射の練習ですからねぇ。
基本的に問題を始めから終わりまで順に読むのが良くないと教えるというのは行きすぎだと思うが、これが受験技術なんだねぇ。
これを抜け出すのには、apj 先生は、掛け算式採点法でやるのはいかがでしょう。(^_^)
複数ある問題のどれかを飛ばすと各問の得点の掛け算をするから、全体としては0点になってしまう。という。(^_^;)
で、これを自己採点させるね。
そうでもしないと、脊椎反射で問題に答える習慣を抜くことが出来ないように思う。
まるで、ドラッグだな。
by rmiya at 2007-08-09 01:55:09
Re:まだちょっと違う気がする
追試対策として、過去問の蓄積は天羽さんのところはまだ無いので、本試験の問題をやり直して、覚え、追試験で出てきたキーワードに反応して吐き出した、っていうところでしょうかね。
考えるのではなく、覚えた物を吐き出す。すなわち「勉強する=知識を身に付ける=覚える」なわけですね、あいかわらず。
この辺の考え方を脱却してもらわなくちゃいけないと思うのですが、どう指導したらいいんでしょうね。
by apj at 2007-08-21 04:18:21
Re:まだちょっと違う気がする
追試終わった。学生もヘコんだようだが私もヘコんだ(汗)。
・全く同じ問題はさすがに出せない。
・しかし本試験と追試を復習した人が、その知識を使える範囲で出題したい。
・実は講義内容は相当システマティックで、その内容を前提に新たなことを示せ、などとやると、物理屋相手なら良くても化学屋をいじめる結果にしかならない。
結局、1ステップで解答にたどり着けて、式の形をじっくり見て設問と付き合わせれば、簡単な微分と積分の計算で何とかなる問題が2問、これは常識の範囲だろうというのが2問、前回のテストで描いた図の一部を書き換えればいい問題を1問、という構成にしてみたら……事前にカンペ作成&持ち込みを許可したんだけど、勉強したことが役に立たないというコメントが……。そりゃ、カンペ書き写してそれで済む問題では意味がないわけだし。
by しもふり at 2007-08-23 11:00:23
Re:まだちょっと違う気がする
言語力、ですか。なんか色々出てきますが、スプートニク・ショックの時のアメリカの算数教育みたいにならなければいいのですが。
たずねたり、指示したことに対する対応がおかしいのは今に始まったことではなく、私は5年位前から学生さんたちの反応が「脊髄反射」というよりももっとひどい「膝外腱反射的」な感じになってきたと感じています。「まずやってみる」のではなく、「目で対象を良く見てまず考え、頭で手足をコントロールして作業結果を得る」という基本から教えてやらないといけないのかと。
読解力というより、「そもそも問題文を読んでないので読解以前の問題で、拾い読みしたキーワードに反応してるだけ」ということはないのでしょうか。
一字一句にこだわった読解問題といえば公務員試験の「文章理解」分野ですが、こんなもの何のために必要なのかと思っていましたが、根源的な能力として、やっぱり重要ですねえ。簡単な指示ですらきちんと理解されないようでは職業人として失格ですし。
私の学生のころは「論ぜよ」と「(知るところを)述べよ」では題意が違うのでちゃんと題意に合わせた解答なりレポートなりを作成したものですが、学生さんたちにたずねると、そういうことも良く知らないようで。どうしてこうなったのでしょう?
by (ぱ) at 2007-08-43 11:33:43
Re:まだちょっと違う気がする
大西科学にこんな話がありましたよね。
http://onisci.com/074.html
この例は中学生ですが、大学生に限らず、世間の多くの人は結構「単語」に反応しているだけのように思えることは多々あります。
by apj at 2007-08-24 12:26:24
Re:まだちょっと違う気がする
しもふりさん、
>一字一句にこだわった読解問題といえば公務員試験の「文章理解」分野ですが、こんなもの何のために必要なのかと思っていましたが、根源的な能力として、やっぱり重要ですねえ。簡単な指示ですらきちんと理解されないようでは職業人として失格ですし。
あと、法律の教科書やら参考書が、一字一句にこだわりまくりで読まないとどうにもならんです。訴訟法と不法行為法に取り組んでる最中なんですが、日本語が読めて文章のロジックが理解できて、かつ、法律としてどういう考え方をしているのかまで押さえながらよまないといけないので、体力が要ります。
文系の学生なら、日本語をきちんと読めるようになっているのだろうか。
そういえば、着任してから、私のオフィスに来る学生さんで、用事の中身をきちんと説明できる人は少ないですね。大抵はいきなり単語だけ言うから、こちらから聞き返して、何をしにきたかがわかるんですね。そういえば、単きちんと文章でしゃべれる学生は、就職が決まるのが早かったなぁ。ウチのレベルの大学だからなのか、もっと上も同じ状態になってるのか、知りたいところではあります。
行儀作法をうるさく言うのは趣味じゃないからこれまで注意をしてこなかったんですが、今後はちゃんとした日本語を組み立てて喋れ、ということを少し厳しく言おうかと思っています。礼儀の問題ではなく、思考と言葉を結ぶ部分を鍛えないと世間で通用しないだろうということです。
(ぱ)さん、
単語にだけ反応するというのは、ある意味自動販売機と変わらないわけです。一定の入力があったら一定の何かを出すってことで。耳に入った単語に反応するのは、最初の注意喚起やとっかかりとしてはいいんですが、次には言葉や思考を組み立てた方がいいでしょう。ってか、世の中、自販機モードの人がいて、一方で抽象的な思考と言葉を駆使できる人がいるとなると、自販機モードの人はいいように餌食にされて終わるような気がします。教員としては、ウチの学生がカモられる側に居られちゃこまるんで、そうならない教育を考えないといけない。
ウチの学科の場合、物理や数学が苦手な人の方が多いのですが、「物理化学(や計算)が苦手である」ということと、「単語を見て脊髄反射で知っていることを書いているだけで、そもそも頭を使うことを知らない」というのは、カテゴリーの全く違う問題です。試験をする前までは、点が取れないとしても前の方が主な原因だろうと考えていたのですが、3回ほど試験をやってみて、どうも原因は後の方ではないかということに気付いて、さてどういう対策が有効なのかと困惑しています。
by apj at 2007-08-05 12:53:05
Re:まだちょっと違う気がする
追加です。
>「そもそも問題文を読んでないので読解以前の問題で、拾い読みしたキーワードに反応してるだけ」
ってことは、拾い読みで対応できるような試験しか経験していない、さらに、拾い読みで何とかなるような教育しか受けてきていない、ということなんでしょうか。
なんでこうなっちゃったんでしょうね。
もし、受験の弊害だというなら、大学に入ってきた学生を、どうやって「解毒」するかを考えないといけないんですが、何か有効な教育プログラムってありますかね。普通に話をする限りでは、そこそこ会話は成り立っているんですが、読んで書く、となったとたんにクラスの何割かがキーワードしか見ない状態になってしまう。学生に話を訊くと、結構勉強は頑張ってて、他の科目、たとえば有機化学の膨大な情報量を扱う試験でもいい点をとってたりするらしいんですね。だから、あともうちょっと「読んで考えて書ける」ようになってくれればかなりいい線いくだろうな、と思うんですよね。
まあ、私は、出題する立場として「概念を理解できているか頭の中を見たい」わけで、むやみな暗記を前提にしない(試験問題に必要な情報は全部書いてある)かわりに、追試のたびに問い方を変えて、実は知識としては同じ事を訊くということをしてるのですが、ヤマが外れたの毎回違うのと学生に言われる。意味を理解していてその場で考えて書けるかどうかを見るわけだから、いくら公認持ち込みメモにまとめたって、ただの暗記じゃ試験で役立たないわな。まとめる作業によって理解が深まれば得点に結びつくけども。
そもそも大学入試問題を作る際に「状況設定の文章が長すぎると受験生にきつすぎる、問題設定そのものを理解できないんじゃないか」などと、無駄に「親切」にしまくった結果がこれってことなのかもしれないんで、原因は大学にあるのかもしれませんけど……orz。
by tori at 2007-08-16 00:52:16
Re:まだちょっと違う気がする
>一字一句にこだわった読解問題
というのでふと思い出したことがあります。
「数学のたのしみ」という日本評論社が季刊で出していた雑誌で、裳華房、岩波書店、朝倉書店などで理工系専門書の編集担当者達の鼎談記事が載っていました。
そのなかで興味深く思ったエピソードで、
「『ここはわかりにくいな』と思って編集者が原稿を著者に断りなく改編することがしばしばある。それを著者に返すと、数学者以外の学者からほとんどクレームはこないのだが、数学者からはまず間違いなくクレームがくる。『てにをは』をちょっと変えただけでもちゃんと数学者は気づく。彼らは言葉に極めて鋭敏なのだなと思っている。」
というものがありました。個人的には、編集者が無断で文章を改編するのは職業倫理的にいかがなものかと思うのですが、内容としては興味深いです。
#数学の雑誌なので、数学者をヨイショした可能性もありますが。
by 酔うぞ at 2007-08-22 05:31:22
Re:まだちょっと違う気がする
「そもそも問題文を読んでないので読解以前の問題で、
拾い読みしたキーワードに反応してるだけ」
ってことは、拾い読みで対応できるような
試験しか経験していない、
さらに、拾い読みで何とかなるような教育しか
受けてきていない、ということなんでしょうか。
これ、ほぼ正反対の考え方です。
受験技術が
1 短時間になるべく多くの回答をする
2 そのために易しい問題から解く
3 そのために易しい問題を見つける技量を高める
4 時間短縮が問題だから、判断してはいけない
5 判断しないで反射的に正解に○を付けられるように反復訓練
なのです。
拾い読みすらしません。
パターン認識なんですよ。
読み解くのは時間が掛かるから、読み解く必要がある問題は解かないで放置する、その方が正解の数が増える。
こういう価値観でやっているのだから、根本的にどうにもなりません。
受験が一見する知的水準を高める方向に誘導するような印象がありますが、実際はいわば肉体的訓練であり、反復練習の膨大な数をこなすことが受験勉強なのです。
それを下手すると、小学生からやっているのが大学生やっているわけですよ。
by rmiya at 2007-08-08 21:27:08
Re:まだちょっと違う気がする
>「物理化学(や計算)が苦手である」ということと、「単語を見て脊髄反射で知っていることを書いているだけで、そもそも頭を使うことを知らない」というのは、カテゴリーの全く違う問題です。
質問しに来た学生やゼミの学生などに、ちょっとアドバイスして、目の前で計算させると、込み入った計算であっても そのままやるわけです。私などは、込み入り具合を整理してからじゃないと計算する気になれないものでさえ、真正面からぶつかっていくわけです。そんな様子を見ていると、単に「計算が苦手」というのではないような気がします。
むしろ後者が働いて、数式を見たり物理化学だというだけで、反射的に拒絶モードに入るのではないかと思うわけです。内容まで見て、難しそうだから避ける、という判断をしているとはとても感じられません。酔うぞさんのいうところの「受験技術」の現われでしょうか。
そこで最近は、「たいして難しくないんだから、とりあえずまずやってごらん」とアレルギー反応を押さえて問題に取り掛かってもらうようなことも試みています。大人数相手の講義では、効き目はほとんど無いみたいですが、質問に来た学生など少人数相手では少しは効いていると思いたい。
by 酔うぞ at 2007-08-25 23:47:25
Re:まだちょっと違う気がする
rmiyaさん
非常に興味深い例ですね。
反射的に拒絶モードに入るのではないかと思うわけです。
内容まで見て、難しそうだから避ける、という判断をして
いるとはとても感じられません。
受験技術の話を聞いたのは、ネット友人の子供の話として聞いたわけです。
その子は大学生ですが、生まれる前から知っている(^_^;)
そこで「塾の練習が・・・」と聞いて、社会人講師として動くようになったこの4年間ぐらいで高校の先生とお話しをして確認しています。
もちろん、そういう見方で高校生も見ています。
わたしが接している高校生は、学校の成績で言えば中低位校が多いのですが、公立高校としてはトップレベルや二番手レベルの高校も見ています。
さらに、小学校多数と、高校を多数見ていますが、中学校は極めて少ないです。
平たく言えば、高校の二番手校が一番問題だと思います。
客観的にも、昨年度大問題になった「必修科目履修偽装事件」を引き起こした学校は二番手校の中から出ています。
わたしは高校は、大学に適するレベルの成績にすることと、同時に人として最もジャンプする時期なのだからこそ、充実した高校生活を送るべきだし、中学時代のように親をはじめとする大人から与えられるもの以外に興味を広げていく時期であるべきだと思います。
ところが本は読まない、映画は見ない、ちょっと手を挙げさせると音楽を買うのもほんのちょっとです。
何をやっているのか分からない。
これだから、成績の悪いのは学校に来ているだけマシで、学校に来なければ街の嫌われ者になっているでしょう。
しかし、成績が良くても二番手校だと個人的にやっていることは同じで、受験技術練習に励んでます。
授業なんか聞かない。
そして何よりも困るのが「学校がそれを是認している」です。
人として成長なんてことを学校の現場(先生)が無視しているのです。
「この授業は入試に関係ないが」とか前置きして話している。
当然サボる奴が居るけど、それも無視。
これだけ徹底すれば、回答マシンのような生徒になりますよ。
教室に「○○の中間試験は、教科書のP・・・からP・・・の間で出す」と印刷した紙を貼ってあったりする。
「ここは予備校か?」なのです。
こんな状況なのでわたしは「世の中にはこんな事もある」とか「生徒自身の能力の確認」といったことに重点を置いてやっています。
そこで最近は、
「たいして難しくないんだから、とりあえずまずやってごらん」
とアレルギー反応を押さえて問題に取り掛かってもらう
ようなことも試みています。大人数相手の講義では、
効き目はほとんど無いみたいですが、質問に来た学生など
少人数相手では少しは効いていると思いたい。
高校生相手なので、基本的に思い切り易しそうなことをやっています。
例えば、ロボットをビスで組み立てる、といったことです。
簡単そうではあるけど、やってみれば自分や仲間の不器用さや先を考えないとトンでもない目に遭う、いったことを経験させるようにしています。
それによって、大人とも対等に話ができるようになる。
もちろん、自分理解・他者理解になる。
だから、自己主張が出来るようになる。
「近頃の若者は」と全部が同じように考えるのは間違いですよ。
同じようにした教育にこそ問題がある。
人は本来はバラバラなはずで、社会訓練によって同じようになるわけです。
実際、小学生相手にもの作り教室をやると判断のバラバラさ加減は面白いくらいです。
それが高校生になると誰を捕まえても「近頃の若者は」で語ることが出来ようになっている。
この間の変化は学校だけはないが教育(家庭教育・社会教育も)によるのは確実でしょう。
by 石田剛 at 2007-08-02 22:17:02
Re:まだちょっと違う気がする
> そういえば、着任してから、私のオフィスに来る学生さんで、
> 用事の中身をきちんと説明できる人は少ないですね。大抵
> はいきなり単語だけ言うから、こちらから聞き返して、何を
> しにきたかがわかるんですね。
どっかで聞いたような話だと思ったらここでした。下記の演者(私)は、木下是雄先生です。
http://www2.kokken.go.jp/jalic/group5/96.7p85.pdf
> ご存じの方もあるかと思いますが,私は学習院におりました
> ときに,学習院の初等科,中等科,高等科のための言語技術
> の教科書を試作しました。大勢の先生方と一緒に作ったの
> です。小学校3・4年用,5・6年用,中学校用,高等学校用と
> 4冊作りました。その3・4年用の第1課はどう始まるかという
> と,生徒が先生のところに来て,「先生,傘」と言う。先生が
> 「傘がどうしたの?」「ないんです。」「忘れてきたの? 今朝は
> 雨が降っていたじゃない。」「持って来たんです。」「その傘
> どうしたの?」「ないんです。」「かけたところにないの?」
> 「そうなんです。」そこで始めて先生は意味がわかるわけです。
石田は、ぜひわが子にはこういう言語技術を学ばせようと考えています。まぁわが子はまだ 4歳児 と 1歳児 なので、もちょっと先の話になる予定ですが。現状では、わが子は単語で話しますが、石田は「そういうときはこう言いえば良いのだ」と、お手本を示すようにしてます。
by 酔うぞ at 2007-08-44 01:09:44
Re:まだちょっと違う気がする
高校で、模擬面接をやったときの話だそうですが(NPO仲間の話)
当然「身なりをきちんと」という話になったのに、ネクタイを(ネクタイは制服)参加した全生徒が上まで締めないで現れて、模擬面接自体が中止になってしまった。
というのがあります。
なんで、先生が注意しなかったのか?と話題になりましたが、問題は「参加した生徒全員」ですよ。
彼らはネクタイをきちんと結ぶこと自体の社会的意味や緩めていることの自己表現とは無関係だったということです。
ここまで、自分の周辺について知らないで良いとなると、どんな企業も採用しませんよ。
なんで、回りの大人がこの程度のことを教えることが出来ないのか?
それが不思議なのです。
by apj at 2007-08-48 09:12:48
Re:まだちょっと違う気がする
>ネクタイをきちんと結ぶこと自体の社会的意味や緩めていることの自己表現とは無関係
つまり、わざとに着崩して自己主張しようというのではなく、ただ単にネクタイの結び方を誰一人知らなかったということですか。
by 酔うぞ at 2007-08-13 11:06:13
Re:まだちょっと違う気がする
>ネクタイの結び方を誰一人知らなかったということですか。
先生も含めて、が問題なんですよ。
by apj at 2007-08-56 13:15:56
Re:まだちょっと違う気がする
>先生も含めて、が問題なんですよ。
( ロ)゚ ゚ マジデスカ
私が高校の時を思い起こすに、確かにラフな恰好の先生も居たけど、普通にスーツ&ネクタイの先生も居たよ……。一体どうなってるんだ?
by 酔うぞ at 2007-08-36 20:04:36
Re:まだちょっと違う気がする
これは想像ですがね、社会人に模擬面接をやってもらうなんてことを企画するのが一人の先生だとすると、その先生はそれなりに分かっているわけですよ。
ところが、先生同士は風通しが悪いからそういう「常識」のようなところは、特に情報交換しないのでしょうね。
その結果が模擬面接とは生徒が面接の様子を示してもらう、と受け取っているのではないか?
なわけです。
結局のところ「実社会のことなんか学校には関係ない」というところは同じなのですね。
高校では、社会に対して畏れを持っている先生の方が少数派でイジメられ気味ですよ。
by 大学関係者 at 2007-09-20 21:36:20
Re:まだちょっと違う気がする
文章力の話がでていますが、年ごとに、答案の採点時間がのびてきているのは私だけなのでしょうか?1日10時間で終わっていたものが、3日、1週間とここ5年でのびています。
普通、学生の答案から、回答のプロセスの”ストーリー”というものが感じられるわけですが、近年は、だんだん”ストーリー”がなくなって、キーワードの羅列に近い答案が増えてきています。
学習内容の比較はできないにしても、答案の全部とはいいませんが、一部の大学生の答案が、中学生の答案と見間違えるほどの論理展開になってきています。つい、家庭教師のときの困ったことを思い出しました。
さらに、卒業研究を進めるにあたり、疑問点を自分で調べる能力がだんだん低下しているような気がします。
そこで授業の学生すべてを訓練するのは時間に限りがあるので、私の研究室では、文章の書き方やまとめかた、勉強の仕方、卒業研究の進め方について、1回はゼミでやります。それで、型をつくってから勉強してもらいます。そうすると、型に自分たちの考えを流しはじめます。