ニセ科学批判批判への対応
Chromeplated Ratのエントリ(by poohさん)より。社会学玄論(by mercaさん)の「疑似科学批判が流行る理由」のコメント欄で議論していたら、「菊池先生と天羽さんへ」というエントリが上がった。
展開はそれぞれのblogを読んでいただくとして、議論がさっぱり進まない理由は、mercaさんが、疑似科学と疑似科学批判の両方の実態を知らずに、疑似科学批判批判のメタな議論を書いたことによる。
菊池さんについての
菊池さんを始めとするラディカルな疑似科学批判者は、自らは正しい科学観に基づいているという絶対的自信があり、自らの科学観を疑うことなく、他の学説を批判しているように思えます。
とあるけど、この問題は、既に松山の物理学会の時にたざきさんが指摘し、菊池さんも私も表現が多少違うだけで同意している。個別の科学の中身は、実験や観察の積み重ねによって不確かなものから確からしいものへと連続的に変わっていくのであり、この点については多分田崎さん、菊池さん、私は同意している。水伝批判、マイナスイオン批判を実際にやったら、菊池さんと私の主張は相当程度オーバーラップすることになる。だから、mercaさんのこの観察は、やっぱり現実を見ていないように思う。
mercaさんは、きくちさんのニセ科学批判の具体的中身を知って批判しているように見えない。きくちと書いて貼り付けたわら人形に向かって批判を展開しているだけではないのか。
しかし一体どうして私に理解を示し菊池さんには頑固に不理解を示すポーズをとっているのか?と思ったら、poohさんのところに面白い指摘が。
分断工作のつもりでしょう。頭悪いなあ。
by かも ひろやす (2007-08-21 22:13)
で、poohさんの別の意味で興味深いコメント。
分断しようにももともとみんなばらばらなんですけどね。
暗黙で通じ合える優しい関係なんてないから、逆に見解の共通する部分は明解だし、そこは鍛えられてるわけです。思いつきの切り貼り言説なんかじゃそこには立ち向かえないわけで。戦術が透けて見えるのは痛々しいですね。
by pooh (2007-08-21 22:38)
去年あたりから、菊池さんと同じ場所で講演したり、たざきさんに司会をしてもらったり、左巻さんや小波さんも一緒だったりするもんで、ガワから見るとニセ科学批判の一派だか一味だかに見えることがあるらしい。たまにながぴいさんが別のスタンスでがんばってくれてたり。ところが現実は全く違っていて、poohさんの指摘通り、最初から全員ばらばらである。情報交換や打ち合わせはしても、なれ合いが全く無い。同じ事をしている人を見て一味とか一派だろうと思いたがる心理って、一体何なんだ?
仮に、きくちさんと私を分断しようとしても全くの無駄に終わるだろう。必要があれば、個別のスタンスでやり返すだけの話である。
疑似科学批判批判するのは自由だけど、それなら疑似科学の実際と批判の実際と批判してる個別の人達の実態をちゃんと見てからにしてほしいな。
でもまあ、mercaさんのところはメタにとどまっているだけだが、もっと壮絶なのがある。「科学者の常識の欠如 – アルスブルグの研究室」で、延々ニセ科学批判をする科学者を批判している。ところが最初に
ニセ科学(或いは疑似科学)という言葉があります。言葉の正確な定義は知りません。
と勢いよく宣言。これじゃ、ニセ科学もニセ科学批判もニセ科学批判批判もまとめて不可能だろう。一体何を目的として長い文章を書いたのかが謎だが……一種の憂さ晴らし?
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