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学会とニセ科学

Posted on 8月 22nd, 2007 in 未分類 by apj

 「技術系サラリーマンの交差点」より「分析化学会は「ニセ科学」と向き合うか」というエントリより。中で取り上げられた項目について、私なりの見解を述べておく。
●「ニセ科学」というネーミング
 使われだしたのは確かに最近で、多分松山の物理学会の前後からだと思う。確か、阪大の菊池さんが言い出たのだったか。科学を装うが科学でないもの、というのが、ほぼ合意された定義だろう。
●何が新しいか
 多分、一般消費者や(典型的なのがマイナスイオン)、義務教育の現場(水からの伝言)といった、割と社会に広まったものを対象にしていることか。これまでは、例えば、フリーエネルギーなど「夢のような」ことを主張している人達はいたし、本も出たりしているが、ある意味マニアックなところでとどまっていた。
● 「疑似科学的なプロセス」はあるが「対象そのものが疑似科学」ということはない
 「科学を装う」がニセ科学に当てはまる条件なので、そもそもプロセスしか問題にしていない。
●「疑似科学的か否か」は過去についての評価しかできない
 正確に言うなら、評価可能な期間は「過去から現在まで」ということになる。
●ターゲットの収集
 「まんべんない対象から公平に抽出するのは困難」とあるが、公平な抽出の基準は立てられない。国民生活センターも公正取引委員会も、本当に公平な抽出を実現しているのかというと疑問である。まあ、被害報告や苦情が多かったものが優先されることならあるかもしれない。
●誤解が生じる懸念
 ニセ科学かどうかのレッテルを貼って欲しいというニーズはある。これに対しては、判定ではなく「どう考えるのか」を主に説明することで対応するしかないだろう。
●所属先との関係
 使命感を主張するのは理由の一つに過ぎず、実際には研究者側の利害も相当入っている。これについては後で述べる。

ニセ科学関連で訴訟が起こっているが、その内容は科学論争ではなく、大学のサイト管理責任を問うものである。
言うまでもないが「疑似科学批判」と「専門家のウェブ活動のあり方」は別個の問題である。にもかかわらず、実態として多少なりともリンクしているようである。これは、幅広い立場の人が参加する学会が公式に関わりを持つ際には注意しておくべきことと思う。

 これについては、そのうち動けるだろうと予想している。大学の果たすべき責任と、発信者個人が負う、表現の内容そのものについて(これは大学は責任を負えないし、負うことにすると情報発信のほとんどが事実上不可能になる)の責任の切り分けを、一度は学外でもやっておく必要があると認識している(学内では規則を作れば良いだけなので)。

 さて、上記エントリのコメント中で柘植さんが引用した河合さんの主張「定かでない事柄を定かであるかのように喧伝するものを諫めるようなことをすれば、学問における定かでない事を定かにするという営みをレッテルを貼るかたちになって阻害するから、学問的にはやるべきでない」について。これがまさに利害と直接絡む部分である。「定かでない事柄を定かであるかのように喧伝されると、本当はこれから定かでないものを定かにする作業が必要なのに、その必要性が認識されなくなり、結果として学問の発展を阻害する」の方が妥当なのではないか。科学者にとってニセ科学が直接の利害を持つとすれば、この形でだろうと思う。

 学会の仕事としては、
 メンバーがニセ科学について何らかの投稿をしたりセミナーを開いたりという活動を行うことについて、一定の理解を持つこと。ニセ科学についての発表や情報交換の場を作るところまでは積極的にやってもいいが(消極的には邪魔しないというだけでもよいが)、学会公認のニセ科学を認定するなどということはすべきでもないしする必要もない。学会はそもそもそういう「お墨付き」を与える組織ではない。
ということになるのではないか。分析化学会に限らず、どこの学会でも同じだろう。