「水からの伝言」は授業だけでは済まなかった
停電があったりで、少し遅れたのだが、信濃毎日新聞の2月24日の記事より。既に酔うぞさんのところでも取り上げられている。
科学者から批判の「ニセ科学」 先生が紹介する事例
8月24日(金)科学者から「ニセ科学」との批判が相次いでいる「『ありがとう』という文字を見せた水の結晶は、美しい形になる」との内容を、先生が子どもたちに紹介する事例が教育現場で出ている。長野市内の小学校でも校長が全校児童を前に講話する事例があった。これに対し、専門家は「科学的にあり得ない内容。科学的知識の十分でない子どもたちに、事実であるかのように教えるべきではない」と指摘している。
長野市内の小学校では今年2月、当時の校長が全校児童を前に、「ありがとう」「ばかやろう」などの文字を水に「見せて」凍らせたとされる結晶の写真をスライドで紹介した。「ありがとう」を見せた結晶は形が整い、「ばかやろう」の場合はバラバラだった-とし、「きれいな言葉を使っていると体も心もきれいになるが、汚い言葉を使っていると醜くなってしまう」と述べたという。
この問題を「ニセ科学」と批判する著書がある左巻健男・同志社女子大教授(理科教育)によると、こうした事例は、同様の話を扱った書籍の出版や一部教育団体の紹介をきっかけに、全国各地の小学校の道徳の授業などで散見されているという。講話で紹介した校長も書店から購入した写真集を参考にしていた。
菊池誠・大阪大サイバーメディアセンター教授(物理学)は「言葉の意味や内容が水に影響を与えるというのはあり得ない話」と断言。「(整った)雪のような結晶の形になるかどうかを決める要素は、温度と水蒸気の量だと明らかになっている」と話す。
校長は「内容は半信半疑ではあったが、言葉遣いが荒れていることを子どもたちに気づかせ、きれいな言葉を使おうという趣旨だった」と説明。科学者による批判は「知らなかった」とし、「知っていれば講話では扱わなかった。不適切だった」としている。
この校長は、講話の内容を各家庭に配布した「校長室だより」でも紹介。校長や学校によると、講話後に教諭の1人が校長に「(話は)本当かね」と尋ねた以外、内容に対する疑問や批判の声は寄せられていないという。
こうした事態に、菊池教授は「そもそも道徳は物質から教わるものではなく、別の教え方があるはずだ」と強調。左巻教授も「以前であれば授業に取り上げることなど考えられなかった。教員は、科学的な物の見方の背景にある批判的な見方を、もっと鍛える必要がある」と話している。
問題になりそうな部分は酔うぞさんの指摘とほぼ同じになってしまった。既に酔うぞさんは、
わたしがこの校長の説明で問題と感じるのは
・内容は半信半疑ではあった
・知っていれば講話では扱わなかった
この部分で、まとめると「自分じゃ何も考えてませ~ン」宣言ではないか、それを学校内で問題にしなかった、
と指摘していて、それはその通りだと思う。
ただ、最大の問題は、きくちさんの指摘(で、ここでもさんざん議論してきたことでもあるのだが)「道徳を物質に教わる話」を平気でしたという所にある。つまり、マナーあるいは道徳を教えるつもりで、最もマナーや道徳を蔑ろにすることをやってしまった。それがまさに「自分じゃ何も考えてませ~ン」ということなのだろうけど、だったら人に道徳なんか教えちゃいけないわけで。
一部の政治家やら審議会のエラい人が学校で道徳を教えさせたがっているけれど、やったところで期待通りの事は起きないだろう。道徳とは何か、を言葉で説明できない人ばっかりだと、見当外れな内容が教えられる結果になるだけではないか。