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ありがちな批判について言っておくべきこと

Posted on 9月 4th, 2007 in 未分類 by apj

 「技術系サラリーマンの交差点」のエントリで柘植さんが書かれたコメントを読んで、少し考えることがあったので、それを引用してコメントしておく。コメント中の津村さんというのは、上記のblogの管理人さんである。なお、赤字は私の編集による。

この部分に関しては、ずいぶんと意見をもらいましたね。多くは「お前、脇が甘かったんじゃないか」みたいな意見です。菊池先生や天羽先生は大学の教育者としてこれらの活動が社会教育の一環として「仕事のうち」になるのに対して、私の仕事場のミッションに「教育」は明示的に含まれていないので、公務員時代の用語で言うなら「職務専念義務違反」という突っ込みを誰かが行う隙を見せながらやっていたわけですねからね。

 でも私はあまり悪びれてもいないのですよ。なんていうか、実名でニセ科学批判を始めるときに覚悟だけは十分にしたつもりなのでね。

 なんていうかな、たとえば会社の車に長いはしごを積んで仕事場に向かっていたら、長いはしごがあれば人の役にたてる場面に出くわしたとしますね。いろんな場面が考えられて、火事場で2階で人が助けを呼んでいるのならまあ、仕事場に少々遅れたってはしごを役立てる方が、たぶん、ほめられそうですね。帽子が木に引っかかったのを取ってあげるのだと「まあ、人のためになったんだから良いか」となることもあれば「お前、仕事のほうを優先しろ」ということもあるかも知れませんね。もっとどうでも良いことなら、それはたいてい、「仕事をしろ」となる(笑)。
 変なたとえ話で申し訳ないのだけどね。「勤務時間中に仕事のための道具を別なことに使った」というだけで見れば、はしごで火事場から人を救出したって、帽子をとったって、もつとどうでも良いことに使ったって、全てそのカテゴリーになるわけです。

 別に津村さんにとってはニセ科学の蔓延なんてどうでも良いことだろうと思います。だからこそ、内容を深く吟味することなく「品位を疑う」ということになるわけですね。

 先日私にニセ科学の相談に来たOBの人がね「一番困るのは、大手の研究所なんかも持っている大企業がマイナスイオン商品なんて出してしまったことなんだよ。あれで小さな会社からの怪しげなものに関する相談も増えたし、回答がとてもやりにくくなっている。もう大手の会社の研究者に研究者としての真面目さというのは無いのだろうか」なんてことを言うわけです。私は「たぶん、困った研究者も必ずいると信じています、というか信じたいです。でもね、今の社会というのは個人の倫理観とか研究者の矜持みたいなものが簡単に押しつぶされる時代になっているように思います」なんて答えたわけです。

 なんていうかな、「勤務時間に仕事以外のことをしている」ならそれが何をしていたのであっても「品位に欠ける」とみなしてしまう津村さんご自身の第一印象というのは、「あいつは会社が命じた開発に反発している」ならなんであっても「よくない会社員だ」とみなしてしまう風潮を後押ししていないでしょうか?そして、そう思われるのは誰しも嫌だから、「はいはい、じゃあ、ドライヤーのノズルのプラスチックにトルマリンの粉末でも練りこんでみましょうか」となっていったのではないかと思ったりもするわけです。

(立場がはっきりしないという意見をいただいたので補足しておく。私は、柘植さんの考え方に賛成の立場である。)
 なお、柘植さんが指摘した視点で、勤務時間中にニセ科学批判はけしからん云々という議論を展開しているのは、お茶の水大を訴えてきた自費出版氏である。彼は私がネットに書いたことが以前関わっていた会社に対する公取の排除命令の原因になったと思いこみ、一種の逆恨みからそうしている(今は削除されたようだが、少し前までそのことを明言した文書をウェブサイトで公開していた。その証拠はとってある)。つまりは、「大学からニセ科学批判など出てこない方が、トンデモ説明を利用したマルチ商法をやりやすい」という本音を、一応のタテマエの皮にくるんで言っているだけである。
 自費出版氏に荷担する、あるいは自費出版氏の的外れ批判を後押しするような考え方をすることについて、ゆくゆくは社会にどんな風潮をもたらすことになるのか、想像力を働かせてもうちょっと自覚するべきだろうね。