amazon.comのused bookって
amazon.com(本家)の方のused bookって、版の違うものが平気で混じっている。
検索して出てきたのが最新版で、そのページに出ている古本リストを選んで購入すると、1つ前の版が送られてきたぞ……。ISBNで区分けすれば、版の違うものが同じリストに並ぶはずがないのだが。分類がいい加減なのか狙ってやっているのか。もちろん、第何版と明記して出している本屋さんもあるのだけど。
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blogのコメント欄についてですが、アク禁というかもう相手にしない人の2人目です。
kikulogのナノイーイオンのエントリーより、この場所でもSSFSさんについては投稿があっても削除します。
SSFSさんは、マイナスイオンだかナノイーイオンだかを擁護してきましたが、1000件を越す議論のやりとりの中で、批判派を納得させるだけの証拠を出せないうえ、議論のスリカエを繰り返してきました。さらに、atom11サーバの掲示板でも同じことを繰り返そうとしました。kikulogと大差ない投稿が繰り返されそうだったので、削除したら、他の場所に書き込むぞという捨て台詞を残して去っていきました(これも削除しましたが)。
これは、荒らしをするぞという予告に他なりません。
以前から、SSFSさんには、ご自分でサイトを作って存分に主張を展開するべきである、という意見が出されていましたが、何故か、他人の管理するサイトに書き込むことに異常に執着しているようです。
ここでkikulogで起きたのと同じことを繰り返すつもりはありませんので、SSFSさんについてはコメントがあっても無条件に削除します。ここを見ておられる方も、もし、書き込みがあっても、相手にしないようにしてください。
同時に、他の掲示板管理者やblog主の方には、あらかじめ他所を荒らすという予告があったことについて、注意を喚起しておきたく思います。
勿論、SSFSさんがご自身でサイトを別の場所に作り、kikulogで出されたもろもろの議論に対してスリカエをせずにきちんと回答すれば、また普通に論客として迎え入れるつもりです。
amazon.com(本家)の方のused bookって、版の違うものが平気で混じっている。
検索して出てきたのが最新版で、そのページに出ている古本リストを選んで購入すると、1つ前の版が送られてきたぞ……。ISBNで区分けすれば、版の違うものが同じリストに並ぶはずがないのだが。分類がいい加減なのか狙ってやっているのか。もちろん、第何版と明記して出している本屋さんもあるのだけど。
http://www.i-foe.org/h19wa1493/index.htmlにて、訴訟資料の一部を公開。
あらきけいすけさんのこのエントリについて。
現在の「ニセ科学」の対象は、これに加えて「人を傷つける要素を持つもの」という要素も含めて考えておかねばならないと思います。この要素が判断に加わっていることは、apjさんのブログにおける「温泉はニセ科学か」に対する「ニセ科学には入らないだろう」という結論からわかります。
ということなんだけど、どうも私が考えていたのとは違うようなので説明を追加しておく。私のニセ科学の定義は「科学を装うが科学ではない」で、これに変更はない。「人を傷つける要素を持つかどうか」が温泉がニセ科学かどうかを判定するときに必要になるとは、私は考えていない。通常人の判断力を基準にした場合、「一般的な温泉の効能書きが科学を装っていない」という理由で、温泉はニセ科学には入らない、と結論できると考えている。
薬事法の説明でよくある例に、八百屋のおじさんが「今日は良い大根が入ったよ。酵素がたっぷり含まれていて消化を助けるよ」と言って大根を売ったとしても、薬事法には引っ掛からない、というものがある。普通の人の判断を基準にした場合、大根を医薬品と誤認することはまず無いからである。これが、売っているものがそれっぽいガラス瓶に入った粉やら粒やらで、「酵素がたっぷり含まれていて消化を助けるよ」などと表示したら、薬事法に引っ掛かることになる。見た目からいって、医薬品と誤認しやすいというのがその理由である。
温泉と人との関わりを考えた場合、それなりに昔から効能書きはついていたし、効能書きを見て入浴したり湯を飲んだりということもしてきたが、科学的手続きで立証されてそうなった、という認識で利用している人は少ないと思われる。もっともこれも程度問題だが、典型的な例として「昔から親しまれてきた云々、リウマチ、肩凝り、冷え性、胃腸病などに効く」などとありがちな効能書きがあったとして、科学を装ったものという判断になるかというと、まあ今のところは常識的に考えてならないだろう。昔からありがちな宣伝だし、効能の出方だってまあそれなりというか、医薬品とは明らかに違う精度のものだという共通認識があるのではないか。
これが、ことさらに「波動を測定すると××で、マイナスイオンを測ると××で、だから効く」などと、科学的に精度の高い検証をやって効果を確認したという誤解を誘発するような宣伝が並んでいたとしたら、「温泉一般がニセとは言わんがその表示はニセ科学だろーっ」とツッコミを入れるしかなくなる。
【追記】もし、ほとんどの温泉が誤解を誘発する宣伝を並べ立てるようになったとしたら、「温泉の効能書きはニセ科学」ということになるだろう。
つまり、温泉がニセ科学かどうかを考えた場合、一般には「ニセ科学じゃない」となるのは、これまでの人と温泉の関わりから「科学と誤認される」おそれがなく、効能書きが書いてあってもそれが「科学を装う」に該当しないからであって、「人を傷つける要素をもつもの」かどうかという基準は必要ないというのが私の考えである。
山形新幹線の、身障者&赤ちゃん対応のトイレ(上りの一番前のトイレ)の話。トイレ洗浄のセンサーが敏感過ぎて、便座用紙シートを取って使おうと近付いただけで、服からの反射(?)を検知して洗浄剤が流れ始める(本当は使用後に手を近づけた時だけ流れるはず)。限りある洗浄剤を無駄にしてはいけないといつも気をつかう。じゃあ、センサーから遠ざかればいいんだ、と思って、反対側の壁の手すりのところにくっつくようにして、紙シートを広げていたら、電車が揺れて、よろめいた拍子にSOSと書かれた緊急呼び出しブザーをお尻でポチッとな……orz。慌てて止めた。乗務員さんに要らぬ心配をおかけしたかと別の意味で申し訳ない。
しかし、何でトイレを使う度に個室で使わなくていい神経を使ってじたばたしてるのかと情けなくなる。もうちょっとセンサーの感度を落としてくれないかな>JR東。
と学会方面から回ってきた情報。これによると
活仏の転生、当局の許可制に
2007年8月3日 ロイター
中国政府は、チベットの活仏が、政府の許可なしに転生するのは、違法で不当な行為にあたると発表した。中国宗教省は声明の中で、9月1日に施行された新法律は「活仏の転生を管理するための規則」であると述べている。「活仏が転生する寺院は、チベット仏教の活動施設として登録されていて、活仏を扶養し正しい支援を行なえるだけの能力を備えている必要がある」という。さらに、「この法律は、市民の宗教の自由を守るものであり、チベットの活仏制度の伝統に敬意をはらうものである」と加えた。
つまり、行政法で仏法を規定するという話。ただ、ここでいう「違法で不当な行為」が行われたとして、法廷での争いはどうなるのだろう?登録云々の部分は事前に提出された書類のチェックで済としても、「活仏を扶養し正しい支援を行なえるだけの能力」の具体的中身をどうやって決めるつもりなんだろう。
Interdisciplinary(by TAKESAN)のエントリ「適当な分析」を読んで。
見下すとかそういう話じゃないんだけど、ある所から先は「他人の理解力まで責任は持てない」「他人の読解力まで責任は持てない」と言うしかないんじゃないか。コミュニケーションの限界ってそういうもんじゃないのか。いくら勉強したって知識をつけたって自分なりに考えたって、他人に物を伝える以上、最後の所はこう開き直るしかないのがコミュニケーションってもんじゃないのか、と思うわけで。
元ネタは、ここのこれ
他人の記憶力まで責任はもてない
確か、少し昔、fj.news.usageで 「あんた、何々と書いたじゃないか」 「そんな覚えはない、どこに書いたというのか?」 というやりとりがあって、ここまでならよくあるのだが、この次が 「他人の記憶力まで責任は持てない」 というのだった。歴史に残したい名言中の名言だ。 確か、さらにこの後、 「どの記事か示せ」 「探せなければ諦めろ」 という感じのやりとりが続いたようだ。fjのパワーを感じさせた一幕といえよう。
だったりする。あと、もう一つ同じところから紹介しておきたいのが
自分の立場に立って物事を考えて下さい。
fj.news.usageで見かけた表現。インパクトすごすぎ。ふつぅは「人の立場に立って」とか「他人の立場に立って」というものだが、流石fj.news.usageというか、何というか、とにもかくにも凄いです。
このblogにしたって、私は私の考えと表現でいろいろ書いているのだけど、書いて公開した途端、それは私の手を離れる。私の方から、読む側に「どう読め」と強制することはできない。blogに限らず、本でも何でも、およそ表現というのは全てそういうもので、受け手に解釈を強制することはできない。だから、ズレたコメントがついたら追加の説明をするという努力はするけれど、それでも最終的に狙った理解に到達するかどうかという保証は無い。
「自分の立場に立って物事を考えて下さい」というのはある意味当たり前で、誰にとっても正確に説明できるのは「自分の立場」しかないということによる。「他人の立場に立って物事を考える」というのは、正確には「(自分も含め、別人が想像する)他人の立場」に過ぎないので、想像したものが事実と違っている場合が多々あるに違いない。間違った想像に基づいて何を考えたって見当外れの結果しか出てこないだろう。
従って「他人のことを考えろ」「他人はこう考えるはずだ」などと他人に言うのは愚の骨頂で、そもそも不可能なことを要求しているということを自覚すべきである。不可能なことを要求するというのは、ただの「嫌がらせ」だよね。そういう場合の対応は、「自分の意見を言うのにわざわざ他人を持ち出すな」となる。
では、「他人の立場に立って物事を考える」のが全く無意味かというと、そうでもないので、有効な例を1つ出しておく。マンション売り込みの電話が時々職場にかかってきて、その内容は「マンションに投資して儲けませんか、確実に資産が増えますよ」というものである。ここで、相手の立場に立って物事を考えてみよう。「本当に儲かるなら他人になど勧めず自分でそれを真っ先に実行して左うちわで暮らすはず。何も真っ昼間から電話営業のノルマに追われてであくせく働く必要はなくなる。あんたがそんな仕事をしている事実が、マンションじゃ儲からないという何よりの証拠である」という結論が直ちに出るから、「そんなもの要りません」と返事することになる。「人の立場にたって」というのは、本来、こういう場面で使うものである。
【追記】
同じページにこんなのもあったな。
訴状を見ていないのでコメントできない
一言だけいわせてくれ。
訴状見ろよ!
そりゃ無理だって……。
普通、提訴した側がマスコミ呼んで記者会見したりプレスリリース出したりするのって、訴状を提出した直後だろう。記者は原告から情報を得た後は、被告のコメントを取りに走って、その日のうちか遅くても翌日報道するための記事にする。ところが裁判所は、訴状を受け取ったら事件番号を振って適当な期日指定をして被告に送るわけで、この手続きに一週間から十日はかかる。訴状提出した当日に被告のところに行ったって、そりゃ訴状はまだ届いてないから見てないのは当たり前だわな。一応は両方の当事者に取材しないと記事にならないから、被告の所にも行くんだろうけど、毎回判で押したような「訴状を見ていないのでコメントできない」という返事をもらって帰ってくるだけになる。というか、それを知っててわざとにやってませんか?>記者の皆様。
リサ・ランドール「ワープする宇宙—5次元時空の謎を解く—」の497ページあたり。
この実験では、それまでで最も短い距離で重力が測定されて、ニュートンの法則がおよそ〇・一ミリメートルまで適用されることが確認された。
(略)
とりあえず確実なのは、〇・一ミリメートルより短い距離にある二つの物体のあいだで重力がどう働くかはわからないということだ。これを検証した人は誰もいない。
確かに言われてみれば、距離が遠い場合や程よい距離の場合についてはさんざん検証したけど、短距離(っていうかミクロ)の場合の重力って、実験的検証が無かったんだ……と、ちょっと目から鱗が落ちた気が。量子力学をやってる時は、質量は考慮しても重力は無視して式を書き、それは重力が他の電気的な力に比べてずっと小さいという前提によるもので、そうやっても実際に結果が実験事実と合うからそれで良いことにしてきたのだけど、重力の方を測って無視することを決めたわけではなかったわなぁ……。例の逆2乗の式はいつも出てくるし、式の形が形だから距離が小さくても適用できるような気がするけど、それはそういう「気がしていた」だけであって。
第一学習社の高校生向け化学の図解資料集に、ニセ科学注意ってな内容の記事を書かせていただくことになった。編集担当の方とやりとりしながら作業中。
11月には、SSH(だったと思う)の企画で高校生相手に話をしてほしいという依頼が来て、引き受けた。高校生相手だと、話にはいろんな展開があり得る。これから打ち合わせをして詳細を詰める予定。
大学教員としては、高校生へのアピールは大事なのだ。
岩波「科学」の書評を書きませんかと誘われたのでこれも引き受けた。「理工系物理学」(鐸木康孝著、開成出版)を題材にして書く予定。もらった論文集も持っているので、久しぶりに引っ張り出して眺めてみるか。