アニメの最遊記が示唆に富んでいると思う件
だいぶ前にTV放映があったアニメ「最遊記」。確か、あの世界観では、「魔術と科学を一緒にすることはタブー」ということになっていたのだが、これがなかなか意味深長ではないかと。
ガンが治るなどと、科学の領域に踏み込みながら信者を勧誘するような「宗教」が、大抵はカルトで被害者を出していることを考えると、やっぱり実際タブーなんだよなぁ、と思ったりするわけで。
(宗教=魔術、と言いたいわけではないです、念のため。比喩的表現です。)
むしろ、科学にすり寄ってくる宗教はロクなもんじゃない、という判断基準を立てる方がいいのかもしれない。
宗教独自の価値判断の体系を立てるにあたって、科学なんかに頼らなければならないというのは、思想的に脆弱であることの証左である。
ここからは旧ブログのコメントです。
by かとう at 2007-10-57 08:25:57
Re:アニメの最遊記が示唆に富んでいると思う件
昨夜読み返した本で、ここで紹介したいなと思う主人公の
台詞がありましたが、本日の記事のコメントに附けるに丁度
よいものなので、ここに引用します。
>「昨今科学に不信を抱いて宗教に走ると云う族がいるが、
>それは筋が通らない。論理的整合性があるからこそ、
>間違っていないからこそ科学なのです。不信を抱く隙間
>はない。科学と云うものは全幅の信頼を寄せるべきもの
>なのです。勿論科学的疑問を持つことは結構だし、科学
>技術の使用方法には大いに不信を持っていいのだが、
>科学的思考自体に不信を抱くと云うのは、基礎的な教育
>がなっていないとしか云いようがない。疑われるべきは
>科学を用いる人の側の方なのです。それと同様に―――
>宗教に不振を持って科学に走ると云うのも間違っている。
>いいですか、宗教は決して科学の代用にはならないもの
>です。否、なってはならないものだ。また科学を宗教の
>代用にすることもいけない。科学を信仰することも、宗教
>を科学することもしてはいけないことです。科学は科学、
>宗教は宗教。関わり方を間違えると、国が滅びます」
文庫版 鉄鼠の檻 p.823
講談社文庫 ISBN4-06-273247-5
著 京極夏彦
科学と宗教の関わりを書いた本ではないです。
ミステリーで、禅宗を切り口にした本です。
普通の読み物として面白いですよ。重いけど。
「科学」とは何か?
以外に、ここからして分かれてしまうかも知れませんが、
自分は、理論自体の論理的整合性と、実験と理論の整合性
がある事。
あとは、実験の再現性がある事が「科学」に必要な要件
だと思ってます。
それらを「科学」だと考えると、引用の冒頭の間違っていない
から科学ってのが、すんなりいくと思うんですよね。
「科学」とは上記の要素を持った、人が思考する時の
手法の呼び名みたいなものだと思います。
それと、「宗教」とか「魔術」とかを、並列に置くこと自体
が、どうかと思われ。
by therese at 2007-10-51 08:31:51
Re:アニメの最遊記が示唆に富んでいると思う件
こんにちは。自分のブログにはなぜかコメントができませんのでこちらに参りました。ありがとうございます。
私も科学に頼る宗教というのは、それ自体の尊厳を損なうことになるという観点から反対です。この意味で伝統宗教が疑似科学に頼っていないと断言できるならいいのですが、あやしい部分がかなりあります。
本当の意味で棲み分けをして欲しいと切に願っています。
by もとエスペ at 2007-10-14 20:07:14
Re:アニメの最遊記が示唆に富んでいると思う件
昔、「ハローアインシュタイン」という一話完結のドラマあった。アインシュタインの生涯を描いた作品で、冒頭は、核兵器に関して「私がいけなかったのだろうか」と頭を抱える場面。ちょうど東西冷戦が最高潮に達していた頃だ。たしか何カ国かの共同制作で、日本版では手塚治虫さんが解説のようなことをやっていた。
そのドラマで印象に残った台詞に、
「宗教のない科学はどうとかで、科学のない宗教はこうとかだ」、というものがあってね。長い間、その「どうとか」と「こうとか」が思い出せなくてもどかしい思いをしていた。
インターネットのキーワード検索っていうのが便利だと思うのは、「アインシュタイン 宗教」で検索したら、きちんとその台詞が出てくることだ。
「Science without religion is lame,religion without science is blind」
「宗教無き科学は欠陥であり、科学無き宗教は盲目である」
(出所は http://blog.goo.ne.jp/pandagananda16/e/febcf5ecc0dc6ffc5cb5b42d246eb0a1 )
このエントリーを読んで、そんなことを思い出した。
(ハローアインシュタインで検索したら、日本では1984年の放映。
http://ja-f.tezuka.co.jp/osamu/chronogical/1980.html
ぼくは浪人中。てっきり高校生の時かと思った。
再放送か、DVD化か、されないかな。)
長文ご容赦
by apj at 2007-10-34 11:24:34
Re:アニメの最遊記が示唆に富んでいると思う件
もとエスペさん、
どういう文脈でアインシュタインが言ったのかわからないのですが、科学と宗教という、ものごとを考えるに際してことなった方法論と体系を持つ世界があることを知っておけ、という意味だと理解していでしょうか。
どちらか片方を選ぶのでもなく、両者を混ぜるというのでもなく。
by apj at 2007-10-48 11:36:48
Re:アニメの最遊記が示唆に富んでいると思う件
thereseさん、はじめまして。
そちらのブログにコメントできないもので、つい、poohさんのところに書いて、ついでに自分のところにも関連エントリを上げてしまいました。
>この意味で伝統宗教が疑似科学に頼っていないと断言できるならいいのですが、あやしい部分がかなりあります。
宗教が、なのか、その宗教を中途半端にしか理解してない人が、なのか、元の宗教を中途半端にかじっただけで別の宗派のようなものを名乗った人達が、なのかを、議論する前に区別しないといけないように思います。
宗教の体系自体には科学的要素なんか入る余地がないのに、よく理解していない人が他人に説明するときに科学に頼る、ということはあるかもしれませんので。
by therese at 2007-10-45 13:46:45
Re:アニメの最遊記が示唆に富んでいると思う件
説明の対象があまりにもいい加減でしたね。このような場での議論は慎み、言動全般について、もう少し慎重になろうと思います。ご指摘、ありがとうございました。
by apj at 2007-10-25 18:21:25
Re:アニメの最遊記が示唆に富んでいると思う件
thereseさん、
もちろん、おっしゃりたいことはよくわかります。
poohさんのところだったか、「水からの伝言」を引用して説法する坊さんの話が出ていたりしましたので、油断するとプロでもあぶないことがある、と。
by 氷村 at 2007-10-50 05:45:50
Re:アニメの最遊記が示唆に富んでいると思う件
法話に水伝を持ち出す僧侶の話はこちらのエントリですね。
http://blog.so-net.ne.jp/schutsengel/2007-05-06-2#comments
私も各宗派の水伝汚染の現状を挙げて少々苦言を呈していますけど、水伝の道徳的間違いを喝破する僧侶も居るかなと思って調べた結果がこれですよ。
で、肝心の水伝を批判している僧侶は見付からなかったという・・・美醜で善悪を判断するなど、宗教(特に仏教)としてあるまじき事なんですけどね。
まあ、殆どの僧侶は水伝など馬鹿馬鹿しくて取り合わないでしょうし、中には浅薄な僧侶もいるかとは思いますけど、天台宗の状況はかなりまずいですね。
実は天台宗に関してはまだ続きがありまして、江本勝の著書に声明やお題目を聞かせた水の結晶写真が載っている事は知っていたのですけど、詳しくはお題目とお念仏と“僧侶約60名による”声明という凄まじい物だそうでして。
この組み合わせと僧侶の動員人数から、どう考えても天台宗以外には有り得ませんが・・・比叡山は一体どこまで堕落しているのやらorz
by apj at 2007-10-07 07:42:07
Re:アニメの最遊記が示唆に富んでいると思う件
氷村さん、
僧侶が60人居て誰も水伝のおかしさに気付かないとは……。
おまいら本気で修行したのかと問い詰めたくもなりますねぇ。
by nomad at 2007-10-37 08:35:37
Re:アニメの最遊記が示唆に富んでいると思う件
> 比叡山は一体どこまで堕落しているのやらorz
やっぱり織田信長は正しかったと
by 技術開発者 at 2007-10-48 12:33:48
Re:アニメの最遊記が示唆に富んでいると思う件
こんにちは、皆さん。
天台声明などのCDも売られているので、それを使ったのではないかと思うのですが?
http://homepage1.nifty.com/zeami/j-s_b.html
by 氷村 at 2007-10-10 05:33:10
Re:アニメの最遊記が示唆に富んでいると思う件
技術開発者さんのコメントを読んで、伝聞だけで判断するのはまずいかなと考えて、江本勝の著書の該当部分を探して買って来ました。
青春出版社の「自分が変わる水の奇跡」P.145上部には写真のコメントに、【「南無妙法蓮華経」「南無阿弥陀仏」お経の文字を見せると、とても美しい結晶ができています。お経を書いたり見たりすると、心が落ち着く理由がわかります。】と書かれています。
これは文字を見せただけの物らしく、伝聞で天台宗だと判断したのは完全に私の勇み足でした。誠に申し訳ありません。
その下には写真のコメントに【「声明を聞く前の水道水」「声明を聞いた後の水道水」60人ぐらいのお坊さんが唱和する舞台の上に水道水を置かせてもらったところ、見事に変化しました。】と書かれています。
P.154には岡山県津山で体験したと書かれているので、真言宗の方が怪しいかも知れません。
http://www.google.co.jp/search?num=100&hl=ja&c2coff=1&q=%E6%B1%9F%E6%9C%AC%E5%8B%9D%E3%80%80%E5%B2%A1%E5%B1%B1%E3%80%80%E6%B4%
A5%E5%B1%B1%E3%80%80&lr=
母の実家の菩提寺が岡山の真言宗寺院なので複雑な気分です・・・
by 氷村 at 2007-10-40 05:37:40
Re:アニメの最遊記が示唆に富んでいると思う件
文字数オーバーでリンクが化けたみたいです。直リンはさけたいので頭のh抜きで。
ttp://www.masaru-emoto.net/japanese/jdiary200407.html#shingon
by もとエスペ at 2007-10-44 03:25:44
Re:アニメの最遊記が示唆に富んでいると思う件
ばたばたしていて、書き込むのが遅くなった。ごめんなさい。
ハローアインシュタインでその台詞が出てきたのは、たしか第二次大戦後にアインシュタインが取材記者の質問に答えるという場面。記者が、核分裂は、神への冒涜ではないか、とか、あるいは神の域を超えているとか、そういうような質問をした回答だと思います。(ごめんね、四半世紀近くも前のドラマの一場面だから、曖昧にしかわからない)
ぼくは、この台詞を、「宗教か科学か」という「二分法」でとらえるのではなく、人間を取り巻く世界(水平社宣言でいえば「人間(じんかん)」を科学と宗教が補い合うということか、と理解したのでした。(それでも「どうとか」と「こうとか」しか覚えられなかったんだけど)。
アインシュタインの宗教観については、工作舎から
「アインシュタイン、神を語る」
http://www.kousakusha.co.jp/DTL/einp.html
という本が出ている。読んでみようか、と思いつつ時間が経ってしまっています。
毎度のことながら、長文ご容赦
by キタヤマ at 2007-10-34 04:17:34
Re:アニメの最遊記が示唆に富んでいると思う件
とても大雑把な言い方ですが、苦しみの中にいて、まずは、状況を変えるのではなく、自分が変わることによって、苦しみからの解放を目指すのが、宗教で、状況を変える(例えば、病気を治す)ことに集中するのが、科学技術という感じがします。そうすると、「科学なんかに頼」って、「ガンが治る」などといって、「信者を勧誘するような「宗教」」は、「思想的に脆弱」というか、方向性が違うのではないかと思います。中途半端に科学に頼ると、魔術やニセ科学もどきになり、きちんと「科学」すれば、それは、科学(技術)になってしまう?
「科学と宗教」というのは、「ことなった方法論と体系を持つ世界」だから、別々に好きなことを言っていればいいのかというと、
>「宗教無き科学は欠陥であり、科学無き宗教は盲目である」
なのでしょうか。
例えば、不妊という苦しみを、生殖補助医療(代理母など)で解決しようとする医療技術者に対して、疑問の声が挙がるのは、「宗教(哲学)無き科学技術」と感じる人がいるから?
遺伝子組み換え作物や原子力発電に対する抵抗感というのも、安全性への心配というよりは、「宗教(哲学)無き科学技術」というか、哲学を共有できないと感じること?
「科学無き宗教は盲目である」というのは、「進化論を全否定」してしまうようなこと?「宗教」に救いを求める人にとっては、科学が明らかにすることは、身も蓋もなく感じられて、「盲目」でもいいから、救われたいと思ってしまうような気もします。
>宗教を科学することもしてはいけないことです
と
>科学無き宗教は盲目である
は両立するのでしょうか?
by apj at 2007-10-45 06:10:45
Re:アニメの最遊記が示唆に富んでいると思う件
キタヤマさん、
まあ、アインシュタインの宗教・科学観がどこまで練られていて妥当なものかについては、一歩引いて考えた方が良いかと。歴史に残る物理学者であったことは確かですが、哲学者ではありませんから。
by キタヤマ at 2007-10-24 08:10:24
Re:アニメの最遊記が示唆に富んでいると思う件
apjさん、お返事いただきありがとうございました。終わった話を蒸し返したようで恐縮です。
この警句について書いたのは、「偉大な物理学者」アインシュタインの言葉からではなく、この警句に共鳴するものを感じたのと、私の知っている範囲では、アインシュタインは、科学と社会について深く考えた科学者だと思っているからです。
「科学無き宗教は盲目である」という言葉から、IDや水伝を連想しましたが、そういうものが社会に広がって欲しくないと思いながらも、「そういうものなしで、宗教は成り立つのだろうか?」という疑問もあります。簡単に答えが出るようなことではないですね。「盲目」というところが微妙だなと思います。