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今の「ニセ科学批判批判」が使えないのはなぜだろう?

Posted on 12月 17th, 2007 in 倉庫 by apj

 poohさんところ経由、こしだのITジャーナルが面白いことになっている。何だか一種の実験をしているような感じである。 
 最初のエントリーが「ニセ科学批判批判?に思うこと」。これに案の定コメントがたくさんついた(私もいくつか書いたが)。次に、blog主のこしだすいさんの追記「ニセ科学批判批判?に思うこと 追記(覚え)」がアップされた。その次が「JANJANの石田剛記者からご返信をいただきました」。ここで、最初のエントリにたくさんついたコメントで、「石田剛」を騙ったものが大量に混じっていたことが公開された。次に、室井健亮氏ご自身のものかもしれないコメントがあることが示された「ニセ科学批判批判?再考(資料)」。しかし、投稿者の名前は室井氏ではないし、室井氏のページからコピペしたものならば、別人が投稿してもGoogle先生の判断が「ご本人」となるかもしれないことまでは否定できない。
 普通は、批判であれば何かしら建設的な方向に役立つはずである。しかし、私が見る限り、ニセ科学批判批判の議論をすると、
・同一人物のなりすましと騙りが横行
・意味のないコピペばっかり増える
・ついでに罵倒も増える
・中間的な結論すら全く出てこない
ため、ニセ科学批判批判の議論を見ても全く役に立たない。批判している人達は、一体何を見て批判しているのかが謎である。
 なお、室井健亮氏に関しては、氏の名前で激しくイタい厨なメール(誰がみても典型的な「かまって君」だと分かる内容)が2通ほど届いたこと、しかし今の段階では氏がそれを送ったとする証拠もないことを述べておく。誰かのなりすましだとすると、氏の評判を引き下げるメールが方々に送られているかもしれないが……。

 私は、確かにニセ科学批判にカテゴライズされる活動をしてきた。しかし、その中身は「水クラスターの話は間違いでNMRでは測れない」「マイナスイオン水と呼ばずに電解質の組成と量を調べるべき」「トルマリンによる水質改善の話は変だ」といった、個別の主張の集まりである。きくちさんの批判を見ても、水伝批判だったり、血液型性格診断批判だったりするわけで、結局は個別の議論になっている。
 ニセ科学批判批判という枠組みを立てるなら、その枠組みが具体的に、個別のニセ科学批判の内容にどう当てはまるかまで述べてもらわないと、全く役に立たない。「こうあるべきだ」という主張だけあっても、現実に行われていることとの関連が全く示されないのでは「だから何?」で終わってしまう。これまでのところ、私がニセ科学批判批判から学んだことは「具体例を踏まえないメタな議論はとことん役立たず」という経験だけである。

 役に立つニセ科学批判批判があるとしたら、
○ニセ科学批判批判の立場から見たとき、現状のニセ科学批判はどういうものであると認識しているのかが明確に述べられている。
○その認識は、個別のニセ科学批判のあり方をきちんと捉えた上でのものである。
○今のニセ科学批判のどれかががまずいと考えるならば、具体的にどうすればいいと考えるのか。個別の例ごとに、「こうあるべきだ、理由は……」と述べる。
といったものになるのではないか。

 そういえば、どこかで見た議論に、「新規な現象や効果を主張する側に立証責任がある」というのは科学だけのルールだろう、といったものがあった。確か、ルールを押しつけるなといった内容の主張だったかと……。ところで、「不当景品類及び不当表示防止法」の4条2項には、

2  公正取引委員会は、前項第一号に該当する表示か否かを判断するため必要があると認めるときは、当該表示をした事業者に対し、期間を定めて、当該表示の裏付けとなる合理的な根拠を示す資料の提出を求めることができる。この場合において、当該事業者が当該資料を提出しないときは、第六条第一項及び第二項の規定の適用については、当該表示は同号に該当する表示とみなす。

とあり、効果を主張する側が立証責任を負うことが明記されている。少なくとも立法者は「効果があると表示した者に立証責任を課そう」と考えていたことになる。私から見ると、科学で使っている基準に法が合わせたように見えるのだけど、社会学の人達にはどう見えているのだろうか。「合理的な根拠」は、おそらく科学的に妥当な手順を踏んでいるとか試験をしているといったことが想定されているはずだし、事業者自身が扱っている商品についての立証であるので「相当因果関係」程度で認められるとも思えないのだが……。

 なお、近々私が始めるはずの訴訟のうちの1つは、どこまでの批判ならやっていいかをまともに法廷で問うものになる見込みで、ここまで行けば、ニセ科学批判といえども法学あるいは法社会学の扱う対象と重なってくると思う(今はまだ詳細を明らかにするつもりはない)。その時が来たら、ぜひ社会学の立場できちんと議論して読み解いてもらいたいものである。

【追記】「もっと休むに似ている」にて、室井氏=コピペ荒らしのふま=比ヤング、であることが立証された。これで、目立ったニセ科学批判批判の1つは全く意味が無い、只の議論妨害行為であることがはっきりした。
「比ヤング」「ふま」「夫馬」「うま」「トロッコ」「室井健亮」→?
「ふま」一族の陰謀(と、いっても個人)
外道照身霊波光線
ふーまーのーこーめーんーとー