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昔を思い出した

Posted on 2月 17th, 2008 in 倉庫 by apj

 朝日新聞の記事より。

山陰、北陸中心に大雪 滋賀でJR北陸線がオーバーラン
2008年02月17日20時06分

 強い冬型の気圧配置となった17日、山陰、北陸地方を中心に大雪となった。各地の気象台によると、17日未明から午後8時までの主な市街地での最大積雪量は、滋賀県高島市63センチ▽同県米原市59センチ▽鳥取市41センチ▽福井市35センチ▽福井県小浜市35センチ▽京都府舞鶴市32センチ▽兵庫県豊岡市32センチなど。

 JR西日本によると、滋賀県内のJR北陸線で17日朝、近江塩津発米原行き上り普通電車が高月駅(高月町)と、4駅先の田村駅(長浜市)で停車位置を約110~140メートル過ぎて止まった。当時、両駅周辺では40~50センチの積雪だったといい、運転士は「ブレーキをかけたが、思ったより滑ってしまった」と話しているという。

 また滋賀県の湖西線近江今津駅(高島市)や北陸線近江塩津駅(西浅井町)などでは、ポイントにたまった雪が原因で切り替えができなくなり、運休や遅れが出た。

 滋賀県長浜市出身なので、何だか昔を思い出してしまった。
 中学の時は、すきま風入りまくり裏口はほとんどオープンな木造校舎だった。こういう寒波が来て大雪になった日、廊下にこぼれた給食の牛乳が凍っていたことがあった。余呉の方に住んでいる先生が2日ほど出勤して来なくて、どうにか出勤してきたら「もう帰れないので今晩は学校に泊まる」と言っていたことがあった。普段自動車通勤の先生が徒歩で来たので、どうしたのかと訊いたら、「朝、車庫の屋根の雪を降ろす方向を間違えて車庫入り口に向かって雪を落としてしまった。そのあと車を出そうとしたのだが時間切れで……」だそうで、笑い話のネタになった。
 高校の時は雪でも自転車通学だったが、この記事のような時には電車かバスを使うことにしていた。その電車(北陸線)が、ポイント凍結で朝8時頃になっても始発も出ていないという日があった。
 バスで行くと、除雪が間に合わず、幹線道路でもタイヤを雪にとられて動けなくなる車がちょくちょく出ていた。すると前後の車からみんな降りてきて押して動かす手伝いをして、また何事もなかったようにゆっくり走り始めた。
 強引に自転車で通学を試みたら、ママチャリの泥よけの部分に雪が挟まって凍り付いて段々タイヤが重くなったので、走りながら足で蹴飛ばしたらそのまま足を挟まれて転んだり、学校まであと数百メートルというところで挟まった雪が本当に凍り付いて蹴飛ばしてもとれなくなったので、すぐ脇のお寺の境内に自転車を置いて、徒歩で雪を突破し、遅刻して教室にたどり着いたらクラスの半分くらいが出てきていなくて、「雪のため午前中で休校にします」となり、こんなことなら家でさぼってた方がよかったと思いながら、自転車を回収して家までたどり着いたのも、今となってはいい思い出である。
 暖冬と言われる前には、滋賀県北部でも、4年に一度くらい豪雪になることがあって、屋根の雪下ろしが必要だった。学校でも、校内雪かきの時間が設けられたことがあった。

 年始の同窓会では、昔、雪で散々な目に会いながら通学した仲間の多くが、変わらず近くで暮らしていることがわかった。郷里の仲間に、豪雪お見舞い申し上げたい。

#東北地方在住なのに、山形はここ数日あんまり降ってないんだよなぁ。あちこち凍り付いてはいるけれど。