ビリーバーは説得できない
ニセ科学に限っての話として始めるが、「ビリーバーは説得できない」というのは本当である。ただ、これは、いわゆる「上から目線」でもないし「お前がバカだから」といった意味でもない。
私が今ぶつかっている、説得できない場合の典型的な例としては、吉岡英介氏との紛争がある。吉岡氏は「磁石で水は変わる」と強固に主張し続けていて、過去に、関わっていたビジネスが公取の排除命令を受けたことも納得せず、かといって客観的な証拠を出して説の精度を上げるでもない状態で、紛争を続けている。こうなると「ビリーバーは説得できない」どころじゃなくて、「ビリーバーとの論争の行き着く先は法的紛争である」と言った方が、事実を正確にあらわしている。
別の説得できない例としては、ニセ科学を信じることが心の安定になっているような場合がある。例えば、いろんなナントカ健康食品の遍歴を重ねて今は水にはまっている、という人の家族から相談されたことがあった。説得の方法を教えてうまくいったとしても、その人は今度は別のカントカ健康食品にはまることが予想され、健康食品による健康被害の可能性が現実にあることを考えると、無害な水にはまっているほうが安全だから、むしろ説得すべきじゃないという結論になった。何かに頼ってないと不安というのは、人生観の問題なので、科学の知識を伝えたり、今信じているものがまずいということを伝えただけでは、どうにかできるものではない。
「ビリーバーであること」を支えている主な理由が、吉岡氏の場合は「商売」、相談者の方の場合は「人生観」と思われる。何を価値あるものと考えるかというのは人それぞれだから、「ビリーバーを説得する」ということが、場合によっては「その人の価値観自体を変える」ということになってしまう。これは難しい。普通はネットの対話でどうにかできるようなことではない。家族や近しい友人であっても、対話によってある人の価値観を変えさせるということができない場合はいくらでもある。ある程度の強制力をもってしても無理だったりする。第一、「その人の価値観を変えてやろう」などというのは、かなり大きなお世話でおこがましいことだったりするのではないか。
「ビリーバーは説得できない」というのは、「ある個人の価値観自体を変えさせるのが不可能な場合が多々ある」という、極めてありふれた現実を別の表現で言ったに過ぎない。
信じている内容がその人個人の人生観にまで深くリンクしていなければ、対話で説得できるかもしれないのだけれど。
【この件について言及しておられる方々】
○「ビリーバーは説得できない」について(思索の海)
○説得という事(Interdisciplinary)
○信奉者の説得について(Skepticism is beautiful)
○「説得する」(Chromeplated Rat)
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