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等?

Posted on 7月 6th, 2008 in 倉庫 by apj

 訴訟資料の整理をしていて、ふと。最初の訴状で事件名が「損害賠償等請求事件」になってるのに、答弁書が「損害賠償請求事件」になっていたり。「等」は何処へ行ったのだ?^^;)。
 まあ、単なる凡ミスなんだろうし、「等」に該当する内容についても書面には書いてあるから審理には何も影響がないので、ほぼ誰も気にしていないような……。

誤爆だった場合のペナルティを負わせることが前提では

Posted on 7月 6th, 2008 in 倉庫 by apj

 イザの【甘口辛口】より

 イタリアの世界遺産に登録された大聖堂に大学生が落書きしていた一件に端を発した「落書き問題」が、国内の観光地を含め至る所に波及している。落書きが許されないことはここで言うまでもないが、それよりも注目したいのはインターネットやメールが持つ“告発力”の強さだ。

 観光客が落書きの写真を添付したメールを大学に送ったり、ネット上に写真を掲載したりしたことで問題が表面化し広く世に知れ渡った。そして停学などの処分が下った。この告発の動きに「魔女狩りのようだ…」などと疑問を呈する向きもあるようだが、こうした見解には違和感を覚える。

 ネット上での告発は、これまでさまざまな企業の大不祥事や食品偽装などを暴いてきた「内部告発」とよく似ている。内部の不正に通じた人が当局や報道機関などに通報するように、落書きという不祥事を目撃して現場事情に詳しい人がこれを暴露する。ネットという誰でも書き込める場所を得たことで告発しやすい土壌ができた。

 平成16年には内部告発者を保護するための公益通報者保護法が成立、18年から施行された。公平公正な社会のために内部告発を生かそうという仕組み作りが進んでいる。一方で同法を作って保護しなければならないほど、日本は内部告発者が解雇などの不利益や報復措置を受けやすい風土でもあるようだ。

 建前では内部告発を理解できても心の中では受け入れられず、どこかで告発者をさげすんでいる。今回の一連の告発を「魔女狩り」と感じてしまう背景に、この「風土」が根強く残っていることがありそうだ。ネットという超情報社会の進展と法律上の整備に、人の心情が追いつけていないように感じた。(篠田哉)

 まあ、「落書き」を誰にでも見える場所に書いたものが、ネットでさらにみんなに見られるようになったとしても、文句を言う方が間違いで、ある意味本望ではないかと。
 ただ、虚偽の内部告発が意図的な嫌がらせのために行われる可能性は常に考えておく必要がある。事実ではない内部告発をやった人に対するペナルティも(ネットの告発力の強さとバランスがとれる程度に)きちんと課すということと一緒でないと、ネット告発を認めることとの間のバランスがとれないのではないかと思う。告発の中身が、社会常識に照らして正しいものであれば問題が無いのだが、組織内の方が歪んでいる場合は、告発しなければならないことがもみ消されたり、告発に値しないことがことさらに大げさに告発されたりという両方のケースがあり得るのではないか。

別種の殺意を覚えるかも……

Posted on 7月 6th, 2008 in 倉庫 by apj

 「秋葉原通り魔事件 ~ 人生はリセットできない」を読んで。
 仮に、仮にだよ、私が何らかの理由で世の中や他人を深く深く恨み、復讐を意図して武器を手に人混みに出かけ、数人の刺殺に見事成功したとしよう。ところが、後から「あの事件は容疑者がゲームに毒されていたから起きた。容疑者はゲーム感覚で犯罪を実行した」などと評論家に書かれたとしたら、次に殺したいヤツの筆頭にその評論家が来そうに思う。

 安易に犯罪をゲームのせいにされては、ゲーム好きな人にとっても勿論困るが、容疑者にとってもそんな安っぽい解釈をくっつけられるのはまっぴらだろうということなんだけど。