量子力学無しではどうにもならない
直前のエントリーで言及した、「痛いことを惜しげもなくさらすブログ」の、「ニセ科学(ry (2)」に、さらに言及しておく。
ご存じないようでしたら、今ドンデモ科学系で批判されているのは、量子力学の議論に起因する、今までの科学的態度それ自体に対するアンチテーゼだと思いますので、いくつか書籍をあたられることをお勧めいたします。
科学的に間違っているのを正せばよいとか、科学的理想とのギャップを埋めればよいのではなく、科学的態度そのものが間違っていたという議論です。
つまり、今までの科学こそがニセ科学であったという話。
謙虚さが足りないと申し上げたのは、その論点です。
量子力学は別にニセ科学でもないし、科学的態度を云々される代物でもない。
身近なところからの例ということで、量子力学無しでは化学結合が起きる理由を説明できないのだということを指摘しておく。
随分前から高校進学率は9割を超えていて、高校では理科の一部は必修なので、今現役で活動している国民の殆どが学校で化学の一部を一度は学んでいるはずである。「物質が原子からできている」を知らない人はまず居ないし、「身の回りの物質はいろんな種類の原子がくっついた(結合した)ものでできている」も、ほとんどの人が知っているだろう。
しかし、「なぜ、原子がお互いくっついて離れなくなるのか」の説明は、量子力学無しには不可能であった。実際、大学で私は学生達に向かって、「受験勉強でも大学に入ってからも、化学反応についてはさんざんやってきたが、何と何がこう結合する、という話ばっかりだった。ここにきてやっと、なぜ化学結合が可能かについて(生まれて初めて)勉強することになる」と説明している。なお、この講義内容は物理化学の続編で、水素原子の波動関数を求めた後、水素分子イオンや水素分子についての計算をしている。
以前にも書いたが、科学に対する問いの立て方は2通りある。法則がなぜその形なのかというWhyを問うと、形而上学になってしまう。観測できる量の間の関係というHowを問うなら、そのおそれはない。Howの方は精度が年々良くなって、たまに法則の形の方が変わったりもするが、Whyだけを考えていたって得るものは少ないのではないか。というか、Whyの方を考えて先に進むことが可能になるとしたら、イヤというほどHowをどう記述するかについてやってみた後ではないのかと。
今までの科学がニセ科学だというのなら、まずは、どうして水素原子が2つくっついて水素分子になるのかを、きちんと説明して見せて欲しい。お薦めの「態度」でそのことが可能になるのなら私だって知りたい。それすらできないままに態度の方を問題にするならば、その方がよほど傲慢であろう。
ここからは旧ブログのコメントです。
by mimon at 2008-08-01 09:07:01
量子力学
物理や化学の人だけでなく、私のような熱屋も、学生時代は、量子力学を結構使っていました。
熱力学は、突き詰めると、量子統計力学になりますし、実験に使うレーザーや吸光も、量子力学なしでは、話になりません。
その当時、「昔の教養人は微積分ができる人だったが、今は、量子力学が使える人だ。」みたいな記事を読みまして、自分も量子力学を道具として使っているのだから、教養人の仲間入りかな、なんて思っていました。
ところが、学校を出て、古典力学の世界で何十年も過ごしていると、だめですね。
水素の共有結合の波動方程式の解は、二つあって、片方は斥力が働くので、・・・。なんていう、学部の一年の一般教養で習うことすら、式の形や、解き方が全く思い浮かびません。
一応、「専門的知識」を一度は身に付けた、私でもそうなのですから、そのような学問に縁のなかった人が、「波動」に騙されることは、仕方がないことなのか、自分も理解していない「波動」を持ち出す商売人が詐欺師なのか、実際は、その両方が成り立っているのでしょうね。
by apj at 2008-08-39 00:52:39
情報を得るルートが問題かもしれませんね
mimonさん、
使わない知識を忘れるのは、誰しも同じです。私だって、高校の頃にやった古文や漢文は相当怪しくなってたりしてますし、博士受験の頃には2000語レベルになっていたドイツ語は、今や無惨な状態です(汗)。
言及先を見て、ちょっと問題かなと思ったのは、量子力学の議論をするのに、とっかかりが観測問題、しかも、ニューサイエンスが混じってるっぽいあたりだということです。言及先の筆者は、いわゆる「波動」な人達ではなさそうですし、むしろ積極的に情報を得ようとしておられるようですが、いい本を選んでいるようには見えませんでした。
実際のところ、Whyを問うてわからないのは何も量子力学だけではなくて、Newton力学だって、解析力学がなぜ今の形なのかをとことん問い詰めれば、やっぱり答えられなくなります。それでも、Newton力学は自然を相当広い範囲でうまく記述しているのです。
それと同じで、直感には反するから最初の敷居は高いのでしょうけれど、身の回りの物質を量子力学がうまく記述していることもまた確かなんですよね。それが、観測問題の解説本モドキから入ってしまうとごっそり抜け落ちてしまいます。
将来、観測問題の解決も含んだより洗練された物理学が見つかるかもしれませんが、多分それは、今の量子力学を部分として含んだものになるだろうと思います。
by 杉山真大 at 2008-08-20 06:39:20
何と言うのか
Whyを問うってのは、科学と言うよりは哲学の範疇になっちゃうって気がするのですよね。apj様がエントリで「形而上学になってしまう」って言及してますけど、既に確立された原理や法則を使う段階なら兎も角、事象の原理を問う場合とは少し違うんじゃないかと。
何か哲学とか抽象論に対するコンプレックスが、斯様な誤解を作っているのかも知れませんけど。
by 杉山真大 at 2008-08-20 06:00:20
「火の玉教授」のエントリ
高橋昌一郎『理性の限界』をネタとして取り上げていますね。どうやら青山某の『理性のゆらぎ』と変わりの無いオカルトだ、ってことで。
http://ohtsuki-yoshihiko.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/85_b019.html
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4062879484?ie=UTF8&tag=mtcedarcom-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4062879484
http://www.amazon.co.jp/gp/product/487728401X?ie=UTF8&tag=mtcedarcom-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=487728401
読んでいて思ったのですけど、高橋氏の言う理性とはWhyを問うことであってどうしても人間の認識の限界が頭を擡げる格好になっちゃう。これに対して「火の玉教授」のいう理性ってのはHowを問うことで、方程式や公式で説明がつけば一応は良しとして、矛盾や説明できないとこは後から改良されるし、それで以前の公理が否定される訳ではないと自分には読めるのですが。
by 杉山真大 at 2008-08-33 06:55:33
あぁ、やっぱり
「火の玉教授」とこで高橋氏のコメント(?)が掲載されてました。
http://ohtsuki-yoshihiko.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/86_1ca4.html
「量子力学の『解釈問題をいくら議論しても後世には完全に忘れられるでしょう。量子力学はシュレーディンガー方程式がすべてです。解釈はいりません』という見解は、物理学者としての立派なスタンスだと思います。しかし、そのような解釈問題を議論することこそが哲学者の仕事でありまして、それが『いらない』となると、哲学の仕事はなくなってしまいます(笑)」
自分の読み通りでした。
何と言うのか、哲学者の態度の「傲慢」って気がしちゃいますね。(apj様とこと「火の玉教授」とこでの)一連のやり取りを見ていると。哲学者にとっては科学者を見下す立ち位置にいないと存在意義が見出せないってのは、何か不幸な気がしちゃうんですよね。色即是空をそのまんま現実世界に当てはめたら、自爆テロだって正当化で着ちゃうし。これは極論かも知れませんけど・・・・・
by 杉山真大 at 2008-11-53 10:34:53
「火の玉教授」再び
今度は内田樹氏にかみついているそうです。
http://ohtsuki-yoshihiko.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-ace9.html
「学者として、大学教授として、もし『霊能力・超能力はある。』と断言するなら、その根拠を示さないといけない」「それが、こともあろうに大学教授と名乗る人物が、何の証拠も理論もなく、公にオカルトを肯定するのですから、あきれるほかありません」
気になって、内田氏の方も拝見。
http://blog.tatsuru.com/2008/11/03_1337.php
「あらゆる科学的命題はそのつどの科学技術の(おもに計測技術の)限界によって規定された暫定的な仮説であり、(しばしば計測技術の進歩によって)有効な反証が示されれば自動的に『歴史のゴミ箱』に棄てられる」
「『超能力』とか『霊能力』と呼ばれる能力は現に存在する。ただ、私はそれを別にそれほどスペクタキュラーな能力だと思っていない。潜在的には誰にでもあり、それが開花するきっかけを得た人において顕在化している、ということだと思っている。せっかく万人に共有されている潜在能力であるなら、開発して、『災厄を未然にふせぎ、限られたリソースを重点配分する』ことに役立てればよいと思うので、『そのような能力』の成り立ちと操作方法について研究しているのである」
もっとも、前後に「『見えないもの』が存在すると仮定しないと、「話のつじつまが合わない」ということを証明したのである。このような態度を『科学的』と呼ぶのだろうと私は思う」「メディアが宗教と、ひろく霊にかかわる問題を組織的に無視してきたことが、現代人の「見えないものを見る」能力の劣化の重大な原因であるという私見を述べたのである」と言及はしているのですけど、にしても下手に疑似科学を擁護してしまう危うさがある様に思えてしまう気がしますね。さすがに「火の玉教授」の様に、大学から追い出せとは言いませんが・・・・・
にしても、「火の玉教授」の恩師は某”壺売り教団”の強力な支持者であった訳だけど、それは「公にオカルトを肯定」していないからO.K.なのだろうかしらん?ニューサイエンスのシンポやった当人なのに。
by apj at 2008-11-09 12:26:09
師匠筋、上司筋を言うなら……
ウチの師匠の元上司はトルマリンの怪しい文献を掲載して広めるのに貢献したし。
ウチの師匠の師匠は、新体系物理学という、量子力学無しで物理学を構築するんだだだっ!という方に走ったし。
by ずぶしろ at 2008-11-19 05:55:19
ずれてませんか
内田氏が言っているのは「科学では解明できていないものがある」くらいのことのように思います。それを根拠を示せとかオカルトとか。よく読んだり調べないわりに思い切った発言をされる方みたいですね。ムペンバ効果のところは結構楽しませていただいたのですが。
すみません。しろうとが横合いから口出ししてしまいました。
by TAKESAN at 2008-11-32 08:16:32
内田氏に関して
今晩は。
内田氏の言説に関して、参考に、自分が書いたエントリーを紹介します⇒http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_7e7d.html
内田氏の科学の理解の程度を示す、一つの資料として見て頂ければ。
ずぶしろさんの仰る、”「科学では解明できていないものがある」くらいのことのように思います。”という風に読み取るのは、ちょっと難しいように感じます。
明白なのは、内田氏が、「科学的に当たり前」である事を、さも見つけ出しかかのように言っている、という事でしょう。「科学では解明できていないものがある」と言いたいのであれば、それは科学の世界では当然の共通了解だというのを単に述べれば良いだけであって、わざわざああいった書き方をする必要は、どこにも無い訳です。
もちろん、大槻さんの物言いにそのまま賛同する、という話ではありませんけれども、内田氏の論が杜撰なのは事実と思います。
by TAKESAN at 2008-11-50 08:18:50
もう一つ追加
内田氏のエントリーへの直接の言及です⇒http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-79f5.html