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バブル

Posted on 8月 11th, 2008 in 倉庫 by apj

 「バブルの時代」というサイトを読んでいるところ。
 バブルを経験してきたはずだが、一部上場企業に就職がどんどん決まる同級生を横目に院試の勉強などして、貧乏院生を続けているうちにバブルは崩壊していた。結局、私自身は恩恵をほとんど受けていない。家賃が妙に高かったりで、むしろ生活は苦しかったような……。

 そういえば、当時は冬場のスキー行きは、大学の格安宿舎が使えるところに滞在することにしていたのだけど、友達に誘われていったどこかのスキー場が、ゲレンデがらがら、リフトに人もまばら、食堂も空きまくりですぐに食べられる状態だった。設備は非常に立派で、オープンして間もないということだったが、確か行ったのが1991年頃。第三セクターのスキー場だったような……今頃はどうなっていることやら。
 バブル崩壊の後で行った志賀高原では、スキーのインストラクターが、バブルまっさかりの頃が異常に混んでいたのであって、その人達は去り、結局「この10年毎年来ているような人達」は相変わらず来ていると言っていた。

 ディスコは結局1回も行かなかった。

 バブルが終わった後に、貧乏院生の定番バイト家庭教師をやってて、お宅に伺う前に近くの喫茶店で軽食を摂っていたら、近くのテーブルで、借金どうするんだと吊し上げられている方が……。消え入るような声で、一応ゴルフ会員権が云々、と言ってたけど、そっちも既に全国的に暴落済みなわけで、返済無理だろうなぁ、と他人事のように思いつつ。そんなもの買う金も無かったから、リッチな気分も味わえなかったかわりに借金を背負うこともなかったのだけど。


ここからは旧ブログのコメントです。


by Judgement at 2008-08-30 10:30:30
バブルは素通り

 隣に住んでいた理系の先輩もapjさんと同じ状況でした。
 先輩が学部4年の頃は毎日のように家の前に分厚い「企業案内」が幾つも届いていましたが、院に行き、卒業する頃には状況が一変していて涙していました。
 当然私の卒業時も十分冷え切っていて、途方に暮れました。
 バブル最盛期は、面接行くだけで交通費や宿泊費が出て、内定出れば他の会社に行かないように”接待”された、なんて噂も聞きますが、今となっては都市伝説のようです。


by apj at 2008-08-42 07:49:42
やっぱり異常だったんですね

>バブル最盛期は、面接行くだけで交通費や宿泊費が出て、内定出れば他の会社に行かないように”接待”された、なんて噂も聞きますが

 従兄弟が就職のとき、この手の接待にぶつかってました。
 その後、博士過程に進学したら、某会社の技術者の人(社会人大学院生)と一緒になりました。その人曰く、「バブルの頃は、毎年採用人数が倍々に増えていて、一体こんなに採用して何の仕事をさせるのか、社内にそんなに仕事があるはずがないのに、と思っていたら案の定、ほとんど採用出来ない状態が続くことになった」。

 やっぱり、あの時代は異常だったのだと思います。土地にしたって、そこから上がる収益に見合わない値段がついていたわけで、破綻は必至でしょう。だからといってデフレがいいとも思いません。何にでもほどほどってのがあるし、値段なら適正価格というのがあるはずです。


by あんじ at 2008-08-47 20:37:47
遅れてやってきたバブル

 お暑うございます。

 私は、親の分も含めて資産を何一つ持たなかったいわゆる庶民ですが、あの頃の景気のおこぼれには預かった。
 株価の暴落は'89年末だそうですが、わたしはこれを2年ぐらいあとのことだと思っていました。(ご紹介のサイトをみて、はじめてはっきりとした時期を知りました)
 というのも、バブル崩壊以後に株でもうけたからです。株は自分の勤めていた会社の株で、たった一銘柄です。私が入社した'88年に一部上場してものを、忙しすぎて使うことのなかったその年の収入の半分をつぎ込んで市中で買いました。株価は順調に上昇を続け(株価のチェックを全くしなかったのでそれを認識していなかった)、1年半後にふと思い出し、倍以上になったと知ったところで売りました。
 以降、もう一度自社株でもうけますが、これらで得たお金は雲散霧消しました。決して派手に使ったわけでもないのに、いつの間にかなくなりました。100万円単位の少なくないお金を投資したのですが、資産形成には至らなかったのです。

 この経験から私が得た教訓は、庶民にリスクテイクはできないということと、リスクテイク出来なければ一生暮らせるほどの儲けを短い期間で得ることは出来ないということです。