A型、B型……
昔どっかで見かけたネタ。
○「あなた、何型?」
●「A型だけど」
○「ふうん……そう言われてみればそう見えるなあ。ところで私はB型なの」
●「へぇ、とてもそんなふうには見えないなぁ」
○「ところであなたは何型?」
□「私はC型。怖いですねぇ肝炎は」
ABOじゃなくてABCの方だったというオチ。
- » Continue reading or コメント (0)
この3年くらい使っていたYANOのポータブルHDDで、ファイルが読み出せなくなることが2回ほど発生。本格的に壊れる前に、ということでBUFFALOの250GBのを買ってきて、バックアップ移行中。毎日持ち歩いて使っているので、まあ仕方がないかな。あと6GBくらいしか空きもないことだし。
これまではFireWire400のポート2つというのがYANOの良いところだったのだけど、USB2.0の使えるマシンに移ってしまったので、値段の安いUSBポート1つのみのもので、しかもたまたま安売りしているものを近くの店で選んで買ってきた。
昔どっかで見かけたネタ。
○「あなた、何型?」
●「A型だけど」
○「ふうん……そう言われてみればそう見えるなあ。ところで私はB型なの」
●「へぇ、とてもそんなふうには見えないなぁ」
○「ところであなたは何型?」
□「私はC型。怖いですねぇ肝炎は」
ABOじゃなくてABCの方だったというオチ。
lets_skepticさんの「ニセ科学批判の背景にある思想」について、こちらにも言及されているのでコメントしておく。向こうのコメント欄に書くには長くなった……。
私が、ニセ科学を批判するときに実害批判寄りになっているのは、実際の商品の宣伝に使われている内容を対象にしたことが私にとっての批判の入り口であったからに過ぎない。最初は、ニセ科学の蔓延を問題にしていたのではなく、浄水器や活水器のインチキ説明の蔓延を問題にしていたし、今でもこの部分は続いている。
「知識は正しい方が良い」という規範はもちろん受け入れていて、だからこそ、正しい知識を普及させる目的で「水商売ウォッチング」を作った(し、そのように書いてもいる)。
「知識は正しい方が良い」を、道徳的に善あるいは倫理的に正しいと考える立場を貫くこともできる。ところが、企業の利益に関わる批判とぶつかったときに、道徳的あるいは倫理的な立場を主張すると、おそらく議論はかみ合わない。利益を主張しての反論に対応するためには「知識は正しい方が良い」を、企業が主張する利益と比較可能な利益を用いて議論できるようにしておく必要がある。そこで、「間違った知識の蔓延は社会的損失をもたらす」という主張をすることになり、例えば、消費者が欺されるとか、企業の研究開発が歪んだ結果本当に良い製品の開発機会を失うとか、間違った知識で効果を主張して被害発生で訴えられたら企業は多分敗訴するとか、お役所が研究費配分を間違うことによる損失といった個別の具体的な主張にまで落とし込むことになる。
菊地さんと私の批判スタンスの違いは、私が、現実の商品宣伝を批判の対象にしたことで、企業の利益と直接関わることになってしまった部分にあると思う。このため、企業から仕掛けられる訴訟を常に意識しながら批判をすることになった。
lets_skepticさんが指摘したように「嘘つくな」という要求は、意識して出している。これは、この主張がわかりやすいからである。おそらく裁判官にとって。
もう一つは、ネットの普及に伴う大学からの情報発信をいかにして守るか、が、ほぼ自動的に私が取り組むべきテーマの1つになってしまったことである。これについても(科学のとは違う意味での)実験が必要で、実際に、これまでいろいろ訴訟を手がけたりしてきて、現在も進行中である。法でどこまで守れるか、どんな方法なら守れるか、を実践とともに出して行くというのが、私が求めていることの1つである。
こんなことを考えていたら、別の話が聞こえてきた。
既に企業が開発費を投じた装置の効果について、某大学の先生が検証実験をしようとしたところ、企業から訴訟をちらつかせて大学もろとも脅されているという話である。検証実験で正しいとわかれば、より技術の裏付けができるはずのところ、いきなり脅しというのは、やはりどこかでズルをしているのだろうと考えざるをえない。
別に、ニセ科学批判をしていなくたって、金が絡めば現実はこんなものなのである。
※なお、この場合の対処方法としては、脅した事実について動かぬ証拠を確保することが最優先、その後速やかにその事実を第三者にわかる形で公表する、というのが、邪魔されないための対抗策だろう。つまり、脅しはきかないことを相手に意思表示して分からせるというのが、安全を確保する方法になる。
私達がやっている訴訟の方法が、大学での研究に対する不当な圧力に対抗するための何らかの参考になるなら、それも、私が目指すものの1つである。単に、研究者が訴訟を怖がらなくなるというだけでも、一応は成功である。
横浜国大で、リスクの社会的側面についていろんな事例を紹介するという講義の1コマ分を頼まれた。
内容は
・ニセ科学宣伝で、一般消費者向けに、いかに「リスクをごまかした」宣伝が行われているか
・科学はなぜ必要かといった基礎的な話
・大学発の情報発信と裁判の現状
クレームが付いたときに、守る方法として、訴訟参加や、先制攻撃として確認の訴えを起こすということがあり得る。
といったあたり。ちょっと切り口を変えて話をしてみた。
声をかけてくださったのが益永先生なのだが、益永先生とは中西応援団の時に初めてお会いした。研究分野は全く違うし所属学会も重ならないので、つながりの説明が長くなるというか……。
共通教育の講義の最後の方で、血液型性格判断について言及。内容は、菊地さんのまとめたものの抜粋。
で、最後に一言。
「B型自分の説明書、とかが流行っているけど、今、楽しく血液型性格判断を受け入れて社会に蔓延させることに手を貸したりしていると、君たち、4年後に就職するときに謂われもなく血液型が理由で不採用になったりするかもしれないよ」
「finalvent氏の不誠実さについて」で、議論の最後の方でfinalvent氏が謝罪したり敗北宣言したりしたことについて、私は「(1)完敗宣言も謝罪も却下し、受け取らない。
議論はそもそも勝ち負けではないし、何についての勝ち負けだかはっきりしないものについての完敗宣言など意味不明である。」と書いた。これについて補足しておく。
もし、私が、finalvent氏の謝罪やら敗北宣言やらをそのまま受け入れたとしたら、同時に「議論の趣旨を見ても内容は一向に定かではないが(←ここ重要)、finalvent氏は私に対して何か謝罪しなければならないことをした」「finalvent氏と私の議論は勝ち負けをはっきりさせるために行われた、若しくはそういう種類のものであった」ことを認めることになってしまう。私は、そんなことは全く考えていないので、私自身が考えてもいないことを認めないために、finalvent氏の完敗宣言や謝罪については、明白な形で却下の意思表示をしておく必要がある。
別にこれは、ニセ科学の議論に限った話でもないし、finalvent氏に限った話でもない。
ついこの間も、職場の某トラブルで、私が謝罪を受け入れては、という案が出てきたので、即座に突っ込んだ。
「謝罪しても、バカが賢くなるわけではないし、無知なのが知識を得るわけでもないから、謝罪など無意味なので不要。トラブルの原因は当事者の無知に起因すると私は認識しているので、謝罪の代わりに○○という本を読んでレポートを出す、といったあたりが適切と考える」
曖昧な謝罪で丸く収めようとした上司は渋い顔をしたが、知ったことではない:-P。
謝罪で済ませて感情的なしこりを残さないようにしたとしても、問題が改善されずいつまた同じパターンで発生するかもしれないという不安の方はしっかり残る。後の方がより問題である。
うかつに謝罪を受け入れると、本来の問題がごまかされたり、本質的な解決が行われないままになったり、もともと無かった設定を受け入れることになったりという副作用がある。このあたりは、うかつに金を受け取ると、別の意味が発生することがあって後々面倒なことになるのと似ている。
まあ、金の方は罰則を伴うことがあるのでそれなりに慎重な人が多いかもしれないが、謝罪の方は経済的物理的実体が無いからチェックが甘くなりがちではないか。
金と謝罪は安易に受け取るな、理由と発生する効果をよくよく検討してからにすべし、というのが私のモットーである。
サイエンスアゴラに行くため日帰りで上京。
日本学術会議 科学と社会委員会 科学力増進分科会主催の「擬似科学とメディア」を見に行った。
毛利衛・日本科学未来館館長に紹介されて、事前打ち合わせのときに顔合わせ&挨拶。今回は知り合いの先生の紹介で、一度毛利館長に連絡するようにと言われ、連絡をとったら急にこのイベントを知らされたので、何がなんだかよくわからなかったが、とにかく簡単に挨拶だけさせていただいた。
その後、科学未来館を見学したり土産物を買ったりしてから夕方のシンポジウムへ。
登壇者は池内了(総合研究大学院教授)、佐倉統(東京大学教授)、毛利衛(日本科学未来館館長)、長谷川壽一(東京大学教授)、司会は鈴木晶子(京都大学大学院教授)。
質疑応答は活発だったが、JSTの人から出た最後の質問がちょっと引っ掛かったでコメント。個別の擬似科学への批判(シンポジウムではもぐら叩き、と表現された)をするのに、一体いくら予算を付けたら学術会議は動いてくれるのか、という内容の質問で、毛利館長が「科学の知識を普及させる方に力を注ぐべきで、個別の対応はする必要はない」といった意味のことを答えていた。
私は別の理由で、個別対応をする時には、学術会議あたりはよほど慎重に動いてもらわないと弊害の方が大きいだろうと考えている。つまり、今でも、科学は権威だと思って無意味に反発する人がいるわけで、科学政策サイドが率先してもぐら叩きにまわったら、さらに権威の押しつけという誤解が広がりやすい状況になって、不必要な反発を助長するという弊害が出てくるということである。
擬似科学に対する批判は、擬似科学を蔓延させたら、巡り巡ってどういう被害をうけることになるかを認識してもらうということを併せてやらないとうまくいかない。「今、血液型性格診断を受け入れたら、将来、謂われもなく自分や自分の子供が、血液型が合わないという理由で希望の職種に就けなかったり仕事の種類を制限されたり昇進で差別されたりするかもしれませんよ」といった話なわけで……。
UFO本フリークではないのだが、タイトル通りの本「UFO極秘プロジェクトと日本自衛隊」を見つけて衝動買い。
タイトルから内容は推して知るべしだが、学研のMU BOOKSだから納得、著者は並木伸一郎氏。
ムーンホークス説を極めて科学的かつ合理的に否定している部分と、それ以外の部分のギャップが楽しい。UFO信者は、「月面に宇宙人が何やらつくっているのがアポロ計画でわかったが、NASAはそれを隠蔽している」という筋書きを信じているから、「アポロは月へ行ってなかった」ということになると大変に困る。だから、ムーンホークス説の否定部分だけがまともで、他は……ということになる。
目撃系ネタは1970年代の、ブームのころのものがほとんどで、多分、もう既にさんざんこの手の本で出尽くしているんじゃないかと。
この本では、ロズウェルに墜落したUFOは日本が開発した気球で、空飛ぶ円盤に見えたのは気球本体ではなく乗り込む部分が円盤ぽい形をしていたからで、発見されたとされる宇宙人の正体は特殊訓練を受けた日本人パイロットだ、という話になっている。高空で宇宙線に人体をさらすという人体実験をしていたということになっている。
著者がどんどん空想をふくらませるもんだから、もはやオリジナルのロズウェル事件との共通点は、何かが落下したという点以外に無くなってしまっている。
この先、一体どこまで話が変わっていくのか……。できれば奇想天外荒唐無稽な物語に化けさせて、末永く楽しませてももらいたいものである。
finalvent氏の偽科学発見テストについて。
なぜか、ログインしてもコメントが書けない状態になっている。はてなは使い倒したことがないのでよく分からないが、システム上の何らかの制約だとすると、動作が不安定になったりするかもしれないので、話を続けるために魚拓をとっておくことにした。
さて、finalvent氏の論の展開は不誠実だと考える。議論の流れは元エントリーや魚拓を見てもらうとして、私の説明に対して
疫学についてご存じないようにお見受けします。apjさんとはこの話はここまでさせてください(敗北宣言と受け止めてくださってかまいませんよ)。
と書くくらいなら、脚気について、疫学での結論はここまでで病理での結論はここまでで関連はこうだ、ということについてfinalventさんなりの見解を述べるべきである。元のwikipediaの記述は相当はしょったものである。 議論は、勝ち負けではなくて、より有益なものを得るためにするのである。ましてや、今回のテストの目的は、科学の難しさを伝えるあるいは認識させることだというのがfinalventさんの主張なのだから、どう難しいかを最終的にはわかるように説明するのが筋である。問題だけ出して、曖昧なまま終わらせるのであれば、テストの目的が果たされたとは言えない。そこを伏せたままにするのは、論者として誠実さを欠く行為である。
次に、元のエントリーでfinalventさんは、
最初にいうと、私がざっとぐぐった感じでは、この問題を解くための、ネット上の情報がめっからなかった。その意味ではネットの限界指摘にもなるといいなとは思う。追記:探すとあるにはあった。
と書いている。
これに対して私は
「 ところで、敗北宣言と受け取ってもらって結構です、などと無責任な投げ出し方をする前に、1つ忘れていることがありますね。当初インターネットにはこの問題の解答がなかったが、探して見つけたと書いておられますね。これがウソでないのなら、何を見つけたか開示してください」
とコメントした。
議論もかなり進んだし、あちこちで話題になって、テストの目的もそれなりに果たされただろうと考えたので、良い頃合いだと思ったからである。ところが、finalventさんの答えは、
apjさん、ども。「ところで、敗北宣言と受け取ってもらって結構です、などと無責任な投げ出し方をする」のが未練たらしく見えるようでしたら、すみません、まいりました、apjさんには完敗しました、これにてご勘弁を。
私が欲しいのは、finalventさんがぐぐって後から見つけたネット上の解答が何であったかという情報である。出題者として、もうちょっと他の人が回答してから開示したいというのなら、それを待つつもりであった。謝罪モドキでごまかされて、私としては非常に不愉快である。
向こうにコメントが書けないので、こちらではっきり言っておく。
(1)完敗宣言も謝罪も却下し、受け取らない。
議論はそもそも勝ち負けではないし、何についての勝ち負けだかはっきりしないものについての完敗宣言など意味不明である。
(2)適切な時期に、ぐぐって後から見つけた回答のソースを提示してほしい。
finalventさんは曖昧な書き方や思わせぶりな書き方をするばかりで、回答を示していないのだから、私としては、回答のソースを見に行って自分で答え合わせをしながら考えるしかない。
っていうかさ、人が真面目に考えて、そっちが教えないから自分で回答を見に行って考えましょうと言ってるのに、「回答のありかを教えてやらないよん」って、それ何て幼稚園児のイタズラ?
【追記】
そういえば、私の回答にも思わせぶりなツッコミを入れるだけで採点はしなかったな。
普通は、テストをするときは、終わったら採点して講評するもんだと思うが……。他人の反応だけみて参考にするっちゅうのは、それ、テストちゃう、アンケートや。
【追記2008/11/29】
TAKESANさんのところのエントリーに、TAKESANさんが2008年11月28日 (金) 19:06にコメントされていますが、finalvent氏は、idでコメントをブロックしている模様。それが本当なら、finalvent氏は、
・自分から挑発しておいて
・自分に都合の悪いことを書くidからの書き込みはさせないようにし
・都合のよいコメントだけを集め
・しかもその議論の進め方は、皆で検討できる証拠を出すことを引きのばしまくり、曖昧な質問を繰り返す
ということを現在進行形でやっていることになる。
こういうのは、「不誠実」ではなく、「卑怯」と呼ぶのが正しい。
※もちろん、コメントをどう扱うかはblogの管理者に任されている。だから、finalventさんのやっていることは管理者権限の範囲であることは言うまでもない。しかし、管理者権限の範囲で振る舞う場合であっても、誠実な振る舞いとそうでない振る舞いの違いが生じることがあり、今回のfinalventさんの振る舞いは、「管理者権限の範囲」且つ「不誠実あるいは卑怯」というのが私の評価である(黒猫亭さんの助言により追記)。
ログインしないと反論が書けないので、こっちにで突っ込んでおく。
finalventさんによる元のエントリーはこちら。
私の回答はこちら。
元エントリーの方に、私の回答に対するコメントがあるので、こちらからもコメントしておく。
基本的にその言い分が当てはまるなら千島学説もおK。
全く違う。 千島学説のような内容が、今の生物学が成り立つ前に述べられたのであれば、その時点ではあまたある仮説の1つ(但し後になれば間違いとわかるもの)に過ぎなかったはず。千島学説を主張しても、非科学でも擬似科学でもなかった「時代」は、過去には確かにあったはず。但し、千島学説を、*今*科学的真実として述べれば、擬似科学と言われても仕方がない。 実際の千島学説は、成立時期を考慮すると最初から相当程度間違いだと評価するしかないが……。
同様の例としてホメオパシーがある。ホメオパシーも、考え出された時代には、医学の可能性の1つだった。今では効果が無いとわかっているから、科学として主張すれば、ニセ科学になる。しかし、当時ホメオパシーに取り組んだ人達に対して、今の視点から「ニセ科学に基づいて治療していた」と批判するのは当を失する。
なお、ここに書かれているのは歴史文書ではなく現代の見解。
現代の見解に当てはまるのは、精米がビタミンB1を含まない(つまりゼロである)、という部分のみ。解釈して現代の見解まで広げるとしても、ビタミンB1欠乏が脚気の原因となるという記述だけ。それ以外の部分は、科学に対する現代の見解ではなく、歴史に対する現代の見解であるので、間違っていたとしても擬似科学とは呼ばない。 もう少し読むとしても、過去のある時点で広く問題になった脚気は、今から考えるとそのほとんどがビタミンB1欠乏によるもので、麦を食べることで解決したという歴史的経緯を書いているだけであって、脚気の原因の全てを説明したとか定義したとかというものではない。だから、脚気の原因に別のものがあることが仮に後からわかったとしても、wikipediaの記述は擬似科学ではない。当時問題になっていた脚気の大部分は、今から考えるとビタミンB1欠乏が原因で起きるものであったからである。
偽科学は非科学的な思考・方法論の帰結であって、同質。
これも違う。非科学的な思考・方法論の帰結という括りをしてしまうと、コックリさんとか、水子の霊の祟りといった、オカルトに分類されるものまで含む。この括りをすると、最初から科学の枠組みに入りその枠組みで間違いと判定されたものと、最初から科学では扱えないオカルトが一緒になってしまうという不都合が生じる。
「ニセ科学」を間違った科学と別に定義を必要とする理由が、単純にわからない。
仮説を立てて、科学の手続きに従って調べていることが間違いかどうかは、後になるまでわからない。いろいろ調べて正しいのがどれかわかってきたら「間違った科学」という結論になる。この場合の「科学」は方法論や手続きの意味ではなく、明らかになった内容そのものを指す。 脚気の例でいうなら「脚気の病原体である脚気菌を発見した」「脚気は脚気菌が原因で発症する」は間違った科学。過去にそういう説が真面目に科学として検討された結果、脚気菌の存在は、今では否定されていて、この考え方は誰も採用していない。脚気菌説は、今では間違った科学であるが、過去のある時点ではそうではなかった。 もし、今、「脚気の原因はビタミンB1欠乏ということになっているけど、実は脚気菌によって起きる」と言い出せば、それはニセ科学言説ということになる。
間違った科学は今でも作られ続け、捨てられ続けている。捨てなければならないことがはっきりしたにも関わらず、捨てずに科学的真実として主張すればニセ科学になる。
これとは別に、最初から科学ではないものや、まだ科学として検討されていないものが、うわべだけは一般の人に対して科学に見えるような形で登場する場合があって、これもニセ科学に含めている。
間違った科学=ニセ科学、としてしまうと、最初から科学でなかったものや、まだ検討していないものが含まれなくなる。間違った科学とニセ科学は完全に重ならないので、別途ニセ科学と呼んで区別する必要がある。
最初から科学でなかった例は「水からの伝言」(∵江本氏が自分のイメージで結晶写真を選んでいると自分で書いているから)、まだ検討していないのに結論が出たかのように提示されたのが「マイナスイオン」ということになる。
あるいは百歩譲って「ニセ科学」なるものが独自にあるとしても、通常の科学方法論とその考え方さえあれば、対処にまるで困らないし、むしろ、教条的に「ニセ科学」のリストを暗記したかのように批判することで、科学的方法論がスルーされてしまう。
何度も書いたように、科学を装うが科学でない、と定義している。科学としてどこが間違いか、あるいは、科学を装っているだけでもともと間違った科学ですらないのはどの部分か、という具体的な指摘を伴わないニセ科学の批判はあり得ない。 finalventさんの書かれた2008/11/21 18:26のコメントについて。
水伝を例にするなら、これが教科書に載っているというのはとんでもないことだと思います。ただ、掲載されているのは国語ではないでしょうか。
水からの伝言が教科書に載ったことはない。で、使われたのは主に道徳の教材として、教師が自発的に使った。一時期、TOSSという教育ポータルの団体が、水からの伝言を使った道徳実践例をウェブで公開し、さらに広がった。このいきさつは、批判の度にあちこちで問題にしてきた。
たとえば、水伝で詐欺事件や悪徳商法が行われているなら問題です。実際、そのような印象も受けるので、その批判はあって当然でしょうくらいに思います。
水伝、というか江本氏の水結晶写真が使われたのは、道徳よりも水商売が先。印象も受けるどころか、ばっちり宣伝に登場しているのが現実。
ただ、「ニセ科学批判」は、そういう社会のルールということで展開されおらず、稚拙な科学教条主義として展開されているように見えるし、私にその批判が向けられる。それなら、その批判者に、科学というものがどれだけ難しいものか、おわかりなりますか、ということを実際にやってみてもいいかと思いました。
思い上がるな。私にわかったのは、finalventさんが、社会の問題も含めてニセ科学を批判してきた状況を何一つ知らずに勝手な思い込みでテスト云々と言い出したということだ。そのことは、上のとんちんかんな水伝に関する認識を見ても明らかだと思う。
それはともかく、脚気の疫学研究について詳しくまとめたものを見つけた。
「我が国の被感染性疾患疫学的研究の歩み」(pdfファイル)
リファレンスがかなり充実している。