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議論のテーマが違う

Posted on 12月 11th, 2008 in 倉庫 by apj

 「ニセ科学批判してる先生の発言がニセ科学信者とさほど変わらない件について」で言及されたので改めて書いておく。

 そもそもガキの国籍の話が何故出入国管理の話になるのかわからねえんですけどね。事象のレイヤーが違う話だろ。この辺もニセ科学信者の議論のすり替えと変わらないよね。

そんでもってそこらへんって、根本的に今回の国籍法改正に全く関係ねえ話。

 そもそも「ガキの国籍の話」なんかしてなくて、「国籍法改正に反対する人が目立って出てきた理由」の話をしていたのだからレイヤーが違うのは当たり前。国籍法改正の是非については、最初から議論するつもりは全く無かったので、エントリー内にも何も書いていなかったはず。国籍法改正の議論だと勘違いしたコメントに対応していて引きずられたのは私の不手際なので、それを見て国籍法の話だと思われたのなら仕方がないのだけど。とにかく、私が最初に書いた内容(コメント以外)は、改正反対運動の動きが派手だった理由は出入国に対する不信感の蓄積では・不信感を払拭するには出入国管理をもっと厳しく厳格にやるべき、ということを書いただけで、国籍法改正そのものについては何も書かなかった。思想的背景がそんなに無い人が、好き勝手されかねないという不安から反対の主張を安易に受け入れた結果、反対する人の数が増えたのでは、と思ったもので。 ってかさ、国籍法と関係のない入管の話をしているってところまでわかったのなら、そもそも国籍法は議論のテーマではないってことに気付いたらどうかと。
 入管についての私の認識(思い当たる節として列挙した内容)が間違っているという指摘があるのはわかる。実際、コメント欄の方で、入管の状況そのものについていくつか教えていただいたし、そのことは受け入れている。

 すると、私が想定した「不信感」は前提が間違っているから実際には無いので反対者がたくさん出てきた理由にならない、ということになったとしても、国籍法そのものの話とはやっぱり何の関係もない。入管はもう十分きちんとやっているのでこれ以上対策の方法がない、という結論になったとしても、国籍法の話とは関係がない。

思想的にアレな人もかなり混じってるよ。なんつーか、必死に薪くべてる感じなんだよね。

 ここでいう思想的にアレな人、というのは、私が説得不可能と考えている人と重なるんじゃないかな。原理主義的なゼノフォビア、といった呼び方もしたけど。 ただ、反対意見の書かれ方からは、思想的にアレな人と同調してるだけの人が混じってるように見える。 404 Blog Not Foundのエントリーにはこうある。

けれど、なぜ「デタラメな情報がネット上に飛び交って、議員も巻き込んでの大騒動」になった理由が、未だに理解というか得心できない。なぜこれほど外国人好きの国民が、いざ外国人に国籍を与えるとなるとあれほどかたくなになるかということだ。(中略)

だから、「そもそもそう簡単に外国人を入国させない」ことであればまだ話はわかる。「既得権を守りたいから」という理解が出来る。私がそれをよしとするつもりはないが、少なくとも理解は出来る。「日本のおいしいところだけもって」行かれたくなければ、外国人を入国させないのが一番よいのだから。しかし日本はそうではない。入国だけであればむしろ合州国などよりも簡単だという声もある。

 思想的にかたくなな人は存在するだろうが、そんなに数が多いのか?いくら煽ったところで、かたくなな人だけだったら大騒動にはならないだろうし、同調している人が居るのではないか。じゃあ、同調する人が出てきたのはどうしてか、と考えて、入管に対する不信感があるのではないか、という意見を書いた。

 思想的にかたくなな人の活動だけで大騒動になる、ということであるなら、同調した人が居たからここまで騒動になった、というのが私の思い込みということになるのだけど。

 

 ・・・つーかさ、頼むからまとめサイトばっかり見てるんじゃなく、実際に現場に関わってる人の意見も見て考えたほうがいいんじゃないか。

 反対している人が多いこと、反対の主張が広がったことの理由について引っ掛かっていたので、反対の立場の人の主張を見ていた。日本人の血統が云々、という方向の主張や、いたずらに外国人を嫌っているだけの主張があって、それ以外に、ズルして勝手なことをされたくない、という感情から出てきたらしい主張もあった。外国人を排斥したいという主義の人は説得したって反対の主張を変えないだろう。しかし、後の方を主張している人は、ズルできるようにはなっていないことが普段から伝わっていたら、現場の人の意見を知らなかったとしても、反対しなかったんじゃないかと思う(証明はできないけどね)。

 現場に関わっている人の意見は、国籍法改正そのものを考えるには読むべきものだと思うが、反対する人がたくさん出てきて騒動になった理由とは直接関係しないのではないか。当たり前だけど、反対意見の多くは、現場に関わっている人の意見とは最初からまったくかみ合っていない。「反対者が単にわかっていないだけ」ということしか出てこない。わかってない、ということが、今回、反対者増えて騒いだ原因であると考えていいのか?それだけじゃないと思ったから、反対する人が多くなった理由を考えようとしたのだけど(多い、といっても人数を数えるのも無理なので、反対者の存在が記事になるほどには多いとか、反対を主張するサイトの数やコメントの数とか、送られたFAXの数が業務妨害として問題になる程だ、というあたりで多い、と言うことにする)。

 あともう1つ。「下心率」(?)ということで、「普通に好きな人ができて結婚するつもりで、という状況を想定してます」の検証方法として書いたものについて、

・主語は誰なんですかね この場合、主語は「日本人の男性」と「外国人の女性」の複数ケースあるんだが。・A国→B国だけでなくB国→A国もあるのだけど・結婚可能な年齢、結婚離婚に関する制度は国レベルでめちゃくちゃ違ってくるんですがね。・そもそも「普通に恋愛する」という定義が曖昧・そもそも、極端に(y)/(x)の値が大きいのと「普通に恋愛」とはいえないことの相関性は?
・そもそも統計として帰納不可能なほど一般化しづらいんじゃないんですかね。恋愛ってのは。

とツッコミが入っている。
 「下心率」(?)の計算は、話の流れの中でこんな感じか?ということで出してはみただけのもので、穴があるのが当たり前。こう考えたら一体どうなる?という出発点に過ぎない。なお、その後のコメントのやり取りで、変動をもたらす要因があれこれあって使えないし必要もない、という結論が出たので既に下心率(?)の計算については捨てた。その後は持ち出していない。
 問題の部分は、コメントの流れの中で「普通に好きな人ができて結婚するつもりで、という状況を想定してます」というのを受けて書いただけである。「普通に」は曖昧さが入るから決めようがないので、想定を議論の前提にすることに無理があるだろうと考えた。しかし、「普通に」の中身の議論を始めても話がそれるだけになりそうだったので、敢えて定義(っぽいことを)して、どれほど無理が出るか見ようとした。この場合、曖昧で定義できない・やってみても別の要因が多すぎて使えない、等々、失敗することがはっきりすれば目的を達することになる。何を検証するつもりかなどという分けのわからないツッコミがなければ、回り道をせずに、使えない・あるいは実は決めようがない、という結論に至ったはず。

 正直、語るに落ちたなという感じ。普段非難してるニセ科学信者の連中と五十歩百歩なんじゃないんですかね。少なくとも俺にはそう見えるんだけど。

 と言われる理由は無いな。最初に出した方法で意味のあるものが計算できると言い張ったのならともかく。 ってか、普段ニセ科学を批判している人間には、バカなアイデアを出してみてダメならさっさと捨てる、ということすら許されないのかね?
以下は私の意見・立場
 国籍法に反対する人のうち、思想に基づいて反対している人は、説得しても意見を変えることはないだろう。今後も何かあったら、思想通りの主張をするだろう。
 思想的背景は無いが、出入国管理に対する不信感から(好き勝手されるんじゃないかと不安になって、あるいは好き勝手されそうだと思って不満を持って)反対している人については、不信感さえ払拭できれば、対話が成立し、説得すれば反対しなくなるのではないか。不法就労や不法滞在が継続的に起きたり数が増えたりすると、不信感が強化されそうである。これを防ぐために、法律通りの出入国管理が実現するように(違反者を減らすように)取り締まりを強化してはどうか。違反者の現状がどうなっているかと言うことも、広くわかりやすく伝えるようにして、普段の不信感を取り除くようにしたらどうか。
 今回は国籍法がネタになったが,不信感がつのった状態をそのままにしておくと、次に何かあったときに、同様の反対運動等が起きるかもしれない。しかし、むやみに外国人を排斥したがる人が増えるのは良い結果にはならない。説得可能な人たちが居るなら、ゼノフォビアに染まる前にこっちに呼び戻したい。

【追記】
 ごんべえさんの指摘をいただいたので、コメント欄でソースに言及した。出入国管理に不信感を持つ人が改正反対の主張を信じてしまうのでは、と思った理由は、反対派の議員連盟のウェブサイトの個条書き部分(懸念として書かれている)。単なる排斥主義だと(私が思った)主張は、たとえば、炎上した河野議員のblogコメントの方に含まれている。他にもたくさんあるだろうけど。

思い出話

Posted on 12月 11th, 2008 in 倉庫 by apj

 ポケコン哀歌を聴いていたらいろいろ思い出したので、段ボール箱を開けて、MICRO創刊号を取り出してイメージスキャナで取り込んでみた。

 MICRO創刊号が出たのは1984年1月。私は高校2年生で、3ヶ月後には理系(物理・化学選択or化学・生物選択)文系クラスの振り分けを控えていた。

 パソコンがマイコンと呼ばれていた時代、友人は先にカシオのポケコンを買って、プログラムを書いていた。電気部の部室のマイコンのテレビ画面に、BASICで線を引いたり動かしたりしている2年上の先輩を感心して見ていた。まだ、一度もプログラミング言語を学んだことがなかった私にとっては、その先輩は「プログラムを自分で考えて作れる凄い人」だった。あと、目につく範囲でマイコンを持っていたのは物理の先生だけで、物理準備室を覗くと、動かしているのを見ることができた。落下実験の測定装置を作って、重力加速度の実測デモを見せてくれたのを覚えている。電磁石で保持した金属製のボールをパソコン側の制御で落とし、床にぶつかった音を測定し、落下時間を計測するというものだった。

 高校1年生の時に、出版されたばかりの「さよならジュピター」を図書館で借りて読んだ。長編SFをあまり読んだことが無かったので、珍しさも手伝って、夢中になって読んだ。ブラックホールが太陽系に突っ込んできて、地球と衝突しそうになったため、木星をぶつけて軌道を逸らすという設定が興味深かった。その後、「さよならジュピター」が映画化されるということを知った。
 MICRO創刊号には、「さよならジュピター」の、ブラックホール突入のシミュレーションが出ていた。しかも、運動方程式を立てて、プログラムのソースコード付きだった。シミュレーションという言葉は知っていたが、中身がどうなっているのかという実例を、このとき初めて見た。
 小説の中の設定を、実際の物理学に基づいて計算して予測できるということに、驚くと同時に感激した。自分でもできるようになりたいと思った。

 高校2年の3学期は、基礎解析の微積分に入ったところだった。MICROに書かれた微分方程式の意味すらわからなかった。かろうじて物理の教科書に出ていた運動方程式だという見当はついたが、なぜそのように式を書くのかもわからなかった。調べようにも、本が無かった。大学の無い街に住んでいたから、専門書は手に入らなかった。地元の図書館にも資料となりそうな本は置いてなかった。本を買うために遠出する旅費も無かった。

 MICROのシミュレーション記事への興味もあって、クラス分けでは、物理・化学選択の理系クラスを選んだ。例年、女子の物理選択希望者が少なすぎる(2,3人程度)ため、物理化学選択は男子のみのクラスとされ、女子の理系希望者は化学生物選択クラスにふりわけられることになっていた。ところが、私の学年は物理の履修を希望する女子が十数人居たので、女子も物理化学選択クラスに入ることができたのは運が良かった。

 MICROの記事の内容は、高校物理の範囲を超えていた。物理をやれば理解できるようになるだろうと思って突き進もうとしたが、しかし私は物理の出来が悪かった。私は、高校の教科書では物理を理解できなかった。高校の教科書で勉強すると、細かい個別の公式を覚えて、試験問題に当てはめるという作業ばかりになってしまう。これがどうしてもうまくできなかった。結局、駿台文庫の山本義隆の本を買って独学し、小出昭一郎の物理概論を独学し、やっと模擬試験で点がとれるようになった。微積分を使って物理法則を記述するという、当たり前の方法で進まない限り、理解できなかったのである。

 高校在学中に、私もポケコンを買った。本当は、MICROに出ていたシミュレーションをやってみたかったのだけど、マイコンは高くて買えなかった。ポケコンに移植して計算だけでも、と思ったが、微分方程式の数値解法など知るはずもなく、手出しができないままだった。それでも、プログラムだけは知っておこうと、1行しかない液晶ディスプレイでBASICを独学していた。

 進学先は理学部物理学科を選んだ。MICROだけが理由というわけでもないが、動機付けとしてはかなり大きなウェイトを占めていた。さらに、独学で結構はまってしまったことと、就職するにしても物理ならつぶしが効くという打算の両方であった。もっとも、人工臓器を作りたいとか医工学をやりたいといった思いもあったし、受験しなおして医学部に行こうかと考えたこともあった(徹底的にそっちに向いてないことは後にわかったが)。

 大学に入った時、下宿することになって、実家からMICRO創刊号を持って行った。大学でなら、コンピュータを使って,書いてあるプログラムを動かせるだろうと思ったからである。プログラムはPC-8801やPC-9801のBASICで書かれていた。サークルはME研で、入ってしばらくしたら、医学部の第一内科のデータベース仕事を請けることになってしまった。そっちの対応に追われている間に、パソコン付属のBASICではなく、MS-DOSで動くBASICやCやPascalが出回るようになった。どの言語をやればいいのかと、大学の物理の先生に相談したら、「これからはUNIXでも使われているCが良いのでは」と言われたので、C言語の本を買ってきて、またまた独学することになった。当時は、大学でも、情報処理やプログラミングの授業はポピュラーではなかった。

 重力場の散乱は、教養の物理学のレポート課題だった。専門の力学では、ランダウの教科書を使い、最初から解析力学を勉強することにした。座標系のとり方で符合を間違えたりするうっかり者だったから、一般化座標でラグランジアンを作って微分方程式までが一本道の方が間違えないで済む。

 この頃になって、友達にMICROを見せて、知り合った先生の所に一緒にお邪魔して、ソースコードを入力して実行することができた。ずっと見たかったものをやっと見ることができた。

 PC-98シリーズは全盛期を迎え、私もVXユーザーとなった。主な使用言語はC。修士に進学して、計測とデータ処理のプログラムを書いていた。博士課程在学中の、前半はまだPC-98シリーズの勢いがあったが、Windowsが出て、IBM-PCの互換機が増え始めた頃、Macを使い始めた。

 その後、PC-98シリーズがすたれてしまった。私もあちこち引っ越すことになり、引っ越しの度に買い集めたコンピュータ雑誌を捨てることになった。しかし、MICRO創刊号だけは捨てられなかった。SFのSの方が冗談抜きの科学で、シミュレーションの中身を最初に見せてくれた雑誌の衝撃が大きかったので、そのまま宝物にして今まで持っている。

 もし、今後MICROのプログラムを実行するなら、完全にCに移植(XCodeを使うから)するか、Mapleなどの数式処理ソフトでさくっと書くしかないのだろうな、と思いつつ……。