思い出話
ポケコン哀歌を聴いていたらいろいろ思い出したので、段ボール箱を開けて、MICRO創刊号を取り出してイメージスキャナで取り込んでみた。
MICRO創刊号が出たのは1984年1月。私は高校2年生で、3ヶ月後には理系(物理・化学選択or化学・生物選択)文系クラスの振り分けを控えていた。
パソコンがマイコンと呼ばれていた時代、友人は先にカシオのポケコンを買って、プログラムを書いていた。電気部の部室のマイコンのテレビ画面に、BASICで線を引いたり動かしたりしている2年上の先輩を感心して見ていた。まだ、一度もプログラミング言語を学んだことがなかった私にとっては、その先輩は「プログラムを自分で考えて作れる凄い人」だった。あと、目につく範囲でマイコンを持っていたのは物理の先生だけで、物理準備室を覗くと、動かしているのを見ることができた。落下実験の測定装置を作って、重力加速度の実測デモを見せてくれたのを覚えている。電磁石で保持した金属製のボールをパソコン側の制御で落とし、床にぶつかった音を測定し、落下時間を計測するというものだった。
高校1年生の時に、出版されたばかりの「さよならジュピター」を図書館で借りて読んだ。長編SFをあまり読んだことが無かったので、珍しさも手伝って、夢中になって読んだ。ブラックホールが太陽系に突っ込んできて、地球と衝突しそうになったため、木星をぶつけて軌道を逸らすという設定が興味深かった。その後、「さよならジュピター」が映画化されるということを知った。
MICRO創刊号には、「さよならジュピター」の、ブラックホール突入のシミュレーションが出ていた。しかも、運動方程式を立てて、プログラムのソースコード付きだった。シミュレーションという言葉は知っていたが、中身がどうなっているのかという実例を、このとき初めて見た。
小説の中の設定を、実際の物理学に基づいて計算して予測できるということに、驚くと同時に感激した。自分でもできるようになりたいと思った。
高校2年の3学期は、基礎解析の微積分に入ったところだった。MICROに書かれた微分方程式の意味すらわからなかった。かろうじて物理の教科書に出ていた運動方程式だという見当はついたが、なぜそのように式を書くのかもわからなかった。調べようにも、本が無かった。大学の無い街に住んでいたから、専門書は手に入らなかった。地元の図書館にも資料となりそうな本は置いてなかった。本を買うために遠出する旅費も無かった。
MICROのシミュレーション記事への興味もあって、クラス分けでは、物理・化学選択の理系クラスを選んだ。例年、女子の物理選択希望者が少なすぎる(2,3人程度)ため、物理化学選択は男子のみのクラスとされ、女子の理系希望者は化学生物選択クラスにふりわけられることになっていた。ところが、私の学年は物理の履修を希望する女子が十数人居たので、女子も物理化学選択クラスに入ることができたのは運が良かった。
MICROの記事の内容は、高校物理の範囲を超えていた。物理をやれば理解できるようになるだろうと思って突き進もうとしたが、しかし私は物理の出来が悪かった。私は、高校の教科書では物理を理解できなかった。高校の教科書で勉強すると、細かい個別の公式を覚えて、試験問題に当てはめるという作業ばかりになってしまう。これがどうしてもうまくできなかった。結局、駿台文庫の山本義隆の本を買って独学し、小出昭一郎の物理概論を独学し、やっと模擬試験で点がとれるようになった。微積分を使って物理法則を記述するという、当たり前の方法で進まない限り、理解できなかったのである。
高校在学中に、私もポケコンを買った。本当は、MICROに出ていたシミュレーションをやってみたかったのだけど、マイコンは高くて買えなかった。ポケコンに移植して計算だけでも、と思ったが、微分方程式の数値解法など知るはずもなく、手出しができないままだった。それでも、プログラムだけは知っておこうと、1行しかない液晶ディスプレイでBASICを独学していた。
進学先は理学部物理学科を選んだ。MICROだけが理由というわけでもないが、動機付けとしてはかなり大きなウェイトを占めていた。さらに、独学で結構はまってしまったことと、就職するにしても物理ならつぶしが効くという打算の両方であった。もっとも、人工臓器を作りたいとか医工学をやりたいといった思いもあったし、受験しなおして医学部に行こうかと考えたこともあった(徹底的にそっちに向いてないことは後にわかったが)。
大学に入った時、下宿することになって、実家からMICRO創刊号を持って行った。大学でなら、コンピュータを使って,書いてあるプログラムを動かせるだろうと思ったからである。プログラムはPC-8801やPC-9801のBASICで書かれていた。サークルはME研で、入ってしばらくしたら、医学部の第一内科のデータベース仕事を請けることになってしまった。そっちの対応に追われている間に、パソコン付属のBASICではなく、MS-DOSで動くBASICやCやPascalが出回るようになった。どの言語をやればいいのかと、大学の物理の先生に相談したら、「これからはUNIXでも使われているCが良いのでは」と言われたので、C言語の本を買ってきて、またまた独学することになった。当時は、大学でも、情報処理やプログラミングの授業はポピュラーではなかった。
重力場の散乱は、教養の物理学のレポート課題だった。専門の力学では、ランダウの教科書を使い、最初から解析力学を勉強することにした。座標系のとり方で符合を間違えたりするうっかり者だったから、一般化座標でラグランジアンを作って微分方程式までが一本道の方が間違えないで済む。
この頃になって、友達にMICROを見せて、知り合った先生の所に一緒にお邪魔して、ソースコードを入力して実行することができた。ずっと見たかったものをやっと見ることができた。
PC-98シリーズは全盛期を迎え、私もVXユーザーとなった。主な使用言語はC。修士に進学して、計測とデータ処理のプログラムを書いていた。博士課程在学中の、前半はまだPC-98シリーズの勢いがあったが、Windowsが出て、IBM-PCの互換機が増え始めた頃、Macを使い始めた。
その後、PC-98シリーズがすたれてしまった。私もあちこち引っ越すことになり、引っ越しの度に買い集めたコンピュータ雑誌を捨てることになった。しかし、MICRO創刊号だけは捨てられなかった。SFのSの方が冗談抜きの科学で、シミュレーションの中身を最初に見せてくれた雑誌の衝撃が大きかったので、そのまま宝物にして今まで持っている。
もし、今後MICROのプログラムを実行するなら、完全にCに移植(XCodeを使うから)するか、Mapleなどの数式処理ソフトでさくっと書くしかないのだろうな、と思いつつ……。
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