「本物」の科学を手にしていないとニセ科学を批判してはいけないのか?
TAKESANさんのところにちょこちょこ書き込んでいたら出てきた問い。
「正しい」あるいは「本物」の科学を知らないとニセ科学を批判してはいけないのか?ということについて。
ニセ科学はニセだからまずい、もっと言うと「ニセ○○」は○○が何であっても他人を欺すからよろしくない、というところから出発する。そうすると、じゃあ今の科学は本物と呼べるのか、と言われたりするので、ニセ科学が何をどう欺しているかをまとめておく。
科学自体は時間が経てば知識が増えて内容が書き換わったりするから、今あるものが、一般的な用語の意味で、絶対に「本物」「正しい」とは言えない。じゃあ、ニセ科学が何を偽っているのかというと、「精度」「信頼度」を偽っている。しかも、著しく、極端に偽っている。
今の科学が、永劫今のままで有り続けるわけは無いだろうけど、今の科学の精度や、内容に対する信頼度というものは確かにある。その精度を担保しているのは、世界中で実験と観察を積み重ねてきて、結果を関連づけて組み上げたということそのものである。科学は断片的な知識を集めただけのものではないので、一部分を全く違うものに置き換える(例えば、水の結晶が言葉で変わってしまうことにする)と、残りの部分もほとんど崩れることになる。だから、今の科学を何か別のもので置き換えるのなら、その別のものが、今の科学のカバーしている範囲をそっくりカバーできない限り、置き換えとしては使えない。今より貧弱で使えないものをわざわざ採用する意味なんか無いからである。
それなりの精度でそれなりの範囲で使える科学があるところに、場当たり的でちっとも使えないものが科学の振りをして出てきた、というのがニセ科学である。だから、ニセ科学を批判するのに、今の科学が絶対だとか本物だとかいうことは必要がない。
つまり、客観的に最良の品かどうかを判断するのは人知を超えた話であるとしても、今人が提供できる最良の品を売っているところに、クズ級ゴミレベルの粗悪品が出てきた、ってことなのだから。そりゃ、良品を売ってる側だって、間違って粗悪品を掴まされた側だってクレームをつけるわな、そんなニセモノが出回っていたら。
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