「本物」の科学を手にしていないとニセ科学を批判してはいけないのか?
TAKESANさんのところにちょこちょこ書き込んでいたら出てきた問い。
「正しい」あるいは「本物」の科学を知らないとニセ科学を批判してはいけないのか?ということについて。
ニセ科学はニセだからまずい、もっと言うと「ニセ○○」は○○が何であっても他人を欺すからよろしくない、というところから出発する。そうすると、じゃあ今の科学は本物と呼べるのか、と言われたりするので、ニセ科学が何をどう欺しているかをまとめておく。
科学自体は時間が経てば知識が増えて内容が書き換わったりするから、今あるものが、一般的な用語の意味で、絶対に「本物」「正しい」とは言えない。じゃあ、ニセ科学が何を偽っているのかというと、「精度」「信頼度」を偽っている。しかも、著しく、極端に偽っている。
今の科学が、永劫今のままで有り続けるわけは無いだろうけど、今の科学の精度や、内容に対する信頼度というものは確かにある。その精度を担保しているのは、世界中で実験と観察を積み重ねてきて、結果を関連づけて組み上げたということそのものである。科学は断片的な知識を集めただけのものではないので、一部分を全く違うものに置き換える(例えば、水の結晶が言葉で変わってしまうことにする)と、残りの部分もほとんど崩れることになる。だから、今の科学を何か別のもので置き換えるのなら、その別のものが、今の科学のカバーしている範囲をそっくりカバーできない限り、置き換えとしては使えない。今より貧弱で使えないものをわざわざ採用する意味なんか無いからである。
それなりの精度でそれなりの範囲で使える科学があるところに、場当たり的でちっとも使えないものが科学の振りをして出てきた、というのがニセ科学である。だから、ニセ科学を批判するのに、今の科学が絶対だとか本物だとかいうことは必要がない。
つまり、客観的に最良の品かどうかを判断するのは人知を超えた話であるとしても、今人が提供できる最良の品を売っているところに、クズ級ゴミレベルの粗悪品が出てきた、ってことなのだから。そりゃ、良品を売ってる側だって、間違って粗悪品を掴まされた側だってクレームをつけるわな、そんなニセモノが出回っていたら。
ここからは旧ブログのコメントです。
by nomad at 2009-01-01 06:06:01
Re:「本物」の科学を手にしていないとニセ科学を批判してはいけないのか?
「考え方、捉え方」の問題だろうと思います。
ニセ科学として代表的な水伝を批判しながらも「白燐弾は非人道的な兵器!」と糾弾しているサイトを最近読みました。(実際は煙幕です)
燐の化学的な性質と、現実の状況での振舞いを理解できていないんですよね。
ミクロの世界の振る舞いとマクロの世界の振る舞いを同質に論じてしまっているワケで。
時に、自分が常に扱っている分野から少しでも外れると、無条件に報道を信じ込んでしまう人もいます。
高等教育を受けた人でも(大学教授とかであっても)政治的・思想的偏向によって非科学的な主張をすることがありますが、自戒したいものです。
by Seagul-X at 2009-01-03 21:22:03
あやまれー!みんなにあやまれ!
「本物の科学というのは存在するのですか。」
これを読んで真っ先に思ったこと。
あやまれー!blog の保守をしてるひとたちにあやまれ!blog のシステムをつくったひとたちにもあやまれ!PC を製造してる工場で働いてるひとたちにもあやまれ!中の半導体を作ってるひとたちにもあやまれ!PCや半導体の工場をつくった(&設計した)ひとたちにもあやまれ!バーナーズ=リーにもあやまれ!ゴードン・ムーアにもあやまれ!ショックレーにもあやまれ!ノイマンにもあやまれ!ハイゼンベルクにもあやまれ!マクスウェルにもあやまれ!ファラデーにもあやまれ!バベジにもあやまれ!ボルタにもあやまれ!(以下略。ほぼ永遠に続く。途中もいろいろ略)
こういうのって、ちょっとかじっただけの素人である私みたいなのは平気で云えても、専門家にはかえっていえなかったりするんじゃないかと思います。
(私も含めて)他人の成果にただ乗りしてるんだから、せめてそのひとたちの顔に泥を塗るようなことはするなよ、と。
by apj at 2009-01-14 12:05:14
姑息なやり方が透けて見える
科学だって本物じゃないから、という理由を述べることで、科学の不確かさを強調し、相対的にニセ科学批判の意味を弱めようという姑息な姿勢が透けて見えるんですよね。
だから、絶対変わらないといった意味での「本物」じゃないけど、精度が圧倒的に違うんだよ、ということを指摘して、本物云々の議論は無意味だとはっきりさせると、話が横にそれずに済むかな、と思ったり。