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批判で済むなら安上がり

Posted on 1月 22nd, 2009 in 倉庫 by apj

 どうも、TAKESANさんのところに出てきている「ニセ科学批判批判の人達」(敢えてこう括る、今のところ2人ほど出てきたけど)って、話が言論だけで済むと勘違いしているような……。

 向こうに書いたコメントと重複するのだけど、ニセ科学を分けて考えると
(A)単なる表現にとどまっている場合。
 「相対性理論は間違っている」といった本を出すといった例。被害と呼べるものがあるとしたらその本を買って散財した程度であって、それ以上には広がらない場合。内容を信じちゃうと相対論を誤解するけど「相対論を誤解した」以上の被害はさしあたり発生しない。
(B)単なる表現に留まらず、他人を欺すことに使われて、言説が間違っている以上の被害を発生させる場合。
 水伝は浄水器の宣伝に使われたし、波動測定器はインチキ健康グッズの商材になった。景表法4条2項を適用するとそれなりに網をかけられるようなニセ科学。特商法の規制でも同様にひっかかってくるもの。
がある。

 (A)の方だけなら、ニセ科学は言論と表現の世界のみで閉じた話ということになるんだけど、(B)だって現実に存在していて、それなりに影響がある。ニセ科学宣伝をしている商材に大金をつぎ込んだ被害者が出てきたりして社会問題になると、(B)を使って商売した人を取り締まるとか処罰するといったことになるのだけど、これは現実のコストがかかる。
 例えば、
・被害者が金をつぎ込んでしまったり、借金をして利子がかさんだりする金銭的被害が発生する。
・被害者が消費者センターなどに相談にいくと、被害者も手間と時間をかけるし相談員も手間と時間をかける。
・被害者が行政書士などの法律家に仕事を頼んで解約&返金をしようとすると、相談料とか時間とかがかかる。
・取り締まりや処罰には、然るべき役所の人がやっぱり手間をかけて実行することになる。鑑定作業に科学者も使われたりするかもしれない。
・紛争まで移行すれば今度は裁判所のリソースを喰うことになる。
 いろいろ、各方面の手間暇を動員したって、引っ掛からなかった元の状態に戻すのは至難の業だろう。

 もし、ニセ科学批判の言説があったことで、信じて引っ掛かる人を減らすことができたら、引っ掛かった後から対応するために必要になるコストは不要になる。でもって、引っ掛かった後の対応のコストは、「批判すること」のコストに比べて相当に高い。
 批判する意見があったって引っ掛かる人は引っ掛かるのだろうけど、批判を見て引っ掛かるのを免れる人が居るなら、批判の方がずっと安上がりなんじゃないかな。

 批判批判の人達を見ていると、批判そのものが何か重大なことだと思い込んでるようにしか見えない。彼等は言論の世界しかない所に住んでいるのかもしれない(どこか別のバーチャルな世界の住人なのかもしれない)。現実の社会に住んでいるのなら、批判で済む分は批判で済ませる方が、楽だし、他への影響も少ないはずなんだけどね。

【追記】
 ここまで書くと、批判批判の人達の中には、そういう批判は科学者の仕事じゃないとか言い出して、勝手に他人の仕事の範囲を定義しようとする傲慢な意見を出す奴が出てくるかもしれない。
 でも、科学者だってこの社会に生きている。科学者がニセ科学批判をしているとしたら、それは、職業柄、何がどう変なのかに気付いたからである。別に、科学者じゃない人だって、ニセ科学の存在に気付いたら批判したって構わない。というか、気付いた人が声を上げて、それをきっかけにしてみんなで考えれば良いのでは。科学者だって専門を離れれば素人だから、別の分野では、誰かが声を上げたことで教えてもらう立場になる。まあ、お互い様である。
 研究をさせるために給料を払っているのだから批判はけしからんとか、もっとバカなことを言い出す人には、「一体どこの社会にお住まいですか?」と訊いておこう。私が住んでる世の中には、収入と結びつかなくても、した方が良いことがあるし、何かのペナルティと結びつかなくても、しない方が良いことがある。こういうアナログな部分を無視して線を引こうとするのは、言ってる人が単に社会性を欠いているか、それとも「カガク」(現実の科学じゃなくて発言者がこういうもんだと思い込んでいる科学ね)に毒されているか、どっちかなんじゃないかなぁ。