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水素水:週刊ポストの記事

Posted on 1月 23rd, 2009 in 未分類 by apj

 このエントリでも触れた水素水の話だが、週刊ポストに太田教授が登場していた。
 QPさんから情報と、該当ページの写真をいただいたので掲載する。2009年の1月16,23日号とのこと。
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 やっぱりこれはまずいんじゃないですかね。太田教授がこんな形で出ては。

 水素水については、まだ効果効能を謳えないと太田教授は述べていた。
 本文の内容が写真からははっきりしないのだが、「通常人がこのページを見たときに、水素水の効果効能が太田教授によって保証されたと思うか」ということを考えると、誤解を振りまく結果にしかなっていないのではないか。

【追記】
 このページに内容確認ができる画像が上がっていたので、こちらに検討用として転載しておく。

【追記】
 太田教授にこの件でメールしてみた。

To: 太田 成男From: apj Subject: 週刊ポストの記事

太田様

 山形大の天羽です。
週刊ポストの水素水の宣伝記事に太田教授が登場していますが、
これはまずいのではないでしょうか。

 研究途中であり、効果効能を謳えない段階で、一般向けに
こういう記事が出るのは問題だと思います。

 「研究が始まっている」と明記してあっても、一般の方がこれを
読めば、太田教授がお墨付きを与えたと受け取るのではないでしょうか。

 これに対する返事。

From: 太田 成男To: apj Subject: Re: 週刊ポストの記事

天羽さま

メールありがとうございます。
checkが甘かったと反省しています。「水素水はサラリーマンの皆さんにもお薦めです。」は、一言よけいな言でしたね。
印象は別として、この掲載は「宣伝広告ではなく、記事である」という説明をうけて、お話しました。(談)とか入れていただければ、印象は違ったかもしれませんね。
法的な点については、出版社(小学館)の法務で検討した結果で、問題ないとの見解だそうで、責任は小学館にあるとのことです。 
今後、気をつけます。もうこのような形で私がでることはないでしょう。

太田成男

 法的にはセーフでも、明らかに「やらない方が良いこと」むしろ「やってはまずいこと」だろう。特に、活性水素の白畑教授と一緒に見られたくないと考えている太田教授にとっては。これでは、活性水素の白畑教授とますます同じに見られても仕方がない。

 単に薦める文言があったからよくないという話ではない。(将来どうなるかはわからないが)現状では効果効能を謳えない状態の水素水の宣伝記事に、研究をしている太田教授(この場合は研究においても第一人者つまり権威)が出てくることで、既に専門家がお墨付きをあたえている印象を一般読者に与えることが問題なわけで。

 活性水素と同じような、いい加減な宣伝・怪しい宣伝に荷担している、と思われることこそ、太田教授が最も注意して避けなければならないことのはずである。

 この記事だが、コピーされて、記事とは違う種類の水素水の販売にも使われかねない。「別の製品だけど、既に水素水の効果は専門家も突き止めてますよ」とかいう宣伝文句と一緒に。で、太田教授の名前と顔がばっちり広まる、と。顧問先の企業の製品だからいいだろう、と思っているなら考えが甘い。水関連のインチキ宣伝は、他社の宣伝でも使えるならコピペで流用することが横行している。研究した上でまっとうに商売と結びつけたいと本気で考えているのなら、今の時期に研究者が一般向けに名前を出すべきじゃない。

ベタな部分を敢えて強調する

Posted on 1月 23rd, 2009 in 未分類 by apj

 lets_skepticさんのところの「ニセ科学批判批判を批判しているニセ科学批判者の批判の仕方を批判してみるよ」を読んで。

ひとつひとつの投稿を読むだけだとtittonさんは当たり前の事と、表面上は批判的思考の手法を用いたことを主張しています。ちょこちょこ間違った認識やダブルスタンダードな判断が入っていますが*2、見た目はきちんと文章を書いているようだということです。

 つまり、一見まともに見える議論の使えなさっぷりとかダメっぷりを誰にでもわかるように提示するにはどうしたらいいか、という話。 これに対する一つの答えとして、直近のエントリーを書いていたので並べておく。
想定しているユーザーが違う
「本物」の科学を手にしていないとニセ科学を批判してはいけないのか?
批判で済むなら安上がり
 何を意識して書いたかというと、徹底的にベタな話をするということである。
 まず、ニセ科学批判のユーザーは誰かという部分に「(ニセ科学宣伝を使った商材による)悪徳商法の被害に遭った・遭いそうな人」という具体的なものを入れてみた。
 「本物の科学」などという、頭の中だけで想定したものを持ち出してくることに対しては、「精度」という、現実とすりあわせて評価する基準を出して、現実の前では本物云々の想定は無意味であることを述べてみた。
 ニセ科学批判をやっても良い理由を、現実の被害救済のコストに比べて「安上がり」だからと指摘した。

 自己矛盾することを言ってでもある論に反論したいというような人の主張は、現実の世界に足場を持ちようがない。tittonさんの主張がダメな理由は「論の中だけで閉じている」ことによる。「ニセ科学批判」という論が独立して存在しているという前提のもとでしか、tittonさんの論は効果を持たない。実際、議論の流れを見ても、具体的な例は何も出てきていない。批判の姿勢とか、メタな価値判断の部分しか議論できていない。論の世界だけで異議を出そうとする相手に対して、論のみの範囲で対応した場合、ダブルスタンダードの指摘等は可能だけど、わかりにくいものになる。その上、話をずらしたりそらしたり、自分の論に対する反論なのにわざとに独立の意見として扱うといった手法を使ったりするので、ダメさをわかりやすく示すのが難しくなる。メタな言葉の応酬になるからである。すると、

今回の議論では、tittonさんが労力をかけてまともな主張をしているのに対して、TAKESANさんが難癖をつけている(相手にしていない)ようにも見えるということがいえます。ニセ科学批判者は無礼だとか偉そうだとかいう印象をギャラリーに与えるかもしれません。

という懸念が出てきてしまう。 tittonさんが労力をかけているのは確かだが、それが空虚なものをそうでないように見せかけるための労力に過ぎないことをはっきりさせるには、tittonさんの都合のよい形、つまり論には論で対応するやり方で相手をするかわりに、徹底的にベタな話をぶつけておくと良いのではないかと思った。 私が主張した「ニセ科学批判が安上がり」の根拠を示すには、まず、比較相手である「現実の被害」の見積もりをすることになる。マルチや悪徳商法の被害金額はこれまでのケースから具体的に見積もれるし、いろいろ相談したりした場合のコストだって、拘わった人の時給換算で一定の金額を出すことが可能である。幅はあるだろうけど、平均的な被害金額とか、モデル被害ケースを作ることはできる。批判側の手間についても、時給換算して価額を出してしまえばよい。
 「ニセ科学批判批判」が批判の意義や論の価値などを比べる相手は「ニセ科学批判」である。価額を出して比較しようとすると、「批判を行う」行為のコストの比較にしかならない。つまり議論の手間の比較にしかならず、手間だけを問題にするなら、「ニセ科学批判批判」と「ニセ科学批判」はどっちもどっちだという状況を作ることができる。手間が変わらないことを示した上で詭弁をぶつけてくるのが批判批判側のしたがることである。しかし、そもそも「批判する行為」が妥当かどうかを考える場合には、考慮すべき対象が「現実の被害」でないと無意味である。これをあからさまに出しておくと、「ニセ科学批判批判」が「現実の被害」の救済策としてはまるきり役立たないことをギャラリーに示すことができるかもしれない。

 哲学的なあるいは抽象的な価値基準についての労力をかけた議論という体裁を取りたがる相手には、価額に換算で評価するのが、煙に巻かれない方法の1つではないだろうか。

 この考え方をとった場合、効力のある「ニセ科学批判批判」の中身とは、批判によって具体的な利益を失うことの主張になる。つまり、ニセ科学を使った商売で利益を得ている人の反論だけが、価額を比較可能な「ニセ科学批判批判」となる。