トンデモ法律論?
ニセ科学の特徴の1つに、「二分法で白黒付けたがる」というのがあると認識していたのだけど、法律で二分法を適用したがる人が出てきたのでちょっと辟易としている。kikulogのこのエントリーに、一昨日あたりからこんなコメントがついている。
#347. ハム・スター ― March 28, 2009 @23:37:07
ちょっと確認をしておきたいのですが、お茶の水大学による大学のHP停止措置は
「公開停止措置は大学による天羽先生に対する不法行為であること」を大学が認識
したので、公開停止措置が解除になったのですよね>>> お茶の水大によって出された、お茶大冨永研内のatom11サーバの公開停止措置
情報発信をめぐる問題とその対策
http://atom11.phys.ocha.ac.jp/claims/index.html
#350. 西川 ― March 30, 2009 @00:23:20
>大学に対する判断まで出ないで裁判が終わりました結局、公開停止措置が「お茶の水大学による天羽氏に対する不法行為」であることを
大学は未だに明確に認識できていないということでしょうか
最初の公開停止問題と、今回の裁判が完全にごっちゃになっている上、誰と誰の間にどういう権利関係があるかを全く認識していないコメント、としか言いようがない。
まず、今から8年ほど前の公開停止問題は、次のようにして起きて、決着した。
・某会社が、ウェブサイトのせいで製品購入がキャンセルになったとしてお茶の水大にクレーム。
・クレームを受け取ったお茶の水大は、クレームを評議会に回し、広報委員会に回し……その間2ヶ月以上無回答。
・大学にクレームをつければ解決すると思ったのに何も起きなかったので、会社はさらに大学にクレーム。
・大学の委員会で、ウェブコンテンツの内容について、冨永教授に対し「改善を勧告する」という結論が出た。
・ところが委員会の委員長名義でやってきた文書は「係争」が終わるまでの間「公開停止」にする、だった。そもそも法的紛争の意味での「係争」は無かったし、委員会の結論とは異なる「公開停止」がどういう経緯で出てきたのかも不明だった。
・当時、大学には、「大学のホームページの健全な発展を妨げるページ」はダメ、といった、何をどう判断していいかわからない規則しかなかった。時代背景としては、ネットが普及し、情報系など技術力と予算のある研究室が個別かつ自力でサーバを立てていて、大学全体としてネットをどう使うかという規則の方が後からできたという状況があった。なお、atom11が公開を始めたのは、最初の規則ができるよりも前のことだった。
(ここで一旦ウェブコンテンツはきくち先生のところに居候させてもらうことに)
・冨永教授は、大学内でも、委員会の委員等から事情を全く訊かれなかった。
・冨永教授が事情を訊かれない以上、単に一緒にコンテンツを作っているだけの私は、少なくとも公式に大学に対して何かする立場でもないし、交渉のルートも持たない状態だった。
・私が、コンテンツを書いた作者として、会社の代表取締役に「係争の意思の有無」を内容証明で問い合わせても、担当者からの書面しか来ず、クレームをつけたこと自体が担当者の暴走であって取締役が関知していないのではないかという疑いが残り続けた(最後に、登記簿をとって取締役の自宅住所を調べ、自宅宛に、担当者からの返事しかないのでやむなく直接送る旨書いて内容証明を送り、やっと、訴訟する予定はないという返事をもらった)。
・本当にコンテンツが原因でキャンセルされたのなら、その分を買って使用レポートでも書いて揉め事を終結させようということを冨永教授と話し合い、「キャンセルとコンテンツ内容の間の因果関係」を立証するよう会社に求めたら、担当者は立証できなかった。どうやら、伝聞に基づいてクレームをつけたらしかった。
冨永研究室のページを、冨永教授の了解のもとにせっせと作っていたのが私だということを、このとき大学が初めて(公式に)知ったと思われる。内々では知っている人はたくさんいた筈だけど。
この時点では、はっきりした理由のないウェブサイト公開停止は、冨永教授に対する権利侵害にはなり得ても、私に対する権利侵害にはなり得ないと考えていた。お茶の水大の職員である冨永教授には、情報発信も含めた教育・研究環境を等しく保障せよ、と大学に要求する権利があるが、私は大学とは雇用関係にはないので、そういった権利は発生していなかった。
なぜ、委員会結論と違った内容が冨永教授に示されたのかを知りたかったので、私は、情報公開法に基づいて、関係する会議の議事録の開示を求めた。一部墨塗りで開示されたので、異議申し立てをし、どこまで開示すべきかが情報公開審査会にかかることになった。
このとき、たまたま別の会社が、弁護士名義で、水商売ウォッチングの公開をやめるようお願いするという趣旨の手紙を送ってきた。これについても公開を求めたが、やはり墨塗りであったので、情報公開訴訟を提起することにした。
情報公開訴訟は、所持している文書を開示せよ、と求めるものであって、相手に不法行為責任を問う訴訟ではない。また、当時、お茶の水大はまだ国立大学(法人化前)であったので、これは民事訴訟ではなく行政訴訟である。
この時は、紆余曲折の末に本筋と関係のないネタで紛争をすることになってしまった。
・公開停止にした法的責任を私がお茶の水大に問える立場ではなかった(冨永教授は問える立場だった)
・係争がなど発生していないのに、係争が終結するまでの間、という理由付きで公開停止にされたのでは、一体何をどうすれば係争が終結したと大学に報告できるのか、さっぱり意味不明だった。いっそ会社が提訴してくれれば、判決が確定したことをもって係争終結と言えたのだが、会社は提訴する気が全く無かった。
・一体どこから「公開停止」が出てきたのかもわからなかった。
・そもそもクレームの内容に十分な根拠が無かった(が、大学は確認もせず右往左往していた)。
結局、私の提訴をきっかけにして、やっと冨永教授が学内の広報関係の責任者に呼び出してもらえ、事情を説明できるようになった、という状態だった。その後、曖昧な規則では混乱の元にしかならないということで、プロバイダ責任制限法に則った学内規則を整備し、以後はそちらに従う、ということで混乱を収拾した。
このとき、(当時の)現状のままで避難先の阪大からお茶の水大に復帰させます、という申請書を冨永教授が書いて、委員会に提出し、認められたので、コンテンツをお茶の水大に戻した。
つまり、公開停止の時に、大学は、私がコンテンツ内容を書いていることを初めて知ったのである(タテマエとしては)。そしてやっぱり、タテマエとしては教職員以外に勝手にコンテンツを作らせることはできないが、かといって、一律に、雇われているか授業料を払っている人以外は一切コンテンツを書くな、とやってもやっぱり不便が生じる。そこで、研究室単位で作るサイトについては研究室の責任者が管理責任を負う、という、まあ妥当な形に落ち着いた。
コンテンツを戻した2003年頃からは、atom11の内容に責任を持つのは冨永教授であり、理由なく情報発信を制限すると、冨永教授に対する権利侵害となり得るだろう、と言える状態となった。私はあくまでも、冨永教授の了解のもとにコンテンツを作るのを手伝っているという立場に過ぎない。
ところが、吉岡氏の提訴は掲示板に書かれた内容に対して起きた。掲示板は、不特定多数の人が書き込める場所である。そこに書いた内容が誰かの権利を侵害した場合の責任は書いた人が負うのが普通である。書いた人が特定できない場合には、掲示板管理者が責任を問われることになる。通常のコンテンツとは多少意味合いが異なる。
書いた内容が不法行為にあたると指摘されてなお内容を公開し続けなければならない義務は掲示板管理者にはない。もちろん、管理者が維持すべきだと考えて法的紛争を行うのは自由にやってよいし、そうする権利もある。しかし、書いた本人が出てきて内容について争う、とやっているときに、削除されてしまうと、争う機会すら失ってしまう。この争う機会を失うということそのものが一種の権利侵害になるのではないかと私は考えているが、なにぶんまだ不勉強のため、自信を持ってそう主張することはできない。
いずれにしても、私とお茶の水大の関係は間接的なものなので、紛争の原因となった書き込みを削除するなという要求は「黙示の契約」といった表現を用いることになった。「黙示の契約」と主張した根拠は、阪大からお茶の水大にコンテンツを移すときに内容の審査を大学が行っていた、というあたりに基づいている。これは、最初の公開停止の時と状況が異なった部分であるといえる。さらに、補助的に人格権的な面からの主張もしておいた。
一方、冨永教授であれば、職員なので「雇用契約に基づく云々」とやれば済むので、対大学の主張については単純明快である。
ただ、対大学については、結局訴えを取り下げたので、はっきりした結論は出ていない。
コンテンツを公開することそのものが誰かの権利を不当に侵害する「不法行為」であることが明らかであれば、その情報を発信した職員が不法行為責任を問われるのと同時に、大学も不法行為責任を問われる可能性がある。普通に考えてこのような場合にまで、大学に対して、コンテンツを公開する権利を保障せよ、とは言えないであろう。
争いがあってどうなるかわからない、という場合は、かなり微妙である。不法行為ではないとされれば、自動的に大学は免責される。仮に不法行為であるとされても、不法行為であるという判断のハードルが高ければ、発信者以外に責任を負わせるハードルも高くなるはずである。
大学からの情報発信は委員会等を経由して決まった内容を出すのみとする、つまり公式のものに限る、とやってしまうと、研究室個別の情報発信が一切できなくなる。どうしてもやりたければ学外のサイトを使えばよいし、現実的な費用と技術で実現可能ではあるけれど、今度は、公費を使ってやっている活動を私費で情報発信しなければならないというちぐはぐな結果になる。また、大学教員の教育研究活動の範囲は相当広く解されるので、どうしてもグレーゾーンが出てくることになる。大学が教員の情報発信を保障する、というよりは、大学が教員の情報発信を制限しようとすると手間がかかっていろいろややこしくなる、というのが現実である。
いろいろ考えると、教員の大学からの情報発信は、大学が保障するといった種類のものではなくて、大学がむやみに制限しない方が全体としてうまくいく、といったものだろう。当面は、権利の有無で白黒つけない方が良さそうである。また、「白黒をつける」には、普通は前提をかなり絞り込まないといけないのだけど、前提が特殊ならば白黒をつけた結論になってもあまり意味が無さそうである。
神戸の裁判では、大学に対して権利を主張できることがはっきりしている立場の冨永教授と、大学に対する権利の主張の根拠はだいぶ弱いが当該文書を書いた本人(通常は真っ先に法的責任を負う立場)である私が、揃って訴訟参加し、両方とも当事者と認められた。つまり、大学に対して何らかの権利を主張できる立場であるということと、発信した情報が他人の権利を侵害した場合に責任を負うかどうかが、完全にリンクしているというわけではないのである。
で、kikulogのコメントに戻る。
どうも、コメントを書いた人は、1回の裁判で当事者の間の権利義務関係の全部について白黒がつくという誤解をしているのではないかと思われる。しかし、訴訟では、訴状に書いた内容について審理されるのであり、訴状に書かれていない権利義務関係については判断されない。判決の理由あたりに書かれることがあるが、判決には入ってこない。
民事訴訟の教科書レベルの知識としては、既判力が生じるのは判決主文であって、理由中の判断には生じない、というものがある。ただし、理由中の判断のうち、債権債務関係の存否を決めている部分は既判力が認められる範囲に含まれる。
参加人と大学の間には、特に請求が無いので、存否を判断すべき債権債務関係も無いため、理由中の判断を拡大解釈あるいは曲解して、参加人と大学の間の権利義務関係についての結論を引き出すことはできない。
科学的なものの見方・考え方の普及が十分ではないと思っていたのだけど、実は文系分野の法学的なものの見方・考え方も科学と同程度に普及が不十分なのではないか。科学で間違えた時より目立ちにくいというだけであって……。
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