教育的配慮が暴走すると規範をぶちこわしにする
【追記と注意】
この件についての考察を進めた結果、このエントリーを書いた時とは異なった理解に至ったので、こちらを見て欲しい。
卒業証書問題をchem@uさんのところが取り上げたので引用。私の問題意識とほとんど重なっていると思う。
「ムラ社会型の教育機関への縛り」とはこの場合、「未期限までに全額納入がない場合は、卒業証書をお渡しできません」という法治社会型の契約に基づく対応を取ろうとしても、筋の通らない苦情や抗議が起きて、教育機関が追い込まれるということ。
メディアがニュースに取り上げ、「教育者像」との違いについて謝罪させられ、教育委員会あたりが、「未納を理由に卒業証書の授与を拒むことはできない」と横槍を入れざるを得なくなる。場当たり的な対応によって周知される「授業料払わなくても卒業できる」という事実、これが将来どんなことをもたらすか、そんな想像力もでないのでしょうか。
(中略)
教育的配慮 法治社会では不要(個別の教員が配慮する事はあっても、配慮するよう他者が教育者に求めるのは筋違い)
説得力 「サービス業」は無限大のサービスを提供するわけではない。
教育と金 そもそも政治の問題、現場に負担を押し付けるな。
この対応がまずいのは、場当たり的な対応で契約を無視してもかまわないということを公然と社会に知らしめてしまった、という点。これがどれだけ反社会的な対応か、当事者も認識していないらしいので、問題としてはより深刻だと考える。
法治社会の原則の1つとして「契約は守らねばならない」というのがある。これは、より一般的な「約束したことは守りましょう」という倫理的規範の一部分である。原則だから、当然「例外」もあるけど、例外とは、例えば契約の前提となった条件が途中で著しく変わってしまって当事者にとって想定していなかった極端な不公平が生じた、とか、そもそも契約の内容自体が最初から公序良俗に違反していた、というような場合であって、「教育的配慮」などというものは、契約には基本的に何の関係もない。
期限までに授業料の納付が無ければ卒業証書を渡せません、というのは、契約を守ることが前提の社会では至極当然の対応であるし、社会規範にも一致している。
【追記と訂正】
理由無く授業料が納付されなかった場合に校長がとれる手段として許されているのは、「登校の停止」あるいは「除籍」とのこと。中途半端に「卒業式には来てもよいが卒業証書を渡さない」はむしろダメで、「卒業式の当日に登校を停止」であればOKのはず。お役所の指導としては、「卒業諸処を渡さないのは(規則にないから)不適切だが、代わりに登校を停止するといった、明文に書かれた措置をきちんととれ」が正しいのだろう。
いずれにしても、授業料を払わない人に何もせずそのまま卒業証書を渡す、というのが制度を壊す方に働くことは確かではないかと。
「教育的配慮」「児童を護る」といった、契約と関係のないものを持ち出して、横やりを入れることで、規範を無視してサービスを要求し、それを当然と思っていることがおかしいのである。場当たり的にルールを破ってもかまわないということを、ルールを守ることを教えるべき教育現場で示すのは、してはいけないことである。これでは、いくら「ルールは守りましょう」と唱えたって、説得力が皆無である。
「教育的配慮があれば規範は無視でよい」「学生は護られるべきだから契約を破っても護られて当然」といった倫理観を持った学生を育ててしまうことの方が、致命的にまずいと思う。社会にそういう価値観が蔓延することの方を、私は憂慮する。それに、何だか将来のモンスタークレーマー予備軍を養成しているようにも見える。
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