不当表示・不実告知・ニセ科学
議論と考察のためのメモ。
○他人を騙すことに対する明文化されたペナルティ。はっきり嘘をつくことから、あいまいなことを確かであるように言いふらす、まで含まれている。
刑法の詐欺罪、民法の意思表示を定めた部分、不法行為。取引に特化したものとしては景表法・特商法あたり。
○社会規範として「人を騙すな」があり、そのうちの一部を法で処理している。法にひかからない部分は放置ではなく、周囲の人に批判されるとか信用されなくなるといった法によらないペナルティでもって規律する(しかない)。法によるよりはゆるやかな規律である。
○一般論として、社会を規律するやり方は法だけではないが、そうでないものも連続的に法につながっている。
○社会法的制約でもって、私権を制限するのが現代法の流れである。弱肉強食にならないため、秩序維持のため。
○法の領域のむやみな拡張は弊害が大きい。合理的かつ必要な範囲でのみ法で規律する。
○特商法・景表法では、ある特定の商品の表示(宣伝)について、表示通りの効果があることの根拠が無かった場合にペナルティを与える。
○現実に取締が行われるのは、不当表示や不実告知のうちのごく一部である。特に悪質なものとか目立つものとか。全てが処罰されるわけではないし、そうするだけのリソースも社会には無い。
○個別の表示に実態が伴わない場合で、表示が消費者にとってその製品を選ぶ動機となる場合に規制がかかる。このときの理由は、ニセ科学だからという理由ではない。
○不当表示や不実告知の個別の判断をするときの運用指針は、現状の科学技術の存在をあきらかに前提とし、基準として用いている。
○表示がニセ科学であった場合、ほとんどの場合、表示を裏付ける事実はないと推定することができる(∵科学の精度がそれなりに高いから)。しかし、表示が客観的にニセ科学であるということを直接の理由とする形での法規制は行われていない。
○ニセ科学であることの立証が、取締に利用できる(利用された)場合もある。
○「ニセ科学」で括ると、法規制にはひっかからないが(法規制のハードルを越えていない・まだそこまで目立っていないなど)裏付けのない表示を行っているものを、それなりの精度で拾い出すことができる。
○法規制ではないので、「ニセ科学」であるという指摘を行うことには、何ら強制力はない。評判が落ちるとか警戒されるといった、ゆるやかなペナルティでしかない。
○強制力はないので、情報を共有してお互い気を付けましょう、似た物にも注意しましょう、間違いを広めないようにしましょう、といった、個人で対応できる範囲以上のものは出てこない。ただ、そういう意見が増えると、結果的に嘘をつきにくい社会になるかもしれない。(疑う姿勢を身に付けよう、というきくちさんの意見はこのあたりにつながってくるのだろう。)
○科学として正しいかどうか、という基準を一律に適用することは、法規制にはなじまない。法はあくまでも個別の宣伝の個別の文言について判断するという形にしかならない。∵文言を特定しないと裁判で争えない。取り締まりの行き着く先は裁判所で決着、がこの社会におけるルールである。
○裏付けのない表示を推定し、情報を共有して注意喚起することができれば、法の適用に到達する(=それなりの被害が発生する)前に被害を防ぐことができるかもしれない。
○「ニセ科学」であるということを指摘しなければならない対象の多くは、違法とされるものを取り巻いている。このため、実際に判定をした場合、それなりにはっきりニセとわかるものが多くなる。批判しやすいものだけ批判しているという意見は誤解で、たまたまターゲットの多くが明白に違法となるものの周りに分布しているから結果としてそうなるだけ。
○ニセ科学判定のグレーゾーン問題は、科学非科学のグレーゾーン問題とはほとんど関係がない。偽っていることがどれだけ明白かによって決まる。科学の方がグレーゾーンなのに「白です」「黒です」と言い張ったりするとニセ科学、科学で白なのにグレーですと言い張ってもニセ科学。表示と実態の乖離を問題にする不当表示や不実告知と同じ構造になっている。
○ニセ科学を問題にするということは、法規制には到達していない或いは法規制になじまない部分について、単に指摘や議論をすることで対応しようということでもあるので、ニセかどうかわからんような曖昧なものを無理に判断してニセとしてしまうことは、間違った情報を広めてしまうことになり、それ自体が「ニセ科学」の定義が前提としている規範にひっかかる。これによって、ニセ科学として問題にする対象がむやみに広がることに歯止めをかけている。
○産地はこう表示せよ、とか、耐震基準はこうだ、という法規制はあるが、科学的な基準はこうだ(或いは、科学についてはこう表示せよ)、という法規制はない(そんなものがもしあったら、越境もいいところだ)。科学の側からニセ物が広がらないようにするには、広く議論するしかない。ニセ物のうちの一部が不当表示や不実告知の要件を満たして法規制にひっかかる。
○社会規範を他人に強制するなといった議論は認識不足。「ニセ科学」の議論は、既に法に抵触しているものから、一歩踏み越えたら違法(現実の強制執行があることまで考えなければならないもの)というもの、直ぐには違法じゃないけどやっぱり誰かを騙してるよね、というあたりのものまでを含めて扱っている。
○「ニセ科学」の議論は、科学そのものの議論じゃなくて、科学が社会で使われる場合の議論。だから社会法学とは馴染みやすいが、科学哲学とは馴染まない(多分)。
※法律は代表的だと思ったものを例示した。バイブル本を取り締まる健康増進法は省いた。今後の立法で他にも出てくるかもしれない。
※ニセ科学の判定問題は、科学哲学とはかけ離れた、もっとテクニカルな問題になりそうだという感触を私は得ている。
※「ニセ科学」の社会規範についての議論をする場合は、現行法の立法趣旨あたり(つまりそれなりに社会の基準となっていて運用実績もあるもの)から出発すればよい。倫理のもっと深い議論はそっちの専門家に任せた方が、当面は余計なことに力を注がなくても済む。
※エントリーのタイトル通り、不当表示・不実告知・ニセ科学は、ほぼ並置されるものだというのが私の認識である。科学の表示は社会においてこうあるべき、といった法がない(法規制になじまない)から、景表法や特商法に相当するものが、科学限定では存在しないというだけ。表示と実態の乖離を問題にするという括りをすると、並んでしまう。
※この先「ニセ科学」の定義がどうなるかは私にもわからないが、どう変わろうと、上で列挙した内容は含んだ状態で、かつそれを拡張したものになっててくれないと使えないものになることは確かだろう。消費生活センターに持ち込まれるようなネタは将来にわたってカバーできるようになってないと使えない。科学哲学の方からあれこれ議論するのは自由だけど、その結果、もし使えない結論や現実と乖離した結論が出てきた場合には、その結論は捨てるしかない。
※私の立場に割と近いかもしれないのが技術開発者さんかも。きくちさんはこの手の議論はほとんどしていないはず。多分、現実の悪徳商法に向き合った経験があるかどうかの違いが出てるのかもしれない。