被害発生が予見できる場合に対策が必要ということなのか
ニセ科学として言説を取り上げる時に、どういう基準でやっているのかについてのメモ。
こういう基準で取り上げるべき、という議論につながるかもしれないので列挙してみる。
【被害発生の態様による分類】
・(財産被害型、不当表示型)宣伝通りの効果のないインチキ商品を買わされる場合
例:健康グッズ、浄水器関連、節電器その他のエコグッズなど
永久機関モドキの装置(投資詐欺御用達物品)
ホメオパシー
・(権利侵害型)権利侵害が行われたり差別が行われたりする場合
例:血液型性格診断(血液型による就職差別をもたらした)※1
・(公益侵害型)ひろく不利益をもたらす場合
例:ホメオパシー(予防接種拒否を言い出したりすると社会にとってまずい)
EM菌(宣伝通りの効果が無いことがわかっている上、ばらまくと環境負荷が増える)
「水からの伝言」は、上記の分類では問題の種類としては理科を教える一方で非科学を教育現場に持ち込むという公益侵害型と、浄水器のインチキ評価法に使われるという不当表示型の両方に該当する。道徳教育・国語教育としても問題だけど、それは上記の分類には含まれてこない。
複数の被害を同時にもたらす場合もある。
インチキ治療法(ガンに効く、などといって効果のない薬モドキを売りつけるなど)は、それが原因で治療が遅れると、個人にとっては財産侵害型(命を金に換算するのでこの分類には抵抗があるかもしれないが、損害賠償請求の根拠になるかどうかということを意識した分類なのでここに入れる)、社会で広まりすぎて公衆衛生上問題になると公益侵害型になる。
七田式教育は……教育内容に客観的根拠を伴わないニューエイジ系ネタが含まれているので、不当表示型に分類。波動やテレパシーといったものを価値判断の基準が確立していない子どもに教えるという部分が、子どもに対する権利侵害となる可能性がある。
逆に、被害発生が軽微なケースとしては、本人だけが私財を投じて永久機関など怪しい装置の開発や理論にはまっているけど、それを他人に売ったり出資者を集めたりはしていない場合なんてのがある。問題にしなきゃいけない必要はそんなに無さそう。
「相対性理論は間違っている」「量子力学熱・統計力学は間違っている」系は……其の手の本の値段以上の被害はない。それを信じると相対論の正しい理解はできなくなるだろうけど、相対論を理解していない人は世の中にいっぱいいるし、それが社会生活上の不利益をもたらすとも思えない。相対論を理解してなかったためにインチキ商品を買いましたとか、差別を受けましたという展開も想定しがたい。直接インチキ商品の購入を促す「バイブル本」とは違う。
霊験あらたかと称する壷を高額で売りつけてぼったくる、といった霊感商法は、悪徳商法・詐欺的商法の一種であり、ニセ科学による被害発生分類には入らない(ネタがオカルトなので)が、非合理に対する対策とか消費者保護といった別の枠組みでの対処になる。
神社に初詣、といったものは、長い間に社会での位置づけが定まっている。初詣して交通安全のお札を貰ってきた帰り道で交通事故に遭ったからといって神社を訴える人は居ない。賽銭は任意だし、お守りその他の値段や販売形態を考慮すれば、効果の如何を問わず被害発生の実体がないし、因果関係のはっきりした効果を求める人も居ないだろう。ニセ科学の判定基準にも引っ掛かってこないし、非合理として取り上げる対象にもならない。
被害発生が予見できるものを取り上げる理由について。
被害発生が具体的に予見できるものは、ニセ科学として取り上げた場合に、どういう被害を防ぐことになるのかの説明ができる。被害発生が具体的でなくなるほど、「価値判断の問題」の論争になってしまいがちである。
被害発生がはっきりしないような非合理まで、ニセ科学をとりあげる枠組みでどうにかすべきということについては、合意を得られないだろう。
リストの方には明文で書かなかったが、被害発生との因果関係の立証をしやすいもの、というのが基準に含まれているかもしれない。ちょっと間接的になるが、因果関係の立証ができるということは、ニセをはっきり指摘できるものであるということでもある。これは、取り上げる側の訴訟リスクを減らす。
こういう基準を出しておくことの意味。
ネット等で議論するときの取り上げ方が恣意的だとか、一方的で不公平という言いがかりをつけられることを防ぐ。金に換算できる被害は積算可能である。不公平云々の議論は、被害金額に見合った取り上げ方かという議論に落とし込める。だから、不公平云々の裏側に「情緒」を隠しておくことができなくなる。
【追記】
「ゲーム脳」は、公益侵害型かな。デマを振りまくことで他人の行動を変えよう、ということをしているので。
【追記】
※1 血液型性格診断は2つの問題を含んでいる。内容が間違っているにもかかわらず広く受け入れられて差別の原因となる、あるいは差別を助長しているということ。
もう1つは、仮に内容が正しくても、遺伝的要因(だけでなく、本人の努力では対応できない要因)を理由として社会的差別をしてはいけないという別の規範があり、そちらにも抵触すること。こちらは、倫理や法学の方から論じなければならなないので、ニセ科学としての対策というよりは、より広い社会的差別対策の枠組みで捉える必要がある。
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