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指導教員は博士学位論文審査の主査や審査委員から外しておけ

Posted on 5月 13th, 2009 in 倉庫 by apj

 Yomiuri Onlineの記事より。

東北大大学院生が自殺…博士論文、2年連続受け取り拒否され

 東北大は13日、大学院理学研究科で教員の指導に過失があり、担当していた大学院生の自殺につながったとする内部調査結果を公表した。

 大学院生は2年続けての教員による博士論文の受け取り拒否などで修了できなかった。同大は懲戒委員会で処分を検討しているが、この教員は今月に入り辞職した。

 同大によると、自殺したのは理学研究科で生物関係の研究をしていた博士課程の男性大学院生(当時29歳)。大学院生は昨年8月、研究のデータ集めをした滋賀県内で自殺した。遺書には指導法への不満などはなかったが、翌月、両親から男性准教授(52)の指導に問題があったのではとの指摘を受け、内部調査委員会を設置していた。

 大学院生は2007年12月、博士論文の草稿を事前提出したが、准教授は大学院生と十分に議論せず受け取りを拒否。准教授は06年11月ごろにも、論文提出を延期するように指示しており、大学院生は2年連続で博士号の取得に失敗した。

 調査は、残された論文草稿やデータを見る限り、大学院生の研究は博士論文の審査水準に到達していたと判断。准教授が、具体的な指示を与えず、適切な指導を行わなかった結果、大学院生は学位取得や将来に希望を抱けなくなり、自殺に至ったと結論づけた。准教授は、08年1月に科学誌から大学院生の論文が掲載を拒否され、書き直しが必要になった際も、適切な指導を行わなかった。准教授は調査に「論文提出の直前までデータ整理に追われており、時間がかかると判断したが、指導に不適切な点があった」と話したという。

(2009年5月13日12時38分 読売新聞)

 こういう事件を防ぎたければ、博士学位審査の主査や審査委員から指導教員を外す制度にしておけば良い。

 私は課程博士の学位を東京大学大学院医学系研究科で得たのだけど、医学系は、指導教員が主査にも審査委員にも入らないシステムになっていた。
 テーマ変更から後、指導教員の言うことは全くきかずに勝手に実験して勝手にまとめていた。教授の振ったテーマが見込み違いだったため、半年ほど「あなたの指導じゃ学位は取れない」と教授と喧嘩していて、最終学年の4月にテーマ変更をやった。10月末日が学位論文提出なのに、提出1週間前にまだ第一章が書けていなかった。その日に事務に届けないと判定会議等の日程に間に合わないという提出締め切り日当日の朝8時頃に、必要部数の5部の印刷と仮製本が終わった。書き終えたのは提出日当日になってから(日が変わる頃)だから、教授が目を通す時間なんかあるわけがない。それでも、さすがに指導教授には一言くらいは言わないとダメなので(確か、所定の用紙に印鑑だかサインだかもらうことになっていた)、その5部を持って、教授が会議をしているホテルオークラに直行し、昼休みに出てきた教授を捕まえて「先生が何を言おうがこの内容でいきますから。審査で落ちたってそれは私の責任ですから。先生は審査に関係ないのだから余計な口出しは無用の筈ですが何か?」と強引にハンコだかサインだかをもぎ取って、そのまま本郷の事務に直行して提出した記憶がある。
 東大の場合は、指導教員を主査にした上で予備審査であら探しをして対応させ、本審査ではほぼ通るのが工学系研究科、本審査一発勝負でレベルに達してなければ、指導教授が定年退官といった事情があろうがおかまいなしに容赦なく落とすのが医学系研究科だった。
 出しちゃったものはしょうがないので、公聴会の練習は普通に研究室内でやって、教授も見てくれていろいろ突っ込まれた。まあ、何とか本番一発勝負の審査はパスすることができた。
 もし、工学系研究科のシステムだったら、私は学位取得に失敗していただろう。もっとも、テーマ変更から短期間で何だかアクロバティックな通り方をしたので、研究室内では前代未聞だと言われたが……。

 一端審査になったら指導教員は手出しも口出しも無用、という制度だと、指導教員が提出拒否権を持つ余地がそもそも無い。この制度の方が、指導者と合わなかった場合に院生が助かる。
 博士課程を選ぶ時は、「学位論文の主査や審査委員に指導教員が入らないこと」というのが、重要なチェックポイントの1つだろう。