ちょっとした印象なのだけれど……
「ニセ科学批判批判」で、批判の態度を批判するとか、ニセ科学問題には社会規範の弱体化がある(少なくとも科学限定では)という話をすると「社会規範や道徳を押しつけるな」と言いだす人が居ることについて。
本当の問題は、多分、なぜ科学の場合だけ「嘘をつくな」「不確かなことを言いふらすな」という社会規範が通用しないことが他の場合(悪徳商法対策やらオレオレ詐欺の取り締まりやら)に比べて多いのか、ということ。
科学そのものが持つ正しさの権威は、科学で扱える範囲に限っては相当強力である。で、強すぎる権威をどうにかしたいが為に、科学の内容を間違いなく流通させるために必要な社会規範の権威の方を意識的に下げればいいと勘違いしてるんじゃないの?というのが私の受けた印象である。
どうなんだろう……。ふと思っただけなので、相当外しているかもしれないのだけど。
もちろん、科学の正しさとによる権威と、社会規範が持つ権威は、由来も性質も全く別のものだから、たとえ科学の話をする場面限定であっても、社会規範に通常必要なだけの権威を持たせておかないと、現実の社会でいろいろ不都合が起きる(消費者被害発生に荷担するなど)ことになるのだが。
【追記】
科学の権威を利用して社会規範の方をいじくろうとするようなことが起きた時には(かつての優生学みたいな)、科学の権威を否定するんじゃなくて、「科学としてはどうあれ社会規範としてまずい」ということをはっきり言わなければいけない。「科学で扱える範囲を超えているからまずい」という誤用の指摘だけでは、回りくどいし足りないのであって、本当は、社会規範として問題にしなければいけない。どういう社会規範を立てるかということを正面から議論しなければいけないときに、科学の権威とやらを攻撃目標にしたって、それは最初から見当外れでしかない。
このあたりのことをちゃんと議論して整理するのなら、文系の関連分野の人達がこれまでに積み重ねてきたものを理解し、使わせてもらうようにしないとうまくいかないんじゃないか。
普段から社会規範とは何か、ということを考えていたならば、「科学の権威」と社会規範を混同することなど起こりようがないと思う。ところが、批判批判を標榜する人達は混同したまま気付きもしないように見えた。世の中にニセ科学がはびこる一因として、科学リテラシーの欠如があるのかもしれないけど、使えない批判批判がはびこるのは、社会規範について考察するという文系分野(例えば法哲学とか社会法学とか倫理学とか)のリテラシーの方も科学の知識同様に欠如しているということじゃないの?批判批判を標榜する人達に対しては「ニセ科学に荷担する」とか「科学を受け入れない」といった批判をするよりも、はっきりと「文系(分野をもうちょっと絞った方が具体的だけど)を舐めるな」と言った方がいいのかもしれない。
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