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ノミネート本は例年だって特に売ってなかったはずだけど……

Posted on 5月 26th, 2009 in 倉庫 by apj

 「健康本的作家養成本」についたうさぎ林檎さんのコメントを見て。リンク先も見たけど、何でこんな話になってるのかが謎。

 「採るトンデモから育てるトンデモへ」というのが例会の標語みたいになってるわけで、新たなトンデモが近くで育つのは歓迎すべきことのはず。また、本の場合は他の商品とは違って、酷評されたらされたでその評判を見たり聞いたりした人が逆に興味を持って買う、ということもおきるわけで、酷評が必ずしもマイナスにはならない。

 以前に特別賞のふぉるしいのCDは会場売りしたはずだけど、あのときは、トンデモ本大賞としてノミネートしたのではなかった上、会場で流すということを事前に伝えて許可をもらったりして、双方win-winで商売したという感だったから事情が違う。むしろゲスト扱いだろう、あれは。

 で、引用先の唐沢俊一検証blogの論理がおかしい。唐沢氏の発言が

「トンデモ本大賞に本を売りに来ないでほしい」

というものなら、本の販売はダメだけど会場に来るのはご自由に、としか受け取れない。それを、

大内女史は「トンデモ本大賞」の当日に会場に行くつもりだったのに、唐沢俊一から断られた

と書くというのは、印象操作じゃないかな。
 大内女史の方も、

他のノミネート作品の関係者は来ている(こともある)のに、なぜ、私だけダメなんでしょう。

と勝手に勘違いしてるっぽい。

【追記2009/05/29】
 大内氏の新しい記事では、会場で本を売らないかと先に持ちかけたのは唐沢氏であるということが書かれていた。ということは、最初に大内氏がこのことを書かなかったために、唐沢俊一検証blogの引用にも書かれることがなく、結果としてそれを読んだ私も、議論のスリカエあるいは当事者の勘違いではないかという印象を持ったということになる。
 ということで、私からの評価を、
・大内氏:最初に不十分な情報を書いて誤解と混乱をもたらした
・唐沢俊一検証blog:大内氏の不十分な情報を引用した批判を書いたから私が誤解したのであって、特に論理展開をおかしくするような意図は無かったのだろう
と変更する。
【追記終わり】

 他のノミネート作品を会場売りすることは、例年だって無かった。普段の大賞会場での物品販売は、楽工社さんの本やと学会会員の出している同人誌即売、と学会が作ったグッズの販売、といったあたりである。あとは若干のゲストの本コーナーを設けるくらいか。今年だって、他のノミネート作品を会場売りするという話は全く出ていない。
 何だか、「本を会場で売るのはやめろ、(他のノミネート作品だってそんな扱いはしてないから、大内女史だけ特別扱いすると)トラブルになるかもしれないよ」と言われたことが、大内女史の頭の中で「大内は会場に来るな」に変わってるっぽい。また、唐沢氏の発言が

「だけど、きみが、一般入場者として来るとしたら、誰にも止めることはできない」

ということなら、つまりは本を売らず普通に来ればそれで良いということだし、これに対して

入り口で止められる可能性はゼロではないので。

はいささか被害妄想じゃないのかな。「誰にも止められない」と明言されているのに、「止められる可能性はゼロではない」って、一体どういう文章読解解釈能力なのか。

 まずは、「本を売らなくても大内さんは会場には来ないでほしい」とはっきり言った人が居たのか。言ったとしたら誰がそんなことを言ったのか。そいつをはっきりさせてほしい。
 正直な話、本当にそんなことを言う人が居るとは私には信じられない。本当に居たのなら私が小一時間問い詰めたい。チケットを一般に売っている以上、と学会に批判的な人だって当然来るだろうけど、それを事前に排除するようなことはしていないし、できっこない。そうである以上、大内さんを特に排除する理由も見あたらない。ノミネートするからという理由で特に招待もしないかわりに、拒みもしないというのがこれまでのスタンスなんじゃないか。

 何というか、読解力が無いけど曲解力があるからあの本が書けたのかと、別の意味で納得した。

【追記2009/05/29】
 どうもこの問題は、最初に私が認識したのとは違う種類のものらしい。

 私が最初にひっかかった理由は、「チケットを一般売りするイベントで、ノミネート候補作の作者の来場を拒否する」ということが(一般論として)生じるのは、そもそも一般売りという方法を選んだ趣旨に反するものなのでまずかろう、ということである。さすがにそこまで会の運営がひどいとは思えず、読みに行った先のblogがまた勘違いしていると(私にとって)受け取れるものであったために、一体何が起きてるんだということでここで話題にした。
 その後、いろんな投稿やら友人知人からこっそりやってきたその他の情報を見ていると、どうもこの件は、唐沢氏と大内氏の個人的な仕事の事情が主な原因となって発生したものであり、「ノミネート候補作の作者一般」にあてはまる話ではなかったらしい。そうであるなら、何も私がひっかからなければいけない話題ではない。個人的な仕事の事情等が優先された結果そのようになったのであれば、それは当事者の勝手であって、一般売りの趣旨に反する虞れはないからである。

【追記2009/05/30】
 コメントの方にも書いたが、それでもやっぱりまずいだろうという意見を捨てきれないので追記

 チケットを一般売りするというのは「これは内輪の集まりではありません」というタテマエを掲げたことになる。それならば、個人間の事情を持ち出して事前に「来ないでくれ」などと言うのは間違っている、というか少なくとも矛盾している。運営の誰かがそのように言ったとしても、でもって個人的事情があったとしても、それを通してしまったら、タテマエ通りではない、ということになる。チケットを買って一般のお客さんと一緒に観客席に座って演し物を見る、という行為をするだけならば、いくら「と学会」の特定メンバーとの間に個人的事情や感情的もつれがあったとしても、トラブルが発生するというのは常識的に考えて想像しがたい。
 私が今回引っ掛かったのは、掲げているタテマエと実際に行われていることがズレているということである。会場でどんな本を売るかは運営側の専決事項だが、チケットを買って会場に来るかどうかの扱いは、タテマエ通りにやらないとまずい。
 今回の件は、外部に向かって「内輪の集まりではない」というタテマエを掲げておきながら、内輪の事情を優先させてしまったように見える。内輪の事情があるのはどこの社会でもあり得ることだが、それならばその話は内輪だけに止めておくのがマナーだろう。しかしそのことがblog経由で外に出てしまったという、一種の杜撰さが、余計な批判と非難を誘発したのではないか。

 ついでに、コメント欄の方で、唐沢氏の行状その他についてあれこれアクションを要求されたが、全部突っぱねた。これも、タテマエ通りに考えるとその答えしか出てこなかったということである。

 また、どのような場合に社会規範とくっつけてどういう責任を負わせるかという話は、ちょうど、ニセ科学問題の方で、議論しながら構築中である。ここで、自称ウォッチャーが押しつけようとしたホンネムラ社会的行動基準を受け入れてしまったら、今度は、構築中のニセ科学対策の論の方がブレてしまうので、私としては、どう非難されようが、私に対して要求されたアクションについては却下しておく他はない。