その「カルト性」はニセ科学のもの
渋研Xさんのところの「教えて、元増田」を見て。
気になったのは、引用されていた「ニセ科学批判をしている人の一部に、何だかカルト宗教と五十歩百歩の凝り固まった精神が感じられる時があるのは、わたしだけではないでしょう」というフレーズ。別に、この手の言い方をする人はこれまでも他にも居たから、別に珍しくもないのだが、「カルトっぽさ」は、ニセ科学を取り上げている人のものではなくて、ニセ科学が本来持っているものではないかと考えた。
カルトの被害発生の第一歩は、社会で受け入れられている価値判断の基準と違うものを信じ込ませることにある。そこを足場にして、信者に、反社会的な行動をさせたり、経済的に被害を与えたり、家族などの人間関係を壊したり、低賃金あるいは無償の労働を強いたりといったことをする。ニセ科学は、「ニセ」でそもそも「嘘」なのだけど、それが真実であり正しい、と他人に信じさせることで広がる。
カルト並のしつこい個別勧誘(というか説得や宣伝)で、ニセ科学製品が良いものであると信じ込まされることもある。また、カルトと違う拡がり方として、マスコミが荷担したことによって、真実でないものを真実であるかのように見せかけてしまって広まるということも起きる(あるある大事典など)。
うまく表現できないのだが、「嘘を信じさせる」プロセスというのは、カルトもニセ科学も共通しているのではないか。社会全体、というかより広い範囲で見渡すと明らかに変なのだけど、一部分だけしか見せないようにすることで、整合性があるように見せかけるといった部分が共通している。
ニセ科学を問題にする際に、既に信じている嘘に対して丁寧にカウンターをぶつけて真実を信じさせる、という方向に行くと、見かけ上、カルトの勧誘のように見えてしまうということではないか。しかし、そのカルト性は、元の嘘を正確に撃ったために浮かび上がってきたものであり、もともと、ニセ科学が備えていたものだと考えるべきだろう。
引用したような批判をする人は、ニセ科学のニセを指摘したことによって、ニセ科学のカルト性が見えてきているものを、「批判者のカルト性」と取り違えているんじゃないだろうか。
渋研Xさんのところにトラバしたので追記。
マイナスイオンの蔓延に手を貸しておいて、環境保護を謳うのは矛盾している。投じた資源に見合った効果がまったくないものを、大手電機メーカーにまで搭載させて、環境負荷を増やした。明らかに無駄。効果を信じて、実際には必要が無いものを買うはめになった人が全国に大勢居たわけで、被害総額を考えると笑い事で済ませる状態ではないだろう。
ゲルマニウムについては、無機ゲルマニウムは既に重金属中毒事故の貴重な例を提供した前科がある。有機ゲルマニウムは、業者の触れ込み通りならば、医師の監督の下で服用しないと副作用が発生する薬剤と似通った化合物で効果の方も似たようなものということになるので(「セロシオン」類似の化合物)、無駄に真面目な業者が薬剤を入れていたら、場合によっては命に関わるかも知れない。肌に触れさせるだけななら害はないだろうが、インチキ商品を買わされたことに変わりはない。
ただ、そもそも、こうしたあやしげな、あるいはあやふやな話にすがってしまうのは、それなりに理由のあることだと考えている。現代医学の限界にぶつかってしまって、それ以外にしかすがれるものがない、という人が頼る最後の砦まで奪ってしまっていいとも思わない。そうした窮地にある人を嗤うような態度も許しがたい。
弱っちくても「最後の砦」として機能するものならばいいのだが、実際には、「最後の砦(書き割り)」だから問題なのだ。「嘘であってもいいから信じたい」のなら、信仰の領域だからご自由にどうぞとしか言えないのだけど、「嘘だと知っていたら信じなかったのに」という人まで一緒に道連れにしてもらっては困る。
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