NATROMさんのところ経由、「■[トンデモ]正論に勝てないからと逃げた悪徳商法?マニアックス 」を斬るについて。
何か本人不在のまま取り巻きとか何とか話が進んでいるので、正直に説明しておくことにする。 ただ、10年近く経ってるので記憶があやふやなところもあるから、間違っていたら適当に指摘してほしい。
まず、悪徳商法マニアックスのサイトを知ったのは多分2000年頃だったと思う。確か、水商売ウォッチングへのクレーム第一号(日本システム企画株式会社による)があった時に、次の展開が読めなくて、クレームのことを悪マニのメールフォームから書き送ったら、消されてもいいようにミラーしましょう、ということになって(私が頼んだかbeyondさんの提案だったか記憶にない)、ミラーを作ってもらった。この時はまだbeyondさんがどこの誰であるかを知らなかった。
その後、悪マニ会議室に私が書き込むようになって今に至る。
最初にbeyondさんに会ったのが、どんな形でいつだったかは記憶にない。多分、何かのオフ会の折だったか、紀藤弁護士のLINKの忘年会かのどれかじゃなかったかと思う。私の方ではこの関連でオフ会を主催したことはないので、私の方から参加する、という形で初めて顔合わせになったのだと思う。その後は、毎年行われるLINK忘年会で都合がつけば顔を合わせることになっている。変則的なものとしては、消費者庁の立ち上げ前の集会にたまたま出たらbeyondさんも居たとか、ウェディング問題を考える会の集会に参加したといった形である。
「取り巻き」の意味が今ひとつはっきりしない。掲示板の利用者が取り巻きかと言われると違うと思うし、顔見知りになったことが取り巻きかと言われるとそれも違う。まあ、対悪徳商法という価値基準は共通していると思うので、普通にやっていてネタがかぶるのは仕方がないのだけど。
神戸の裁判の時にはbeyond氏が上申書を送ってくれたりしたけど、内容を見る限り、会議室の趣旨をはき違えた訴訟が起きていたわけで、管理者としては当然の主張だろう。で、上申書に限らず他の記述からでも、私とbeyond氏が別人というのは明らかなはず。旧ブログでも、beyondさんに会ったと書いていたりするし。
「「悪徳商法?マニアックス」の管理人でないと訂正できないんだよ。それとも、Beyondさん=天羽さんとでもお考えなのかな?それこそ妄想だ」と随分と詳しく内部事情を書いていること自体ありえないことです。Beyondさん=天羽さんとでもお考えなのかな?それこそ妄想だ」と断定する根拠などないハズです。つるんでいなければ・・。
ということで、別につるんでいなくたって、私とbeyond氏が別人なのは客観的に明らかではないかと。
私はNATROM氏がどこの誰か知らない。知らずに遭遇している可能性までは否定しないけど(私は人の顔と名前を一致させるのが苦手で困っており、名刺交換した相手に向かって二年後くらいに「はじめまして」とやっちゃうこともあるので……)、少なくとも主観的には、「つるむ」といった関係にある相手じゃないことは確か。NATOROM氏とbeyond氏が知り合いかどうかは私にとっては全く不明。
引用が前後するが、
Web上に[「悪徳商法?マニアックス」・日本トリムの説明を聞いてきました – 悪の最新情報] というものがあって、その中のリンク先が「水商売ウオッチング」であったものが「事象の地平線」
(URL:http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/blog/index.php)に変わってしまった。一般の方が純粋に投稿したのであれば、関連のない「事象の地平線」にリンク先を変える理由はまったくない。
おそらくこれは、副社長に会った話を私が「事象の地平線」にも書いたため、より話がまとまっている方へ、ということでリンクが張り直されたのだろう。だから「関係のない」どころか、そのものずばりの話題が存在していた。
ところで、「つるんでいる」「取り巻き」が問題になっていること自体がかなり奇妙というか、偏っているように思う。
(1)たとえば、「相対性理論の光速度不変の原理は間違っている(ありがちな相まさんの主張の内容)」などと言ったら、おそらく、物理に詳しい人からほぼ同じ内容のツッコミが入るだろう。事実として正しいことがはっきりしていて、間違え方まではっきりしている場合は、ツッコミのヴァリエーションはそうそう増えない。(事実として正しいことに反した場合になされるツッコミ)。
(2)次に、「マルチ商法はどんどん行うべきである」といった主張をしたら、やはり似たような内容のツッコミが山ほど入るに違いない。これも、被害のあり方が共通しているから、ツッコミのパターンが多岐にわたるというのは想定しがたい。マルチ擁護者との間の論争まで大体予想がつく。(規範として正しいことに反した場合になされるツッコミ)
(3)では、反社会的なカルト宗教団体を批判した場合はどうか。批判の内容が客観的に正しくても、信者が同じパターンで一斉にツッコミを始めることが容易に予想される。(判断基準が歪んでいる集団による間違った方向でのツッコミ)
常識的に考えて(1)(2)はツッコミが入っても仕方がないケース、(3)はツッコミを入れる側に問題があるケースである。
現実には(1)(2)(3)のどれもがあり得るので、「多くの人が同じパターンでツッコミをするかどうか」ということだけを判断の基準にするのは適切ではなく、「ツッコミの内容が事実あるいは規範にてらして適切か」ということも基準にしなければ、間違った結論になりかねない。重要なのは主張の内容の正しさであって、つるんでいるように見えるかどうかは、あくまでも二義的な問題でしかない。また、仮に実際に「つるんで」いたり「取り巻き」が居た場合であっても、主張の内容が正しい場合に、主張を行っている人達がつるんでいることや取り巻きの関係であることを敢えて問題にする理由は無いだろう。「つるんでいる」ことや「取り巻きがいる」ことを問題にしたいのであれば、つるんでいることや取り巻きの関係にあること自体が主張の内容とは関係なくそもそも良くない事である、というのを示してからでないと話が始まらないが、このことを正面から示した議論を私は見たことがない。提橋和男氏もこのことは示していないようである。
つるんでいることが問題になるとしたら(3)の場合だけである。(3)を問題にする言説と、実際には(1)(2)であるのに「つるんでいる」方を強調することで(3)だと思わせようとする言説は、別物だから区別しないといけないのではないか。また、(3)だという印象を与えようとしてなされる議論に対しては、「つるんでいる事実がありませんが何か」というだけでは不十分で、「主張の内容が妥当であることはスルーしてつるんでいる方だけ強調するとは、さては印象操作をしてますね」まで言っておかないと足りないかもしれない。
もっとはっきり言ってしまえば、「提橋和男の新☆管理人のつぶやき」がしていることは、(1)(2)である言説を(3)と思わせようとする行為で、詭弁でしかないだろうと私は考えている。もうちょっと穿った見方をすれば、「内容に反論できない」から「つるんでるかどうか」しか問題にできていないんじゃないの、ということになる。
【追記】
もっとぶっちゃけるとだな。
・私がbeyondさんに会ったのは私の方から出向いたからで、私が主催したイベントにbeyondさんを招いたからではない。
・ウェディング問題のとき、お小遣いから会に寄付したのは私。一方、beyondさんから私への金銭的援助は何一つなく、そのかわり、神戸の裁判で私はbeyondさんの「上申書」を賜った。
・「こうえんデビュー」したbeyondさんに向かって会場のみんなと一緒に「ジーク・ビヨン!」と叫んでいたのは私である。
という事実から考えると、beyond氏が私の取り巻きという設定は有り得ない。逆に私がbeyond氏の僕だと言われても仕方がないシチュエーションになっている。
※もちろん、「ジーク・ジオン」のパクリか、それとも「ジーク・カイザー・ラインハルト」のパクリであるか、いずれの解釈がより適切かについては、人によって意見が分かれるところだろう。